【Shine】 番外編 ― 春の回想 ― 前編
- CATEGORY: Shine Episode Ⅰ
帰国して初めての正月を家族で過ごした籐矢は、居心地の悪い家を早々に飛び出して自宅へと戻ってきた。
帰宅を待ちわびる家族の顔に迎えられ、抱きかかえるように家の中へ連れて行かれた大晦日。
正月料理のほかに籐矢の好物が並んだテーブルを囲むと、継母と弟は矢継ぎ早に質問を向けてきた。
海外の暮らしはどうだったのか、仕事が大変ではなかったのか、言葉や習慣の苦労はなかったのかなど、次々と話しかけられ、そられに答えるため、継母が丹精込めて作った料理を味わう間もないほどだった。
その間、父親は家族の声に耳を傾けてはいたが、とりたてて籐矢へ話しかけることはなかった。
父親が籐矢に告げたのは、京極の叔父に会う機会があったので、何かと世話になったと礼を伝えておいたということだけで、それに対して籐矢は 「ありがとうございました」 と短く返した。
父親と京極の叔父の間で、ほかにどんな話が交わされたのかと気になりながら、それを尋ねることもせずにいたのは、親子の間に横たわる相容れない問題に触れないためでもあった。
継母や弟が、いつも以上に言葉をかけてくるのも、父と籐矢を思いやってのことであり、二人が対立しないように心配りをしてくれたため、年末年始のめでたい席は、とりあえず表面上平穏でいられたのだが……
心の底に沈んだ思いは年月とともに膨らんでいくもので、こぼれた一言から父と息子は鋭い言葉で向かい合うことになった。
「今度の仕事はどうだ。前ほど危険な任務ではないそうだな、良かったじゃないか」
「仕事にいい悪いはありません……」
「それはそうだが、危険が少ないほうがいいだろう。お母さんの心配も減る、それに……」
「叔父さんから何を聞いたのかわかりませんが、俺の仕事は常に危険と隣り合わせです覚悟はあります」
「覚悟か……では、私が言ったことは覚えているな。神崎家の長男はお前だ、その覚悟はどうなった」
「もちろん覚えています。親族の集まりに顔を出せということなら、これからそうします。
従兄弟の結婚式の招待状も届いています。よほどのことがない限り出席するつもりでいます」
「そんなことじゃない……私の跡を継げということだ」
「できません。征矢がいるのにどうして俺にこだわるんですか」
「こだわるんじゃない、それが順序だからだ。物の道理に従うだけだ。おまえこそ、どうして意地を張る。
麻衣子のことはおまえに責任はないと何度も言っているだろう。犯人を追いかけて捕まえたからといって、麻衣子は戻ってこない」
「だからやめろというんですか。追いかけることに意味はないと言うんですか。それなら警察は要らない」
「追いかけるのはおまえでなくてもいいと言ってるんだ。おまえにはやるべきことがあるじゃないか」
「勝手に決めないでください」
「勝手に決めてなどいない。家族を哀しませてまでやることではないだろう。まだわからんのか!」
「そこまでにしてください……」
感情を抑えこんだ声で二人を制したのは弟の征矢で、両の手は父と兄の腕を強くつかんだ。
このような場で、冷静に声をかけることのできる弟こそ、やはり父の跡を継ぐべき人物だと籐矢は思った。
母の悲しみにくれた顔へ黙って頭をさげ、家族だけで過ごす広いリビングから立ち去ったのは元旦の午後だった。
自宅に戻り、鬱々とした二日間を過ごし、仕事で気分転換をはかろうと気合を入れた。
新年早々、忍耐が求められる潜入捜査が仕事始めとなったことは、籐矢にとっては好都合だった。
いつ現れるかもしれない犯人を待つ時間は、自己を見つめ感情を整える時間となる。
新たな気持ちで仕事に向き合うはずだった。
捜査報告後、デスクに戻り浮かない顔で目を閉じた。
スペイン料理店への潜入捜査は、麻薬の取引があると年末に情報が入り、入念に準備していたはずだった。
それなのに、店内で張り込んでいるとき偶然目にした友人に気を取られ、肝心な取引現場を見逃してしまった。
事の顛末を室長に報告すると……
「そんな時もあるさ、気にするな」
籐矢を責めるでもなく、逆に慰められた。
新年早々の失態に疲労感が増した。
「神崎さん、おめでとうございます」
「水穂か……おめでとう 今年もよろしくな」
籐矢は、水穂を見ることなく挨拶をくれた。
机に乗せた足にはショートブーツ、無造作に顔に乗せられた帽子はイタリアのボルサリーノで、水穂は籐矢の趣味の良さに感心した。
素っ気ない返事に不満はあったが、返事も今日の格好も籐矢らしいと水穂は感じていた。
「神崎さん、今日はイタリア男のつもりですか?」
「スペイン男のつもり」
「はぁ? スペイン男ってわけわかりませんけど……顔ぐらい見せてくださいよ 新年早々どうしたんですか」
「どうしたって……お前が変な仕事を取ってくるから散々な目にあったんだよ」
「仕事を取ってくるって、私、営業じゃありません。あっ、スペイン料理店の捜査、今日でしたね!
だとしたら……ちょっとは責任がありますね。捜査を頼んだのは私だし……お疲れ様でした」
水穂の神妙な声は籐矢に届いたのだろうが 「うん」 と言ったっきり微動だにしない。
顔も見せない籐矢を残し、水穂は同僚のところへ新年の挨拶に行った。
遠くで 「おっ、香坂さん、今日は珍しい格好をしてるね。たまにはいいねぇ」 などど、水穂の格好を褒める声が聞こえてきたが、籐矢は目を開けて見る気力もなかった。
事件を解決できなかった気だるさとやるせなさ、これは、あのときに似ている……
籐矢はしまわれた記憶を引き出した。
三年前、籐矢がやりきれない日々を送っていた頃、叔父の勧めでフランスのリヨンにあるICPO (インターポール) の本部に出向した。
前任者から譲り受けた部屋に荷物をおき、まず酒が飲めるところを探して町に出た。
ふらりと入った酒場で、隣に座った女性が話しかけてきた。
「あなた、滅入った顔をしてるわね。よほど辛いことでもあったのかしら」
初対面の人間にそう言われ、また、彼女の持つ人を安心させる雰囲気に、いつもの籐矢なら言わないことまでしゃべった。
「俺の顔はそんなにふさぎこんで見えるかな。本当のところ、辛くてやりきれないよ」
「そんなときは誰かがそばにいた方がいいのよ。今夜は私が付き合うわ」
女はソニアと名乗った。
それが本名なのかわからなかったが、そのときの籐矢にはどうでもよかった。
ソニアが言うように、一人でいると考え込んで思考がマイナス傾向になっていくのがわかっていた。
「トーヤっていうの……日本人の名前は発音が難しいけど、あなたの名前は呼びやすいわ」
ソニアは籐矢の辛い部分には触れず、かといって陽気に話すわけでもなかった。
これからリヨンに住むという籐矢のために、役立ちそうな情報などを教えてくれた。
楽しい酒かといわれればそうではなかったが、辛い酒にならなかったのはソニアのおかげだった。
「トーヤ、あなた、かなり酔ってるわよ。もう帰ったほうがいいんじゃない?」
ソニアの心配そうな顔が籐矢を覗き込む。
「ソニア、もう少し一緒にいてくれないか……」
どうやってそこまで行ったのか、自分では酒に強いと思っていたのに、籐矢の記憶は曖昧だった。
ただ、温かい肌に抱かれ、心地よい眠りについたことだけは確かだった。
カーテンの隙間から差し込む鋭い光が目を刺激した。
籐矢がゆっくり目をあけると傍らに女の姿があった。
目を慣らしながら室内を見回すと、ぼんやりではあるが見覚えのない風景が広がっていた。
ここはソニアの部屋なのか?
メガネを探そうと体を起こしたとき、ソニアの目が覚めた。
「おはよう、トーヤ。よく眠ってたわね」
「あぁ……ここはソニアの部屋か」
「そうよ。あなた、自分の部屋には帰りたくないって言うし、仕方ないからここに連れてきたの。
体の大きなあなたを抱えるの 大変だったんだから」
「迷惑をかけてすまなかった」
ソニアがカラカラと笑い声を上げる。
「まぁ素直だこと。あなたったら、こんな良い女を前にして、さっさと寝ちゃうんだもの。まったく失礼な話よね」
互いに素肌に近い格好であり、肌が触れ合いながらの会話に戸惑っているのは籐矢だけで、ソニアの方は余裕があった。
いたたまれず、ベッドから起きようとした籐矢の腕をソニアがつかんだ。
「朝の挨拶のキスもしてくれないの?」
女性にここまでいわれて、まったく間抜けなことだと情けなくなったが、ソニアには彼女なりの照れくささもあるのだろう。
ぞんざいな言い方ではあったが、口元は少し拗ねた表情を見せていた。
籐矢は起きかけた体を戻し ソニアをゆっくり引き寄せ胸元に抱いた。
「トーヤって、優しい抱き方をするのね。女心をくすぐるじゃない」
「昨日、俺を抱きしめて寝てくれたんだろう? 久しぶりにゆっくり寝た」
「あなた 迷子の子供みたいで ほっておけなかったの」
初めて会った女に苦しい胸のうちを語り、寂しさをぶつけたことに籐矢自身驚きもしたが、相手を束縛しない、それでいて包むようなソニアの優しさが、そのときの籐矢には心地よかった。
少し上向いた意思の強さを思わせる唇に指を這わせると、半開きの口が籐矢の指を軽く噛んだ。
ソニアの舌が籐矢の指を優しく誘い込む。
指先の刺激は、籐矢の体の細部まで刺激した。
朝の挨拶のキスは徐々に熱を帯び、ソニアの奥深くまで籐矢は求めた。
ソニアが着ている薄いシャツから胸のラインが透けて見える。
シャツの上から胸に手を這わせ、ボタンに手をかけようか悩んでいると、ソニアの色を帯びた声がした。
「抱くならちゃんと抱いて」
その言葉が引き金になったのはいうまでもなかった。
「私、朝はカフェオレなのよ。トーヤもそれでいい?」
「あぁ 同じものでいいよ」
心地良い気だるさを残していたが、籐矢の心はすっきりと晴れていた。
昨日まで抱えていた重みがとれ、これからここで生活していくんだとあらためて思った。
仕事に行くというソニアと一緒に部屋を出た。
「ソニア、いろいろありがとう。なんて言うか……」
「男はゴチャゴチャ言わないの。あなたの気持ちはわかってるわ。また会いましょう」
「また来てもいいのか?」
「いいわ、 あなたならいつでも大歓迎よ。その前に、きっとどこかで会えるわ」
その言葉を、同じ街に住むからまた会えるのだと理解した。
そして、彼女の言葉通り二人はまもなく再会した。
ソニアの部屋に頻繁に行くようになり、一緒に暮らすまでにたいした時間はかからなかった。
それは、ソニアがリヨンを離れるまで一年半続いた。
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