【Shine】 4 ― ある日の午後 ― 前編
- CATEGORY: Shine Episode Ⅰ
「ここの眺めは格別だな」
「えぇ、本当に。私もときどきここへきて外を眺めますよ」
家の管理を任されている三谷弘乃は、バルコニーの植木鉢に水を与えながら神崎籐矢の独り言に相槌をうった。
弘乃は以前は籐矢の母の実家である京極家の使用人だったが、籐矢の母が結婚するときに神崎家に一緒に連れてきた。
使用人と言っても家族のような存在で、 時には姉のようにやさしく、時には母のような厳しさで子どもたちに接してくれた。
今は、一人暮らしを始めた籐矢のために、週3回ほどここに通って世話をしている。
籐矢は弘乃と言葉を交わしながら、帰国後も家には戻らないと言った時の母親の顔を思い出していた。
「籐矢さん、どうして家にもどらないの。私たちにもわかるように理由を話してちょうだい」
「……一人暮らしが気に入っただけで、別に理由なんてないよ」
母の嘆く顔を知りながら、それでも家には戻らなかった。
哀しそうな顔が頭をよぎる……
家族の中ですごす息苦しさから逃れた結果、母の顔を曇らせることになった。
そんなつもりはなかったのに、思うようにはいかないものだと、籐矢は浅いため息がでた。
「考え事ですか。お母様のことを考えていらしたんでしょう」
「ふっ……ひろさんにはかなわないな」
「私は籐矢さんのお気持ちもわかりますから、これでよかったと思っていますよ。
ですが、たまには神崎のお家にもお帰りになってくださいね」
「わかってる」
籐矢を産んだ母 茉莉子は 、籐矢が4歳のときに病気で亡くなった。
後妻に入ったのは、茉莉子の妹 沙弥子だった。
新しい母沙弥子は、嫁いで一年後に女の子を、二年後に男の子を出産した。
自分の子が生まれたからといって、籐矢に接する態度に変化はなく、甥でもある籐矢へ、自分が産んだ子供たちと変わりなく接した。
母親と壁を作ったのは自分だとわかっていながら、今まで過ごしてきてしまったと後悔もしていた。
そんな籐矢をずっと見てきたのが弘乃だった。
「ひろさん、もうすぐ部下がここにくるんだ。冷たい飲み物でも用意しておいてくれないかな。
アイツのことだから、おそらく走ってくるだろう」
「こちらへどなたかがいらっしゃるなんて珍しいですね。わかりました」
もうすぐ来るであろう籐矢の部下のために、弘乃はキッチンに入り飲み物の用意を始めた。
部下というからには籐矢より若く、走ってくるほど元気のある男性であろうと、弘乃なりの想像を膨らませていた。
インターフォンが鳴り、対応する籐矢の声が聞こえてきた。
「25階の一番奥だ。急がなくていいから、ゆっくりこい」
声の優しさに驚いた。
その後、ドアの先に現れた人物を見て弘乃はさらに驚くことになる。
通されたリビングのソファに、水穂は行儀良く座っていた。
籐矢のマンションへ向かいながら、水穂は勝手な想像をめぐらせていた。
部屋はむさくるしく、男の一人暮らしの陰気な部屋だと思っていたが、想像はことごとく外れた。
掃除が行き届いたリビングは明るく、勧められて腰を下ろしたソファは座り心地も抜群で、ざっとみた感じでは広さも充分にあり、水穂の部屋よりもかなり快適ではないかと思われた。
「神崎さん、こんな素敵なマンションに一人暮らしですか」
「まぁな。親父の持ち物だ。俺に買える代物じゃないと思ってるんだろう?」
「そんなところです」
「バカ、正直すぎるのも可愛げがないぞ」
「またぁ、そのバカって言うのやめてもらえませんか」
おかしなやり取りをキッチンから見ていた弘乃は、籐矢の寛いだ様子に目を見張った。
籐矢は小さい頃から優しい心根の持ち主だった。
幼い妹や弟の面倒もよくみて、妹たちの失敗を自分で背負い、代わりに母親に怒られたことも一度や二度ではなかった。
中学校に入る頃になると、多くの男の子がそうであるように途端に無口になったが、弘乃にだけは母親に言えない事も話をした。
そんな籐矢との関係が、継母の沙弥子の目にどう映っていたのか、わからないわけではなかったが、弘乃にとって籐矢は特別な存在だった。
中学高校と親しい女の子が近くにいたこともあったが、いつのときも必要以上に親しくならず距離をおいた付き合いをしていた。
それがどうだろう、部下の女性へ接する柔らかさは、弘乃が初めて見るものだった。
「冷たいお飲み物をどうぞ」
走ってきた水穂の額には汗が滲んでいた。
ハンカチで汗を押さえながら、水穂はその人を興味をもってじっと見つめた。
「ありがとうございます。あの……神崎さんのお母様ですか?」
いくつくらいだろうと年齢を考えながら、落ち着いた雰囲気をまとう人を観察する。
長い髪をすっきりとまとめた穏やかな目の女性は、この年代にしては背が高い方だろう。
籐矢と似ているような、似てないような……
「いえ、私はこちらでお手伝いをさせていただいている者です」
「紹介があとになったな、こっちは部下の香坂水穂。こちらは……ひろさん、あれ苗字はなんだっけ?」
「三谷弘乃と申します。どうぞよろしくお願いします。香坂さんとおっしゃると、香坂警務部長の……」
「父をご存知なんですか?」
「まぁ、お嬢様ですか。香坂様には亡くなった主人がお世話になりましたので」
「そうでしたか」
夫の死をさらりを告げられて、弘乃にそれ以上を聞くのを躊躇われた。
互いに頭を下げ挨拶が済むと、弘乃は籐矢と水穂を見比べて嬉しそうな顔をした。
「ここにお仕事の方がいらっしゃるなんて初めてですね。それも女性の方をお迎えするなんて」
「そうなんですか? 神崎さん、わりと品行方正なんですね」
「わりとってなんだ。俺に女っ気がないとでも思ってるのか?」
「だって、三谷さんの証言によるとそうじゃないですか」
「おまえなぁ、証言って犯人を追及してるんじゃないぞ。もっと他に言葉はないのか」
弘乃は可笑しそうに二人の会話を聞いていたが、ついに吹き出してしまった。
「あっ、すみません。つい、いつもの調子でしゃべってしまって……」
「いいえ、楽しいですよ。籐矢さんのこんなお顔を久しぶりに見ましたから」
籐矢は弘乃に見られてバツの悪そうな顔をしている。
「神崎さん、三谷さんを ”ひろさん” って呼ぶんですね。私もそうお呼びしていいですか?」
「はい。では、私も水穂さんとお呼びしますね。
籐矢さん、お小さいころ ”ひろのさん” と言えなくて、”ひろさん” になって、今もそのままで」
「そんなに小さい頃からのお知り合いなんですか」
「えぇ、籐矢さんが生まれたときからお世話させていただいておリますので」
「えーっ! じゃあ、神崎さんのオムツも替えたとか」
「バカ、変なことを想像するな」
籐矢は水穂の頭を小突いた。
「痛いじゃないですか! もぉ、いっつもこうやって私をいじめるんですよ」
「大げさなやつだな。誤解を招くようなことを言うな」
「じゃぁ、なんですか、体罰も部下の教育ですか。体罰反対! バカってのもやめてくださいね」
「アホか」
「バカがだめならアホですか。なにそれ、信じられない」
「ほぉ、俺が信じられないのか。それは残念だ、いい情報を教えてやろうと思ったがめやた」
「えっ 情報ってなんですか? ねっ、教えてくださいよ。神崎さん、ねぇ」
「やだね」
弘乃は、じゃれあう二人を見ながら深い微笑を浮かべていた。
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