【Shine】 3 ― 彼と彼女 ― 後編
- CATEGORY: Shine Episode Ⅰ
「どこに行くんですか? あっ、失踪した教団幹部の行方がわかったんですか!」
「いや、それはまだだ。宗教団体に多額の寄付をしていた、企業の社長夫人が亡くなった。
事件との関係はまだ不明だが、お前には夫人の検分に立ち会ってもらう」
「はぁ……楽しい食事のはずが、死体改めですか……神崎さん、恨みます」
「悪いな」
口とは裏腹に、神崎に悪びれた様子はまったくない。
「仕事が終わったらご馳走してくださいね」
「いいとも。しかしなぁ……」
「しかし、なんですか?」
「死体を見たあと、食事をしたがる女も珍しいと思ってね」
「うっ……そんなにひどい死体なんですか」
「さぁて、どうだろうな」
神崎特有の意地悪か、本当のところは教えてくれなかった。
だが、神崎の言うことももっともだった。
仕事を始めた頃は現場に立ち会うたびに、ひどい吐き気に襲われた。
それが今ではどうだろう、どんな状況に立ち会おうが動じることはない。
いかなる場面であっても淡々と仕事をこなすのだから、水穂は自分が捜査員として成長したのだと思いながら、女としての感情が薄れているのかと、少しさびしい気もした。
神崎に茶化されたが、仕事の後は必ず空腹に襲われるのだから、慣れ以外のなにものでもない。
しかし、女性らしさを装うより自然な欲望を選択した。
「食事、約束ですよ」
神崎を見ずに念を押した。
現場に横たわる着物を着た女性の遺体を見た瞬間、水穂は違和感を覚えた。
衣服の乱れはなく、どこが外傷なのかもわからない。
「死因はなんですか?」
「外傷はないから服毒か……まだ捜査中だそうだ」
「自殺では?」
「それもまだわからない。遺書は見つかっていないから、他殺の可能性が大きい。
どうした、なにか気になるのか?」
「えぇ、この人の着物に違和感があるので……
綺麗に着てはいますが、組み合わせがしっくりこなくて」
「おい、お前のファッションセンスはどうでもいい」
「そんなんじゃありません。着物と小物の組み合わせが変なんです」
「変って、どんな風に変なんだ? 俺には普通に見えるが」
水穂は死体のそばにしゃがみこみ、着物を触りながら話し出した。
「着物は、着ていく場所によって細かい決まりがあります。
これは無地と言って、無地を一枚持っているとどこでも通用しますが……
この帯留めはかなり高価なものですね、自慢したくなるような一品です。
大きな宝石の帯留めを絞めるなら、ほかの着物を選びそうなものなのに」
「無地ではいけないの決まりでもあるのか」
「そんなことはありませんけど、宝石の帯留めは、もっと華やかな着物の方が似合います。
かなり地味な着物を着ているので、それが気になって……
帯留めばかりが浮いてるんですよね、なんかしっくりこないというか、うーん」
「このあと茶会に出る予定だったらしい。そこで豪華な帯留めを自慢したかったんじゃないのか?」
「茶会ですか、それならなおさら変です。茶席で宝飾の類は一切身に着けません。
ですから、茶席で帯留めを自慢することはありません」
その場の空気が変わった。
捜査員がいっせいに顔を見合わせる。
「アンタ意外と物知りだな。もうひとつ聞くが、帯留めってのはあとから替えることも可能か?」
「はい、簡単です。この紐は帯締めといいます。着付けの一番最後に締めます」
帯締めを示しながら、水穂は説明を続けた。
「この人、茶席に出るくらいですから、着物のきまりを知らないはずはありません。
帯留めは、第三者がつけたと考えた方が自然でしょう。
着付けはできるけれど、茶席の作法を知らない人だと思います」
水穂の言葉を聞いて捜査員等の動きが慌しくなった。
神崎が満足げに水穂の顔を見ている。
「神崎さん、そのニヤニヤ顔、全然似合いませんけど」
「バカ、感心してるんだよ。さすがにお嬢様育ちは違うと思ってね」
「バカとお嬢様育ちは余計です!」
水穂の指摘から、夫人の髪をセットした若い美容師が容疑者として浮かび上がった。
美容師には多くの借金があることがわかり、すぐに詳しい捜査が始まった。
今回の事件は教団とは直接関係はないと判断され、捜査の主導権は他の課へと移った。
神崎は、約束どおり水穂を食事に連れて行ったが……
「えぇーっ、ここですか?」
「ここですかはないだろう。ここの親父さんに失礼だ」
「あっ、すみません……」
神崎の行きつけなのか、屋台の親父と親しげに話す姿があった。
「事件の後は、屋台で一杯ってのがお決まりなんだよ」
「どこにそんな決まりがあるんですか。刑事ドラマの観すぎです。
はぁ……栗山さんとお洒落なレストランで食事のつもりが、おでんですからねぇ。
次は邪魔しないでくださいよ」
「次があればいいな」
「もぉー、憎たらしいことばっかり。みんな、こんな神崎さんを知らないんですね。
なんで人気があるのかな、ほんっと信じられない」
「ほぉ、俺は人気があるのか。そうだろう、そうだろう、わかるヤツにはわかるんだよ」
コップ酒を傾けながら、得意げな顔の神崎が大根をつついている。
水穂がうらやましい、神崎と一緒に仕事が出来るなんてラッキーだと女の子たちに騒がれ、そのたびに 「全然よくない」 と否定するが、誰も取り合ってくれない水穂としては、神崎の態度が余計に腹立たしい。
”どこがいいの? 口は悪いし意地悪だし、カッコいいなんてどこを見てるのよ!”
ブツブツ言いたいのを我慢しつつ、おでんをもりもりと食べる。
文句を言ってはいたが、ここのおでんはなかなかの味だと胃袋は満足した水穂だった。
「お母さん、私、お茶のお稽古をまた始めようかな」
「急にどうしたの? いいわね、母さんは嬉しいわよ」
家に帰り着いて、先ほどから考えていたことを口にした。
「今日ね、着物の知識が役立ったの。何事も経験かなぁと思ったの」
「そうよ、水穂ちゃんがそんな風に感じてくれるなんて、本当に嬉しいわ。
さっそく先生に連絡しましょう。お稽古日は日曜日でいいわね?」
母の曜子は、すぐにでも電話しそうな勢いである。
大学で家を出た娘が、先ごろ家に戻ってきたことも嬉しいようで、なにかと世話を焼きたがる。
母親のおしゃべりに適当に応じながら、水穂はほかのことを考えていた。
神崎が追っている人物がいるらしい。
それは、例のテロ事件に関係している人物に間違いない。
教団から忽然と姿を消した男と、それを追う神崎。
この事件を解決しない限り、神崎の背負うものは軽くならないのだろうと漠然と思った。
