【違反切符】 ― 大切な人 ― 後編
- CATEGORY: 違反切符 結婚白書Ⅰ
結納をかわす
なんて古風で甘美な言葉だろう
私達は 3ヶ月後に結婚する
去年の春 思いがけず見合いをした
結婚なんて考えてもいなかったのに
いきなり会わされて
断る理由がなくて
毎日彼と会った
友人達は 5日間で結婚を決めてしまった私を ”信じられない” と口々に言う
以前の私なら 同じことを言っただろう
でも こんな出会いもあるのだと 今なら言える
振り袖は 着付けができる姉が着せてくれた
「このお着物 袖を通すのは今日が最後ね」
母が感慨深く 着物の柄に目を落とす
髪を高く結い上げたため 首を撫でる風が冷たかった
春の訪れを待って 私達は結納をかわした
濃紺の背広を着た高志さんが 私を眩しそうに見ている
横に並ぶと 気恥ずかしい
けれど 嬉しさがこみ上げてきた
「着物 似合ってるよ」
耳元で素早く言うと 彼は照れくさそうに 顔を背けてしまった
高志さんが わが家に結婚の挨拶に来たあと
叔母達は そろって今後の段取りをさせて欲しいと言ってきた
「これから 二人で話し合って決めていきます」
「でも 離れてる貴方たちには無理よ」
「いえ 大丈夫ですから」
「結納はちゃんとやってね これは譲れないわ」
叔母達には世話になったし これ以上は反対できなかった
「ここに 桐原家 杉村家の婚約が無事ととのいました おめでとうございます」
お仲人さんが 私達の婚約を告げる
高志さんにはめてもらった婚約指輪が 薬指で誇らしげに見えた
夕方 私を迎えに来た彼は いつもと同じなのに
この人が私の婚約者だと 意識してしまう
水族館は私にとって思い出の場所
ここは 高志さんと初めて会った日に来た
そして 翌日の夜も……
「前のジンベイザメに比べて小さいね これも大きくなるのかなぁ」
あの時と違うのは 水族館に入ったときから 二人の手が繋がれていること
以前付き合っていた彼が いきなり目の前に現れ 動揺した私を
彼は 力強く手を引いて その場から連れ去ってくれた
その日を境に 私の気持ちは彼から完全に離れ 高志さんに向いていった
今は この人にすべてをゆだねて 安心して歩いている
こんなに穏やかな時がくるなんて あの時は想像もつかなかった
「この時期の水族館って 寒々しくてちょっと寂しいね」
首のあたりに冷気を感じ ブルッとふるえると
彼の大きな手が肩にまわされて 引き寄せられた
「寒そうだね ラウンジで温かいものでも飲もうか」
デンキナマズの青い光も 今夜は冷たく見えた
昼間 海が見渡せる展望ラウンジは 夜は対岸の夜景が見える
閉店間際のせいか 店内は人気がなく閑散としていた
寒気を感じ 首に手を当てた
「わっ 冷たい」
彼も 手の甲を私の首にあてる
「和音の首 冷えきってるよ」
そう言うと 私の首を両方の手で温めてくれた
「高志さんの手って温かい このままじっとしていたいなぁ」
気持ちよくて目を閉じた
「水族館は 私にとって大切な場所なの 高志さんのお陰で 前へ進むことが出来たから」
「俺にとっても大事な場所だよ あのとき 和音を大事にしたいと思った」
首に当てられていた手が 頬を 唇をなぞる
目を閉じたまま 彼の手を敏感に感じていた
この人と いずれ結婚するのだという安心感は
何の迷いも 不安もなく
何度目かの再会で 彼と肌を重ねた
コーヒーの香りが近づいてきて 彼の手が離れる
「明日も 朝から式の打ち合わせだね
せっかく帰ってきても 最近は打ち合わせや準備に時間を取られてばっかりだ」
「そうね でも自分たちで決めますって 親や叔母さん達に 大見得を切っちゃったしね・・・」
「そうだけど 結婚式の準備がこんなに面倒だとは思わなかったよ」
恨めしそうな顔が こっちを見ている
「ゆっくりデートをする暇もないよなぁ
来月 東京に来るよね
今度は社宅の案内だけだし ゆっくりできるんじゃないかな
また 俺の部屋に泊まるんだろう?」
高志さんが 意味ありげに口角をあげる
手を伸ばして その口を思いっきりつねった
こんな他愛のないことも 一緒にいるからできること
二人だけでいられる時間は あまりにも少なかった
翌日は ホテルで結婚式の打ち合わせ
二人の時間はあっという間に過ぎ去っていく
私の嫌いな時が近づいていた
今日も空港は空いていた
東京への最終便
出発ゲートの前は人も少なく 余計寂しさを感じる
別れが近づくと 素直に寂しいと言えなくて 二人とも無口になる
彼が いきなり私の手を引いて奥の通路に入った
抱きしめられて
唇が重なった
息をするのも忘れるくらい
周りの音も聞こえなくなるくらい
彼だけを感じていた
高志さんが東京に帰った数日後
朋ちゃんから電話をもらった
仕事のあと 食事をする約束をした
「はい 婚約のお祝い 気に入ってもらえると良いけど」
ジュエリーボックスだった
「兄貴 和音さんに会ってから ずいぶん変わったんですよ」
「変わったって 何が?」
「ほとんど帰省しなかったのに 一月おきに帰ってくるでしょう
それから 私に和音さんのこと 嬉しそうに話したり 和音さんに ぞっこんなんですよねぇ」
「そんなこと……恥ずかしいじゃない 朋ちゃんは付き合ってる人いないの?」
「いるには いるけど なんとなく一緒にいるだけで 私って 恋愛にのめり込めないタイプみたい」
まるで人ごとのように 自分の恋愛を冷静に分析していた彼女が
この二年後 身を焦がす 激しい恋愛をすることになる
家族になる人
義理の妹になる彼女
これから私は 彼女の一番の理解者になってゆくのだった
「朋ちゃんと食事に行ったの 朋ちゃん 付き合ってる人がいるんだって」
「へぇ そうなんだ そんなこと 俺には言わなかったなぁ 和音には話をしたんだ」
「来週 そっちに行くね」
「うん 楽しみにしてるよ」
電話のやりとりも あと2ヶ月
私達は もうすぐ結婚する
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