恋愛小説文庫 花模様

【ボレロ】  45-1  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く) 
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【ボレロ】  45-1  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く) 

   その日を珠貴と一緒に過ごすことができたのは、幸運だったと言えるだろう。  突然降りかかった事態により、しばらく安息の時は望めないとわかっていたら、もっと密な時間を過ごしたのにと 今は後悔の念が募るが、何も知らずにいたからこそ、ゆるやかなひと時を過ごせたのだ。 また、彼らが私たちの友人であったことも幸運であり、苦難の中で救いになった。 私と珠貴は、これまでにない大き...
【ボレロ】  45-2  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)
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【ボレロ】  45-2  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)

   「その小さなバスルームコレクションを、誰が持っていたと思う?」  「私が知っている人なの?」  「おそらくね。財界のパーティーで、会ったことがあるんじゃないかな。  俺も名前を聞いて驚いた。まさかあの人にミニチュアの趣味があったとはねぇ」  「早く教えて、どなたなの? 気になってしかたがないわ」   もどかしそうに詰め寄る珠貴の顔を見ている...
【ボレロ】  45-3  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く) 
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【ボレロ】  45-3  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く) 

朝のまどろみを阻む音に舌打ちしたい気分だ。 遮光カーテンに朝日を遮られた部屋で朝の時刻を予想するのは難しいが、6時にセットしたアラームが鳴った 気配はない、ということは4時か5時か……電話がかかってくるには早すぎる時間帯だ。 誰からの電話だろうかと数人の顔を浮かべ、ほどなく候補は一人に絞られた。 こんな時刻に遠慮なく電話をしてくると考えられる人物の筆頭は、私付きの秘書である平岡だ。 彼には、用があればい...
【ボレロ】  45-4  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)
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【ボレロ】  45-4  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)

    珠貴の肩を抱く腕にグッと力をいれ、それからゆっくり息を吐いた。 「大丈夫?」 の珠貴の声に 「うん」 と短く答えて電話に入った。 柘植さんも雅ちゃんも早朝の電話に驚き、私の話を聞きさらに驚きが増した様子だったが、二人とも緊急事態 と理解したようで 「わかりました。すぐに伺います」 とためらいのない声が返ってきた。  続いて平岡に連絡を取り現在の状況を知らせた...
【ボレロ】  45-5  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)
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【ボレロ】  45-5  - rinforzando - リンフォンツァンド (急に強く)

   朝食の準備が整った頃、柘植さんと雅ちゃんが相次いで到着した。 珠貴を加えた初対面の三人は和やかに挨拶を交わし、自己紹介がすみしばらくすると、旧知の間柄のように 会話が弾んでいた。 これから楽しい会食でもあるではと思うほど、和気藹々 (わきあいあい) とした雰囲気だ。 これから大変な事態に遭遇しようとしているのに、女性三人の誰も取り乱すことなく、冷静に事を受け止めて...
【ボレロ】  46-1 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)
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【ボレロ】  46-1 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)

   外の風を感じたくて車の窓を少しだけ開けると、秋の気配を含んだ爽やかな風がすべるように流れ込んできた。    「申し訳ありません。お閉めいただけますか。 走行中の窓の開閉は、避けたほうが良いと指示がありましたので」  「あっ、ごめんなさい……そうですね。どこから見られているか、わかりませんものね」   一昨日発売の週刊誌は、私の環境に大きな変化をも...
【ボレロ】  46-2 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)
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【ボレロ】  46-2 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)

   「浅見君は今のところ何もないようだが、堂本、君はどうだ。 身辺をさぐられている気配はないか」   「ありません。ですがこの先、私や浅見さんの経歴に目を向ける記者がいれば、 それこそ躍起になって探ってくるでしょう。  いまさら経歴を伏せることもできませんから、できるだけ行動に気をつけるしかないかと思われますが」  「うん、君たちには窮屈な思いをさせるが、気を...
【ボレロ】  46-3 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)
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【ボレロ】  46-3 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)

知弘さんの口が開き、私たちが最も知りたい情報が言葉になろうとした瞬間、それを邪魔するようにデスクの 電話が鳴り響き、身構えた姿勢をといた浅見さんが冷静な声で対応した。  「香取可南子さまが、ただいまおつきになりました」 「約束の時刻まで、まだ一時間もあるじゃないか。君たちと顔をあわすことのないように時間をずらしたのに、 相変わらずせっかちな人だ」 「専務は来客中ですと、お伝えいたしましょうか」 「待たせ...
【ボレロ】  46-4 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)
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【ボレロ】  46-4 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)

   一連の週刊誌騒動から三週間がすぎていた。 秋の気配は一段と色濃くなり 「君の服に秋を感じるよ」 と宗が言ってくれた薄手のニットも、肌寒いと感じる 気候になっている。  宗と会えない日が続いていた。 週刊誌騒動が起こる前は、出先で偶然顔を合わせることも少なくなかった。 パーティーや祝賀会といった席に、父親の代理として顔を出す機会の多い私たちは、会場内で会えば...
【ボレロ】  46-5 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)
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【ボレロ】  46-5 - ben marcato - ベン マルカート (よく注意して)

   パウダールームの明かりが私の肌を照らし出す。 体の火照りは静まったと思っていたのに、まだ赤味の差した肌が鏡の中にあった。 染まった頬にくわえ艶やかに潤う肌は、彼との時間がもたらしたものだ。 ファンデーションをのせる程度では隠せないほど、私の肌は変化していた。  ”俺に会ったと、誰にも言ってはいけない” ”わかったわ……”  約束したのだから、彼と会った痕...
【ボレロ】  47-1 - slargando - スラルガンド (だんだん幅広く)
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【ボレロ】  47-1 - slargando - スラルガンド (だんだん幅広く)

アパートの窓から見える風景に首都の賑やかさはなく、地方都市のような佇まいがあった。 スイスの首都は、ジュネーブかチューリッヒだと思い込んでいる人も多いそうだが、ベルンには それほど特徴がないのかといえばそうではなく、旧市街地は世界遺産に指定されているはずだ。  物理学の町としての顔もあり、かのアインシュタインが暮らした町としても知られている。 なかなか興味深い街だと、窓辺に立ちながらベルンについて語っ...
【ボレロ】  47-2 - slargando - スラルガンド (だんだん幅広く)
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【ボレロ】  47-2 - slargando - スラルガンド (だんだん幅広く)

   「佐山さん、ご家族は? 不自由されているのでは」   「それが、そうでもないようです。夫と息子たちの男三人ですが、自由でいいよ、などと言っておりますから。 それに、息子がこんな事を申すんですよ」   丸テーブルを囲む食事は堅苦しさを取り払ったのか、佐山さんの言葉も滑らかだった。 それとも女三人の生活はいつもこうなのか、賑やかな会話が途切れる事はない。&nb...