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桜の下で
桜が舞う頃思い出す君と初めて会ったのは 京極家の庭だったね祖父に連れられて 初めて行った君の家それは見事な桜の木の下で 君は散った花びらを集めて遊んでいた「あれがお前の許婚だ 行っておいで」あまりに夢中に遊んでいる君に声を掛けられず ただ立っていると祖父はそう言って僕の背中を押した「こんにちは 楽しいの?」「うん」僕の問いかけに 顔を上げることもなく もくもくと花びらを集めていたね「名前をおしえて...
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近衛紫子の華麗なる日常
良家の子女がそうであるように、結婚前の紫子の日常も稽古事で埋まっていた。 華道茶道はもとより、フランス料理、日本料理、それに大学から始めた古楽器。そして、祖母につきあって和歌と香道も嗜んでいる。その間にスポーツクラブで汗を流し、エステに行って肌を整える。 語学は小さい頃から身につけていたため、英語、フランス語は日常会話には不自由しない。そして最近、オペラの歌詞を理解するためにイタリア語を始めた...

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木立の中で ― 前編 ―
夏の日の、木々から零れる日差しの中で見る君の透き通る白い肌は、いつにもまして眩しくて、目を背けたくなるほど魅惑的だった。肩からのびた腕、更に続く指は僕の手を無造作に握っている。時折触れる君の胸元は必要以上に僕の意識を刺激した。湧き上がる感情を抑えられず、君の襟足に唇をおいた。薄っすらと汗をかいた肌が、余計に僕の感情を焚き付ける、彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに不服そうな表情を浮かべた。「……潤一郎...

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木立の中で ― 後編 ―
鳥の声が聞こえるよ…… 穏やかな息遣いで彼が耳元でささやいた。 そうね……と返したつもりだったのに、私の声は熱く漏れる息で消えていた。 「野鳥かな、名前を知ってる?」 いいえ、と言えず首だけを振る。 綺麗な鳴き声だねと、また彼がささやいた。 鳥の声も林の音も、私の耳には聞こえない。 聞こえてくるのは彼の静かな声と、騒ぎ立てるような自分の胸の音だけ。 薄い夏の服が肌から離れると、夏の空気にさらされた肌...

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近衛潤一郎の休日
近衛潤一郎を知る人は、誰もが口をそろえて言う。 『温厚な人柄で愛妻家』 だと…… 潤一郎が結婚したのは数年前、妻となったのは、祖父が決めた幼い頃からの婚約者紫子だった。 紫子の成長を見てきた潤一郎にとって、結婚前もそのあとも、彼女がそばにいるのが当然で、ありったけの愛情を注ぐ唯一の相手である。 『外務省国際情報局 第五国際情報室 情報担当官』 潤一郎の名刺には、このように記されているが、 彼の実質的任...

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森と湖の国へ 前編
成田からヘルシンキまで、経由地によっては待ち時間も含めて20時間もかかるが、直行便なら10時間半で着く。 旅のルートとして潤一郎が選んだのは、日本の航空会社が運行する直行便だった。 ビジネスクラスのシートは快適で、就寝時フラットになるシートは寝返りができるほど広く、プライベート空間も確保されている。 長時間のフライトはハイクラスシートに座るべきだ、というのが潤一郎の考えで、移動の疲れを残さないため...

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森と湖の国へ 後編
森と湖の国は、サンタクロースの国としても知られている。 「サンタのモデルは昔のトルコの司教と言われているが、ヨーロッパ各地にサンタクロース伝説はあるよ。 サンタは双子だったとか、悪い子に仕置をしたとか、北極に住んでいたがトナカイの餌に困って北欧に移住したとか、夢のあるものからダークなものまでね。 そういえば、ゆかは中学に入る頃まで信じていたね」 「だって、誰も教えてくれなかったんですもの。潤一郎さん...

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庭のある家 1
大通りから二つ目の筋を折れ、目の前にあらわれた塀にそって進んでいくと、雰囲気のある数寄屋門にたどり着いた。 大屋根と格子戸の前まで来て歩みを止めた潤一郎に続き、紫子も立ち止った。 「あらためて見ると大きいな」 「そうね。何度もこの道を通っているのに、しっかり見たことはなかったわ」 「都会の中の昭和、いや、大正かな。ここだけ時代に取り残されたようだ」 数寄屋門には時代を経た重みと風格があった。...

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庭のある家 2
商事の小原です、と名乗った男性は、庭の奥に設けられた腰を落ち着ける場所に潤一郎と紫子を案内した。 切り出したままの岩の形を生かしたテーブルの上には、いつの間に準備したのか茶菓の用意ができていた。 お茶をどうぞと二人に勧めたあと、小原は名刺を差し出した。 「近衛商事財務部におります小原でございます。こちらの財務管理を任されております」 「近衛潤一郎です、今日はよろしくお願いします。妻の紫子です」 紫子へ...

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庭のある家 3
しばらくぬくもりにくるまれていたが、すっきり目覚めたため寝ていられない。 潤一郎は起きて身支度を整えた。 「まだ7時前だ。ゆかはゆっくりしているといい」 「潤一郎さんは?」 「そうだな、新聞でも読むよ」 「じゃぁ、私も起きようかな」 寝ているのがもったいない気分なの、旅気分を楽しみましょうと言いながら、潤一郎に続いて身支度をはじめた。 フィンランド旅行を取りやめ残念に思っているだろうに、紫子か...

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庭のある家 4
二日目は朝から重い空気が立ち込め、空は今にも雨が降り出しそうな雲に覆われていた。 案の定、朝食が終わる頃には雨が降りだし、潤一郎は今日の予定を変更せざるを得なくなった。 近所に個人所有の美術館があり、そこまで散歩がてら歩いていこうと予定していたのだが、あいにくの雨で中止を決めたのだった。 「お車をご用意いたしましょう」 と小原は当然の提案をしたが、潤一郎は穏やかに断った。 「今日はやめにします。...

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【カノン】 ジェラシー 1
霧が立ち込める今朝も、紫子は散歩に出かけた。 犬を連れての散歩は屋敷周辺にとどまらず、時には数キロに及ぶこともある。 途中で出会う人々との挨拶も日常になり、ドッグオーナー同士の会話で立ち止まることも少なくない。 近衛分家長老の遺言で家屋敷を相続した一年前、一頭のダルメシアンもともに譲り受け、それまでの夫婦だけのマンション住まいから、広い家屋敷と犬との生活がはじまった。 生活に大きな変化がありながら、さ...