恋愛小説文庫 花模様

【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 1
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 1

冬の柔らかな日が差し込む部屋に、紙の上をすべる鉛筆の音が響く。部屋の中央に置かれたテーブルの上には空き箱が二つ、無造作に置かれている。これが今日の課題か。先々週はボール、先週は箱がひとつ、今週は箱が二つ。講師はどんな基準で課題を決めのか、美術の才能のない私には見当もつかないが、早苗大叔母は今週の課題は何かと考えるだけでワクワクするそうだ。ときどき腕を伸ばして箱のサイズを確認する大叔母の目は真剣で、...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 2
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 2

千寿マリオの絵画教室が開かれる部屋は、この屋敷の先代の主、礼次郎大叔父のこだわりが詰まった客間で、十分な広さがあり玄関にも近い。当初、絵画レッスンは大叔母のプライベートルームでと考えたが、家の奥に家族以外の者を入れるのがためらわれた。それというのも昔、大叔父が支援していた画家を目指す男が、大叔父の居室から美術品を盗んだ事件があった。懇意にしていた美術商から、近衛家所蔵の油絵を売りに来た者がいると知...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 3
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 3

絵画教室の終わりとともに、冬室七海は大叔母と千寿を促して大叔母の自室へ行き、もとより遊ぶつもりでいた公康君と結姫は部屋を飛び出していった。「お茶をお持ちいたしました」アトリエに残った私と服部さんのもとへ茶菓を運んできたのは、この家の奥を取り仕切る佐山さんだった。長年大叔母の世話係だった佐山さんは、現在はその役を新人の根岸さらさに譲り、彼女の指導係も務めている。「お子様方は結姫お嬢さまのお部屋にいら...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 4
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 4

「雨になりそうね……いってらっしゃい」 日曜日の朝、曇天の空を気にしながらゴルフに出かける私を、ベッドの中から見送り微笑む珠貴の顔から感情は読み取れない。昨夜も今朝も、珠貴が七海についてふれることはなかった。又従姉妹の私への思わせぶりな視線と絡めた腕を目にして、良い気分ではなかっただろう。七海へ特別な感情はないと言いたいのに、うまく言葉が見つからない。まだ眠そうな目の珠貴になにも伝えられず、もどかし...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 5 
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -夢の色- 5 

父の代理で出かけたゴルフ場で見た冬室七海は、私が知らない顔をしていた。経営者もしくは企業トップにありがちな、良くも悪くも自己主張が強い相手との会話も笑顔で軽やかにこなし、楽しげにプレーに興じる様子は新鮮だった。コンペで一緒だった 『近衛商事』 社長、近衛吾郎さんが言った通り七海のゴルフの腕前はかなりなものだったが、それをひけらかすそぶりはない。千寿マリオに会うために我が家でおこなわれる絵画教室に押...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 1
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 1

宗から佐山三代さんが語った、30数年前の盗難事件の新たな事実を聞いたのは、そろそろ日付が変わろうという頃だった。今夜は私たち夫婦だけの夕食で、話題の中心は食事のテーブルにいない子どもたちのことばかりだった。食事のあと急に黙り込んだ宗の様子が気になりながら、私からどうしたのと聞くことはなかった。誠志郎と京志郎は今朝から私の実家に行っており、夕方には戻る予定だったが、ふたりとも遊び疲れて寝入ったため、こ...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 2
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 2

真夜中の遠雷に気がついたのは、親密な時を過ごし、荒く弾む息が落ち着いたころ。やがて雨が降り始め、雷鳴はいよいよ大きくなってきた。近くに落ちたのではないかと思うほどの轟音に、驚き体を震わせた私を宗の手が抱え込んだ。頭上で鳴り響く雷に身を固くしながらも、甘い余韻の残る夫の胸はやすらいだ。「珠貴は、雷が苦手だった?」「好きな人はいないでしょう」ふたたび雷鳴がとどろき、宗の胸にしがみつき顔をうずめた。「俺...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 3
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 3

どこの世界にも、光と影、表と裏がある。昔、我が家で起こった盗難事件の裏側には、妻の不貞を疑う夫の黒い感情が潜んでいた。正巳さんから疑いの目を向けられた敬子さんは、子どもが夫の子であると証明したが、夫婦仲の修復には至らなかった。離婚は時間の問題と思われたが、礼次郎大叔父はふたりの離婚に難色を示した。「もとより正巳様は、敬子様を手放すおつもりはございませんでした。そのころ、敬子様のご実家は、結婚された...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 4
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 4

役員就任など新人事による体制で会社が動き出してもまだ、新社長の知弘さんは多忙で、昼なら時間が取れるということで、以前から約束していた友人たちとともに 『割烹 筧』 を訪れた。昼時の割烹は女性客が多いのか、待合の衝立の向こうから女性たちのにぎやかな声が聞こえてきて、その中に聞き覚えのある声があった。宝飾部にいた頃の顧客で、近年急成長した通販会社社長を夫に持つ大垣夫人は、毎月のようにネックレスや指輪の...
【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 5
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【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -イーゼルの裏側- 5

「宗……どうして、冬室七海さんなの?」「えっ? どうしてといわれても、七海を誘ったのは吾郎さんだからなあ」今日も先週と同じメンバーだよと言いながらゴルフウエアに着替える背中に、この数日、頭から離れない疑問を口にした。私の唐突な問いかけに振り向いた顔は当惑した様子で、吾郎さんが彼女を呼んだ理由はわからないと、あわてたように付け加えた。「ごめんなさい。そう意味じゃないの。七海さんのお母様は、近衛から離れ...