【Shine】 2 ― 潜入捜査 ― 後編
- CATEGORY: Shine Episode Ⅰ
「礼拝堂」 と書かれたホールに、千人以上がひしめき合うように座っていた。
整然と、誰一人声を発することなく静かに待つ様子は異様な光景だった。
人が集まればザワザワと多少のささやき声が聞かれるものだが、無駄口を叩く者はひとりもいない。
伝道師と呼ばれる人物が、良く響く声で教典を説いていく。
教団の教え自体に不自然さはなかった。
自然とともに共存しようという教えは、むしろ共感を呼ぶものだと水穂は思った。
教祖の登場により、ホールにいる人々から感嘆の息が吐き出され、静かな熱気が立ち込める。
ゆったりとした語り口調で、ホール内を穏やかではあるが荘厳な雰囲気に変えていく。
カリスマと言う言葉が当てはまる人物だった。
教祖の話が終わり、ホールに集まった人々の昂ぶりを神崎は肌で感じていた。
この統一された思いが、宗教ではなくほかに向いたらどうなるのだろう。
集団心理の恐ろしさを充分に知っている神崎の危惧が、的中する事態が起ころうとしていた。
教祖が退いたあと現れた男は、教団の経典を引用しながら、世界の各地で自然破壊が進む現状を憂い、近い将来人類は危機にさらされるだろうと口にした。
いつの間にか国や自治体への糾弾がはじまり、世論を持ち出しながら国家批判の流れとなっていた。
もろもろの不安要素を並べる男の言葉に、人々の顔が同調していく。
突然、観衆の一人が叫んだ。
「こんなことでいいのか。われわれは、今立ち上がるときではないか!」
男の呼びかけをきっかけに、整然としていた群集が騒ぎ出した。
「水穂、俺のそばを離れるな」
神崎は水穂の体を押し出すようにホールの外へと歩きだした。
「騒ぎを止めなくていいんですか? 私たちの仕事じゃないですか!」
それには答えず、水穂の腕を掴み引きずるように進む。
その顔は、常に周りを警戒していた。
神崎の顔が一瞬強張った。
が、それも一時……
無理やり外へと連れ出された水穂が、再び神崎へ不満を述べ始めた。
「どうして外へ来たんですか。あのまま放っておいたら大変なことになりますよ。
誰かがみんなを誘導して連れ出さなくては暴徒化します」
「よく見ろ。お前が行かなくても、そういう役目の人間がいるんだよ」
神崎に促されてホール内に目を向けると、いつの間に潜入していたのか、見知った顔の捜査員がところどころで人々を誘導していた。
「俺は……テロの群集に巻き込まれて知り合いを亡くしている。そこにいたばかりに命を失った。
運が悪かったと誰もが言うが、だからなんだ。死んだらおしまいだ。あんな思いはもうたくさんだ」
はき捨てるような言い方だった。
憎悪をにじませ拳を握り締める姿は、水穂が初めて目にするもので、水穂を危険な目に合わせまいとする神崎の思いが痛いほど伝わってきた。
「でも……私は警察官です。ここで黙って見ているわけにはいきません」
刃向かうように言い放ち、水穂はホール内に向かって走り出した。
「待て、水穂!」
神崎の声は群集の声にかき消され、水穂を追いかけようと前に出た体は、暴徒と化した信者により行く手を阻まれた。
意に反して外へと押し戻され、ホールに近寄ることすらできなくなっていた。
神崎は引き止める声を振り切って飛び込んでいった水穂の身を案じながら、正義感あふれる部下の姿に以前の自分を重ねていた。
昔の自分なら、危険を顧みず先頭をきって群集に飛び込んでいただろう。
応援部隊に任せ、自分は安全な場にいようなどとは思わなかったはずだ。
テロを憎む気持ちが薄れたわけではないが、いつの間にか正義感はさび付いていたようだと自嘲の笑いがもれた。
今日の暴動はあらかじめ予測されていた。
信者に紛れて潜んでいた捜査員は、騒動が起こるや否や動き出した。
神崎は自嘲の笑みを消し去ると、次の行動に移るために建物の外へと足を向けた。
捜査員から次々と報告が入り、それに対して次の指示を与える。
ほどなく騒ぎは静まるだろうと判断すると、東郷室長へ気になる情報を添えた連絡を入れた。
『それは確かか』
『断定はできませんが、おそらく……』
『そうか、戻ったら詳しく聞かせてくれ』
『わかりました』
施設内を歩き回り、ホールで目の端を掠めた男を探したが、どこにも見当たらない。
もっとも、この騒動では誰が誰だかわからず、逃亡はたやすいものと思われた。
見間違いだったのか……いや、確かのあの顔だった。
数年前、都内で発生したテロ事件の重要参考人は、警察の執拗な捜査の手をすり抜け不起訴となった
忘れられない過去が蘇り、神崎の胸に苦々しい思いが去来する。
集団の暴走を見越して、あらかじめ配置された捜査員の手際よさと、地元警察の介入もあり、思いのほか短時間に騒ぎは収まった。
水穂は車に寄りかかって立つ神崎を見つけると、早足で駆けつけいきなり頭を下げた。
「勝手な行動をとってすみませんでした。でも黙って見ていられなくて……」
「いいさ、そこがアンタのいいところかもな」
上目使いに見た神崎は、いつものサングラスに戻っていた。
黒いレンズからは、彼の目の動きはわからない。
怒っているのか、呆れているのか……
上司の機嫌を探ろうと、感情の見えない顔を見つめていると、いつもと変わらぬ声がした。
「帰りは運転してくれ。俺は寝る」
「いいんですか? 私の運転は荒っぽいですよ」
「知ってるよ」
来るときと同じ会話が交わされる。
帰りは急ぐ必要もないと言いながら、本当に寝てしまった助手席の神崎を気遣いながら運転する。
この数日、今回の打ち合わせのため遅くまで残って会議が行われていた。
水穂たちが帰っても、神崎や室長はさらに遅くまで残っていたようだ。
助手席に目をやると、神崎は腕組みをしやや頭を垂れた姿勢で寝入っていたが、サングラスが邪魔そうである。
路肩に車を止めて、寝入った人を起こさないようにそっとサングラスを外した。
両の眼を閉じた顔が現れ、鼻筋の通ったその顔は安心しきった無防備なものだった。
「荒っぽい運転でも寝ちゃうんだ。ふふっ、子どもみたいな顔をしてる」
水穂は独り言を言いながら、何気なくサングラス越しに遠くを見た。
「えっ……」
レンズ越しに見える風景がひどく歪んで見えた。
不自然なまでに片方のレンズが矯正されたメガネは、神崎の目が普通でないことを物語っていた。
サングラスは目を守るため……
神崎の秘密を覗いたような気になり、水穂は彼のポケットにそっとしまった。
テロの犠牲になった神崎の知り合いは、女性ではないか。
それもかなり親しく心を通わせた相手だろうと、先ほどより安全運転を心がけながら水穂は思った。
犠牲となった人は誰なのか、その人は神崎とどんなつながりがあるのか、室長や父に聞けば容易にわかるだろう。
だが、聞いてしまうのが怖くもあった。
水穂の中の神崎籐矢が、少しずつ姿を変えていく。
この人は、いったいどんな苦しみを抱えているのだろう。
水穂は神崎の言葉の端々から、彼の過去を繋ぎ合わせようとしていた。
