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【社宅ラプソディ】 1-1.社宅はどこ?
郊外へ続く国道の脇には優しい色の草花が咲き、その奥には一面に菜の花畑が広がっている。春色の景色は新生活への不安を鎮め、期待を押し上げる手助けをしてくれる。佐東明日香はのどかな風景を見ながら、不安な気持ちをひとまず押し込めて無邪気な声をあげた。「菜の花、きれい、黄色がまぶしいー。都会の近くに自然がいっぱいあるんだね。社宅の周辺もこんな感じ?」「夏は、蚊とか虫がすごいって聞いた」「えっ、社宅があるとこ...
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【社宅ラプソディ】 1-2.社宅はどこ?
妻の本音を覗き見た気がして亜久里は気落ちしたが、それよりひとこと言っておかなくてはと顔を引き締めた。「明日香、それ、地元の人の前で言うなよ。丘の向こうは九大のキャンパスだ」 以前は街中にキャンパスがあったが、老朽化が進んだため、郊外の広い敷地に移転した。「キュウダイのキャンパス? あぁ、大学って敷地が広いから、新しいキャンパスは郊外にしか建てられないんだね、きっと。私大ってことは地元の人が通っ...

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【社宅ラプソディ】 2-1.はじめまして
『株式会社小早川製作所 博多工場 梅ケ谷社宅』 重厚な一枚板に書かれた社宅の名称は、風雨にさらされところどころ文字がかすれている。 ここのどこが博多なのか、どうして博多と言えるのか、詐欺じゃないかと明日香は思ったが、名古屋本社もそうだったと思い出した。会社の所在地は隣接した市にあるのに、『名古屋本社』 だった。もっとも、向こうは都会の雰囲気が感じられる街だったが、ここは都会どころか地方の地...

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【社宅ラプソディ】 2-2.はじめまして
「一号棟は小野棟、棟長は小泉さん、二号棟は早見棟、棟長は早水さん、三号棟は川崎棟、棟長は川森さん、これも覚えやすいでしょう」一号棟、二号棟、三号棟、でいいではないか、なぜ名前を付ける必要があるのだろう、全然覚えられないじゃないと明日香は思ったのに、亜久里はウンウンとうなずいている。「小野は小泉さん、早見は早水さん、川崎は川森さん、同じ字が入っているので確かに覚えやすいですね」いつもながら亜久里の記...

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【社宅ラプソディ】 2-3.はじめまして
「わぁ……」「うーん……」亜久里も明日香も、それ以上の言葉が出ない。すべて和室、6畳、4畳半が二間と、一応三部屋はあるものの……狭い、狭すぎる、どこにどう家具を置けばよいのだろう、それよりすべての荷物が入るだろうか。ふたりで大きなため息をついた。「はぁ……まずは挨拶回りに行ってこようか」「そうだね。あとで考えよう」それから 『川崎棟』 の各部屋へ、夫婦そろって挨拶に回った。一番先に棟長宅を訪ねると、休日で家...

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【社宅ラプソディ】 3-1.棟長はキョウコさん
「はじめまして、川崎棟の棟長を務めております、川森今日子でございます」「佐東です。よろしくお願いします」「さきほどはおいでいただきましたのに、留守にしており失礼いたしました」よどみなく口上を述べた川森今日子は、手本のような丁寧なお辞儀をした。長身の背中が見えて明日香もあわてて頭をさげながら 「佐東明日香でございます。お願いいたします」 と言うべきだった、「あっ、はじめまして」 も言わなかったと気が...

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【社宅ラプソディ】 3-2.棟長はキョウコさん
「入居時のご近所へのご挨拶は、できましたら、ご夫婦で行かれることをお勧めします。今後のおつきあいにも響いてまいります。お隣だけでなく、できるだけ多くの方にご挨拶なさってください」さきほどみなさんのお部屋に伺いました、川崎棟以外のお宅にも挨拶に行ったほうがいいですかと亜久里が聞くと、「ご挨拶回りを終えられたのですね。余計なことを申しました。失礼いたしました。居住棟以外へのご挨拶は、行かれる方もいらっ...

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【社宅ラプソディ】 3-3.棟長はキョウコさん
「グリさん、お疲れさま~」「明日香も、お疲れさま」川森今日子が、『ゴミ分別パンフレット』 を届けるために再びやってきて、「ご挨拶代わりに」 と置いていったビールで乾杯して、オードブルの皿に箸をのばした。オードブルも川森今日子からの差し入れである。「いらっしゃったばかりで買い物も不自由だと思いまして、余計なこととは思いましたがお持ちいたしました」 と添えられた言葉に、亜久里も明日香も恐縮しなが...

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【社宅ラプソディ】 3-4.棟長はキョウコさん
「川森さんのは本格的、私みたいに 「混ぜてできあがり」 じゃないの。キッチンには調味料がズラッとそろっててさ。何でもできて、手際も良くて、気が利いて頭も良くて、ちょっとおせっかいが過ぎるかなって思うこともあるけど、いい人よ。あっ、ごめんなさい。初めての方にこんなことおしゃべりしちゃって」『信和会』 を仕切っているのも川森棟長で、あの人についていけば心配ないよと、美浜はこの辺から気さくに話しかけるよ...

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【社宅ラプソディ】 4-1.奥様たちのブランド
週明けの 『信和会』 には40人ほどが集まった。一棟にすべて入って24世帯、空き部屋もあるため、三棟全部合わせても50世帯に満たないのに、会員の8割が顔をそろえたということになる。『信和会』 代表の川森今日子の挨拶はあいかわらずよどみなく、新会員の簡単な紹介のあと、自己紹介をしてくださいと言われて三人は前に出た。『小野棟』 の大橋かなえは三人の中で一番若く23歳、17歳年上の職場の上司と結婚したばかり...

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【社宅ラプソディ】 4-2.奥様たちのブランド
一番難しい学部と言えば……「医学部ですか。すごいですね」 と言った明日香へ、「いいえ、医学部ではないの。うちの息子は文系なの」 と早水棟長は苦笑いした。 最難関大学の東大だったら 「うちの息子は東大よ」 と言うだろう、そうでないということは……「一橋ですか」 と勢い込んで言ったのに、「いいえ」 と首を振った。文系だから東工大でもない、息子さんだからお茶女は問題外、となると……隠れた名門がある。「東京...

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【社宅ラプソディ】 4-3.奥様たちのブランド
『信和会』 のあと、明日香は坂東五月と一緒に会場から出た。「明日香さんとキョウコさんたちとのやり取り、おもしろかった」 「えーっ、私、必死だったんですよ」「明日香さん、大学をことごとく外すんだもの。わざとかと思っちゃった」「わざとじゃないです。本当に思いつかなくて……グッチ小泉さんは、どうしても私に大学を言わせたいみたいで、でも、思い出せないし、ホント焦りました」「グッチ小泉さんって、明日...