【Shine】 1 ― 警視 神崎籐矢 ―
- CATEGORY: Shine Episode Ⅰ
午後の訪問者は、静かなフロアに刻むような足音を響かせながらやってきた。
キーボードを叩く指を止めた水穂は、入室の気配を感じながら注意深く背中で観察していた。
しっかりした足取りから、男性であることはすぐに特定できた。
乱れのない足の運びは落ち着いており、それなりの経験を積んだ人物であるはずだ。
この足音は分室の誰かではない、ということは、今日付けで配属される警視か……
好奇心から体をずらし窓際の室長席付近に目を走らせた水穂は、目の端に入った風貌に驚きと落胆を覚えた。
室長にとっては頼もしい人物の登場だが、水穂にとっては眉をひそめる人物がそこにいた。
大きく肩を落とし、そして、何事もなかったようにディスプレイに目を戻した。
東郷室長は近づく人の気配に、おもむろに立ち上がり懐かしそうに彼へ手を伸ばした。
「神崎君、待っていたよ。良く戻ってくれた」
「東郷さん、お世話になります」
神崎と呼ばれた男はそれまでの硬い顔が一瞬緩み、口の端で微笑みながら握手を受け取ったが、男同士の短い挨拶がすむとわずかな笑みは消え、独特の孤独を纏った顔に戻った。
「みんな聞いてくれ。神崎籐矢警視だ。ICPOに出向していたが、今日付けで分室に配属された」
「神崎です。よろしく」
神崎警視は軽く腰を折って浅く頭を下げた。
昨日、庁舎裏である事件が起こった。
警察機構への抗議や非難を訴える集会は日々どこかで行われ、当局との摩擦が繰り返されていたが、その団体の行動は一風変わったものだった。
ビラを配るわけでもなく集会をするでなく、数十名が集まって静かに立ち庁舎を睨みつけていた。
彼らが着ているTシャツに、抗議を唱える文字の羅列があることから、現在国会で審議されている懸案へ不満を募らせ集まったものと思われた。
明らかに抗議集会の様相を呈しているが無言のままである。
彼らへ 「集会の許可がない」 と立ち退く要求をしても 「集会ではない」 と言うばかりで埒が明かない。
警備の警察官とのにらみ合いが数時間にも及んだ頃、どこからともなく現れた長身の髪の長い男が何事か言葉を発すると、無言の集団はいきり立ち、瞬く間に暴徒と化した。
最初に手を出したのは集団のリーダー格の男だった。
長髪の男はその時を待っていたかのように応戦し、暴徒を押さえ込んだ。
それは、すさまじいまでの殺気を帯びていたと、捕まった一人が証言している。
長髪の男が神崎籐矢だった。
東郷室長が、みなの前で神崎の行動を武勇伝のごとく伝えたが、水穂は「警察官にあるまじき行為なのに……」 と苦々しい顔で聞いたのだった。
そんなこともあり、香坂水穂の神崎藤矢に対する第一印象は、決して良いものではなかった。
まず、警察に従事する者の風体ではない。
髪を伸ばし、後ろで結んでいるのには眉をひそめた。
室内でもサングラスをはずさず、分室の職員への挨拶の軽々しさも気に入らない。
ましてや、昨日の事件の中心人物である。
どれをとっても彼へ向けられる感情は ”好意” からはほど遠いものだった。
水穂の家は、代々警察幹部を輩出していた。
父も祖父も警視監にまで上り詰め、水穂の弟圭佑への期待も大きい。
そんな弟に負けまいと、がむしゃらに努力する水穂だったが、男社会の中では空しさを感じることも多かった。
神崎の態度から弟や自分の立場に気をめぐらせていたため、神崎がそばに来たことに気づかなかった。
「アンタは香坂圭佑の姉さんか」
いきなり問われ、緊張が走った。
「はい、圭佑は弟です。現在は公安部におります」
思わず立ち上がり形式的に答えたが、水穂はドキリとした。
神崎のサングラスははずされ、メガネの奥には想像もしない穏やかな目がこちらを捉えていた。
「圭佑、神崎警視を知ってるの? 今日、圭佑の姉さんっかって聞かれたの」
「神崎教官、帰国されたんだ!」
帰宅後、弟に警視を知っているかと尋ねると意外な答えが返ってきた。
神崎警視は、圭佑の警察学校時代の指導教官だった。
第一線の警察官が、なぜ警察学校に配属されていたのか、思ったままの疑問をぶつけると……
「教官、自分のせいで近しい人を亡くしたらしい」
「神崎警視の過失なの?」
「詳しい事はわからないけど、その事件のあと現場を離れて、僕らの教官になったって聞いた……」
その後、警視庁に戻らずICPOに出向したのだと、圭佑の口は質問以上のことを話した。
「そうか、姉さんと同じ部署か、近いうちに挨拶に行くよ」 と圭佑は懐かしそうな顔になり、警察学校時代の神崎の話を続けたが、水穂はその半分も聞いてはいなかった。
神崎警視の過去に興味を持ったわけではないが、なんらかの事情で事件が起こり、神崎が責任を感じて現場を離れたのではないかと聞き、水穂の中の神崎に対する悪い印象が少し薄らいだ。
水穂が所属する刑事部の分室は、難事件の解決が求められる部署だけに、精鋭が集まり活気に満ちあふれている。
そんな中、神崎の存在は一種独特で、誰にも混じり合おうとしない。
水穂は隣に座る神崎の感情を読めない横顔を一瞥すると、今日何度目かのため息をつき、神崎とコンビを組むようにと東郷室長から告げられた日のことを思い出した。
「彼は気難しいところもあるが君ならできる、適任だと思う。神崎君をよろしく頼む」
「室長、困ります。神崎警視は人の言うことなんてこ聞きません。どうして私が適任なんですか」
これでは立場が逆ではないかと、座ったままの室長の頭へ小声で、しかし、声を強く抗議した。
水穂の面倒を神崎が見るならわかるが、水穂へ神崎を頼むと室長は言ったのだ。
「俺が君を見込んだんだよ。なぁに、香坂なら大丈夫」
何を根拠に大丈夫と言えるのかと、よほど言い返そうかと思ったものの、一見穏やかな東郷室長は見た目より頑固であることを水穂は知っている。
こうと決めたら誰も覆せないのが室長の決定であることも……
「わかりました」 としぶしぶ返事をしたが、その日から水穂は思い悩んでいた。
あの取っつきの悪い神崎警視と、どうしたら仕事がスムーズにいくだろうか。
とりあえず、急を要する事件は起こっていない。
今のうちに、なんとか彼との接点を見いだそうと考えていた。
国際捜査課から応援の依頼があったのは、それから間もなくだった。
逃亡中の犯人を捕らえたが、麻薬の取引現場を特定できないとのことだった。
今夜取引が行われるのは確実で、犯人のメモや記録から数カ所が限定されたが、数カ所すべてに職員を配置するのは不可能である。
分室総動員で応援にあたるよう指示があり、騒然とした雰囲気の中、神崎だけは悠然と構えていた。
誰もが先日の事件で暴徒を沈静化させた神崎の動きに注目している。
それなのに、彼は一向に動こうとしない。
神崎が動かない限り、水穂も勝手に動けない。
何かしたいのに、何にもできない自分がもどかしかった。
一向に動こうとしない神崎と香坂を残して、他の捜査員はそれぞれの現場に散っていった。
「神崎さん、私たちも動いたほうがよいのではないでしょうか。ここにじっとしていても進展はありません」
水穂の言葉は落ち着き丁寧でありながら、顔には抑えきれない苛立ちが浮かんでいる。
神崎は、立ったままの水穂の手首を掴んで椅子に座らせた。
「アンタの顔を見ていると飽きないね。百面相みたいだ」
緊迫した状況の中、神崎の声はのんびりとしていた。
水穂は神崎に馬鹿にされたのかと腹を立て、「ふざけないでください」 と言おうとして思いとどまった。
切れ者と噂の神崎警視が、この局面でただ座っているわけはない。
きっと、この人なりに戦略があるのではないだろうか。
水穂はむき出しになりかけた感情を押し込め、つとめて冷静に問いかけた。
「私の百面相を見て楽しむ余裕があるようですね……情報分析中ですか」
その問いに、神崎はニヤリと笑った。
「アンタ、良い勘をしているね。こんな場合は動かないに限る。
むやみに動くと相手を警戒させる。大勢で動けばこちらの動きを察知されてしまう」
そう言うと、神崎の指がキーボードの上で忙しく動き出した。
しばらく画面を凝視していたが、やおらタバコを取りだし火をつけると、のんびりと煙の行方を眺めている。
「ここは禁煙ですよ。何度言ったらわかるんですか!」
水穂が神崎の口からタバコを奪い取る。
このやり取りを、もう何度しただろうか。
必死な顔の水穂へ 「固いこと言うなよ」 と神崎が返すのも、日々分室で繰り返される風景になっている。
そんな彼らを、東郷室長は面白そうに見ていた。
メール受信音が響くと、神崎は灰皿代わりの空き缶でタバコをもみ消し、PC画面に釘付けになった。
「室長、場所が特定できました」
その声を待っていたように室長は立ち上がり、神崎と打ち合わせを始めた。
水穂の入り込むスキなどどこにもなかった。
疎外感を感じながら、それでも二人のやりとりに耳を傾ける。
「よし、これで飛び出していったあいつ等の働きも、無駄足にならないだろう」
神崎への礼ともとれる言葉のあと、室長は散っていった捜査員に再度指示をだす。
「警視、あのう……ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
水穂は、さっきから気になっていることを神崎に向けた。
「こうなるとわかっているのに どうしてみんなが出て行くのを止めなかったんですか?
時間の無駄だと思うのですが……」
神崎が水穂の顔を捉え、またニヤリと笑う。
「アンタみたいに柔軟な考えの人間はまだ少ない。日本の警察は、足でかせぐことを美徳としているからな。
さっき俺が動くなと言ったところで、誰も俺の話など聞きはしないだろう」
そう言うと、またタバコを取りだし火を付けて、「アンタがパートナーで良かったよ」 と独り言のように呟くと満足そうに微笑んだ。
人気のない部屋に、神崎のタバコの煙が悠々と流れ漂っている。
「もう、どうして言うことが聞けないんですか。ここは禁煙です!」
神崎は、水穂がタバコを奪い取るのを楽しんでいるかのように、何度もタバコを取り出しては火をつける。
水穂はつかみ合いさながらに、神崎から箱ごと奪い取ったタバコを握り締め彼を睨みつけたが、その顔に反省の色などどこにもなく、しばらくすると、手品のように袖口から取り出したタバコをくわえて火をつけた。
「神崎さん!」
水穂は、あらんばかりの声をあげ神崎を叱りつけた。
叱りながら、緊迫した状況でも平然と構える神崎の、得体の知れない大きさに触れた気がしていた。
タバコが一本灰になると、神崎はおもむろに立ち上がった。
「水穂、出かけるぞ」
「ちょっと、いきなりなんですか。待ってください。
それに、どうして名前で呼ぶんですか。苗字で呼んでください」
背を向けたまま神崎が応じる。
「香坂って名前を口にすると、アンタのオヤジさんや、出来の良い弟を思い出すんだよ」
神崎籐矢……
水穂が、彼の無鉄砲とも言える偉大さを知るのは、もう少し先のこと。
神崎藤矢と香坂水穂のコンビは、その後難事件を解決してゆくことになる。
