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【ボレロ】 ― プロローグ ―
手入れの行き届いた肌はなめらかで、薄く差し込んだ昼の日差しに反射して艶を見せていた。 「岡崎金属について何か聞いてないか」 「聞いてるわよ。気になることでもあるの?」 「あるから聞いたんだ。もったいぶらずに教えて欲しいね」 彼女の膝頭から、ゆっくりと腿の内側へと唇を滑らせながら、気になる取引先の名を口にした。 普段日の当たらない、真っ白な足の付け根へと唇がたどり着く頃、ふふっと笑ったかと思う...
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【ボレロ】 一楽章 1 ― largo assai ― ラルゴ アッサイ 極めてゆっくりと
彼の姿を見たのは偶然だった。信号待ちで目にした数メートル前の路肩に止まっている車は、大きさから見て取締役クラスが使う社用車だろうか、後部座席には歳を重ねた恰幅の良い男性がいて、運転手は……そんなことを考えていると、運転席のドアが開き運転手らしき男性がおりてきた。 やっぱり……と自分の勘があたったことに満足し、そのまま通り過ぎるつもりだった。彼の顔さえ見なければ、前だけを見て滑るように走り去り、私たちは...

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【ボレロ】 2 ― Andante cantabile ― アンダンテ カンタービレ (ゆっくりと歌うように) 前編
オフィスから見える都内の風景に目をやりながら、大都会にしては緑が多い街だと今更ながら思う。見慣れた風景だが見る角度を変えてみようか……そう思いながら窓に目をやると、確かにいつもと違って見えるようだ。集めた情報のどこに漏れがあったのか、綻びなどないはずだと絶対の自信があったのに、彼女の言葉は私の判断を修正へと導いた。言葉を交わした印象から、気性のハッキリした女性である事は間違いなく、育ちの良さからくる...

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【ボレロ】 2 ― Andante cantabile ― アンダンテ カンタービレ (ゆっくりと歌うように) 後編
珠貴に再会したのはそれからまもなくのこと、ホテルの上階に行こうとエレベーター前に立っていたときだった。開いたドアから飛び出すように珠貴がでてきた。一人ではなかった。 付きまとう相手を振り切れず、私の顔をすがるような目で見た。「須藤さん」 と言いかけて思い直した。「珠貴じゃないか、どうした」「宗さん、迎えに来てくれたのね。ちょうど帰るところだったのよ。 木田さん、ここで失礼します」歩み寄るとさっと私...

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【ボレロ】 3 ― grazioso ― グラツィオーゾ (優雅に) 前編
女達の胸元にはドレスに合わせた宝石が輝き、指も耳も必要以上の煌きで飾られている。取引先の会長の叙勲を祝う会だというのに、誰が主役かわからないような女性達の華やかさに私はうんざりしていた。そう思いながらも、もしかしてと、ある期待を持ちながら先ほどからここに立っている。今夜のパーティに彼も来ているのではないだろうかと、会場内に目を走らせたが、目指す相手の姿を確認することはできなかった。彼に会ったのは三...

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【ボレロ】 3 ― grazioso ― グラツィオーゾ (優雅に) 後編
「近衛さま、いらっしゃいませ」ウェィティングルームに通されたあと奥まった席に案内されると、ほんの僅かな気配とともに現れた初老のギャルソンが、慇懃な礼で迎えてくれた。「羽田さん、お久しぶりです。今夜は無理を言いました、お世話になります」「お待ち申し上げておりました。無理などと、そのようなことはございません。 お任せいただいてよろしいでしょうか」「そうだ。君の苦手な物があれば言って欲しい」「いえ、特に...

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【ボレロ】 4 ― Adagio(アダージオ) ― 前編
珠貴と二度目の会食のため早い時刻にレストランのドアを開けると、約束どおり現れた私たちを、変わらぬ笑みで老齢のギャルソンが迎えてくれた。携帯が着信を告げたのか、入ってすぐ席をはずした珠貴の背中を見ながら、彼女と会う機会をこれほど早く得るとは羽田さんに感謝ですよ、と冗談ごかして伝えると、 「それはようございました。お役にたてて嬉しく存じます」 いつもは見せな...

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【ボレロ】 4 ― Adagio(アダージオ) ゆっくりと ― 後編
忙しさにまぎれたわけではないが、珠貴のことも思い出す暇がないほど仕事に追われる日が続いていた。断れない席に顔を出し、慣れない酒を口にする。自分でも疲れを感じながら自己理由で休めない辛さを抱え、体も限界にある事さえ気づかない振りをしていた。その日も疲れを抱えながら、父の代理で避けられない席に出席していた。さほど飲んでもいないのに不覚にも足元がふらつきだし、壁の椅子を求めて歩き出したときだった。「こち...

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【ボレロ】 5 ― poco a poco ポコ ア ポコ (少しずつ) ― 前編
エレベーターの中というのは、秘密の会話が行われる場所なのかもしれない。閉鎖された空間には、どこにも逃げ場はなく、問われて答えられる質問なら良いが、そうでなければ沈黙になり気まずさが漂うだけ。彼はそれを知っていて聞いてきたのだろうか。 「あなたと近衛は、本当に友人ですか。私には、その……浅からぬ付き合いに見えますが……なんて言ったらいいのかな、昨日今日の付き合いじゃないっていうのか」「狩野さんの目には私...

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【ボレロ】 5 ― poco a poco ポコ ア ポコ (少しずつ) ― 後編
「さて、何から聞きたい?」「あの……お二人のお時間を邪魔してしまって……」「いつもの珠貴らしくないじゃないか。遠慮はいらない」「まぁ、意地悪な言い方ね。私がいつも我がままを言ってるみたい」「遠慮などせず、ハッキリと言って欲しいってことだよ」「そうなの?」宗一郎さんの顔をのぞきこむと、ほら早く話をと言うように顎をしゃくった。その顔は悪戯っぽく、仕事の話をするときには見えない彼の隠れた顔を見たようだった。...

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【ボレロ】 6 ― Andante アンダンテ (ゆるやかに)― 前編
この歳で馴染みの割烹があるのもどうかと思うが、私も狩野も、祖父や父の代からの付き合いがあるのだから仕方がない。大女将はわれわれの祖父と同じ時代を生きてきた人で、これまでに多くの大事な席に関わり、その情報たるやどれほどのものか、誰もかなわないのではないかと思われる。馴染みの客がふと漏らす言葉の端々から手繰り寄せる様々な事情、秘密裏に設けられる会合の面々、表にはでない取引の情報や政財界動きなど、この大...

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【ボレロ】 6 ― Andante アンダンテ (ゆるやかに)― 後編
大女将が帰りがけに漏らした言葉に、私は期待を持った。『須藤会長は一本気な方ですが、筋の通った話には耳を傾ける方だとお見受けしております。 近衛様、真っ直ぐに向かっていかれることが早道かと……それから、三宅会長にご相談なさってはいかがでしょう。須藤会長とは古いお知り合いでいらっしゃいますよ』ですがまずは、お嬢様のお気持ちをお確かめになられて、それからでございますね、と念を押されたのには苦笑した。大女将...