【花の降る頃】 -彩を織る- 1

 
 
 
綾錦をまとった紅葉の山々は、一年でもっとも美しい季節を迎えていた。

葉色の朱は鮮やかで、まるで咲き乱れる花のよう。

結婚前、圭吾さんの転勤先へ通った道を、いま息子の手を引いてたどっている。

彼が転勤になったのは、母に交際を反対されているさなかだった。

ひとときでも一緒にいたいと願うものの、すぐに会いに行ける距離ではなかった。

会えなくなった寂しさを抱えながら、慣れない勤務地で不自由はないか、
食事はできているのだろうか、洗濯や掃除は大丈夫なのかと、心配しながらも圭吾さんに会える嬉しさが先に立ち、 苦手な電車を使うことも増え、
 
回を重ねるごとに車内の息苦しさもさほど気にならなくなった。


「電車に乗ってひとりで行っちゃうの? すごいじゃない 恋の力は偉大ね」


長い間、電車やバスが苦手だった。

誰かに付き添ってもらっても、人の多さに身がすくむことも少なくなく、そんな頃の私を知る友人たちは、私の変わりように驚いていた。


結婚して子どもが生まれると、私の行動範囲は以前と比べ物にならないほど広がった。

幼い子どもは病気を繰り返すため、病院へ行く機会は多い。
 
また、幼児検診などで出かける際は、車だけでなく交通機関も使う。

以前の私なら躊躇していただろうが、そんなことは言っていられない。

「萌恵はたくましくなったね」 と圭吾さんに言われるほど、私は行動的になった。

実家から赴任先のマンションまで約三時間。

ひとりならなんでもない道のりも、子ども連れではそうはいかない。

新幹線はゆっくり座っていられたけれど、乗り継ぎのための電車は思いのほか込み合っていた。

人の多さにため息をつきながら、車窓から見える山並みに目を向けた。

きれい……と思った矢先、目の前がぐらりと歪んで見えた。

遠くへ目を凝らしたら、気分も楽になるのではないかと試したけれど、それは一時しのぎでしかなく、再び車酔いに似た気分の悪さが胸の奥からこみ上げてきた。

つないだ息子の小さな手は絶え間なく動き、しゃがみ込んだり立ち上がったり落ち着かない。

人の間で揺られ視界も遮られた子どもには、そろそろ我慢の限界が近づいているはず。

ほどなく うーん あぁー とぐずる声が聞こえてきた。



「もう少しだからね」


「うーん……」


「隼人 お茶 のむ?」


「うん」



少しでも気を紛らわそうと、携帯していたストロー付幼児用ボトルを子どもに持たせた。

のどが渇いていたのか、息子は小さな手でボトルを器用に持ち、ごくごくと飲み、

一息つくと私を見てにこっと微笑んだ。

子どもなりに上手に飲めたことが嬉しかったようだ。

美味しかった? と聞くと うん と短い返事があった。

1歳7ヶ月では、まだまだ会話は成り立たない。

それでも、夏を過ぎた頃に比べると、私との意思の疎通はかなりできるようになり、コミュニケーション力の進歩は目覚しい。


隼人がしゃべる一番最初の言葉は何だろうと言うのが、私と圭吾さんの現在最大の関心事。

まだ子どもから言葉がでないと心配そうに告げた私へ 「パパ ママ」 と呼ばせたら、 それが初めての言葉になるはずよと、学生時代の友人たちが言ってくれた。

けれど、両親をそのように呼んだ記憶がないためか、「パパ ママ」 と呼ばれることに抵抗があった。

なにより、圭吾さんが 「お父さんと言うまで教える」 と隼人に根気強く言い続けている。

「そういうの芹沢さんらしいわね 大丈夫 子どもはいつか話すのよ」 そう言ってくれたのは

高校からの友人の真帆で、男の子の母親でもある。

彼女の言葉を伝えたら、圭吾さんもきっとこう言うはず 「真帆ちゃんらしいね」 と……

圭吾さんと真帆は会社の同僚だった。

そんな彼女には、圭吾さんの家の様子が見えるのか、
「優しいダンナさまでしょう 遠慮しないで甘えなさいよ」 と私に言う。 

誰かに頼ったり甘えたりすることが苦手な私へ、夫婦なんだから甘えていいのよと、あえて告げてくれたのは、 そうでも言わなければ私が無理をすると思ったのかもしれない。

うん そうするね……と言ったにもかかわらず、私はやはり甘えることができずにいた。

同級生の結婚式の出席するため帰省することになった私へ、圭吾さんは

「僕も出張だからゆっくりしておいで 帰りは迎えにいくよ」 と言ってくれた、それなのに私の返事は

「帰国して疲れているでしょう ゆっくり休んでね 私たちは電車で帰ってくるから大丈夫」 だった。 



「隼人を連れて電車は大変だろう 土曜日の夜帰国するから 日曜日は迎えに行くよ」


「でも月曜日から出勤でしょう 時差で辛いはずよ 体を休めなくちゃ

隼人は電車が好きだから乗せてあげたいの」


「そうか でも無理に日曜日に帰ってこなくてもいいよ

平日の昼間のほうが電車も込んでないはずだからね」



そうね……と返事をしたのに、こうして混雑している日曜の電車に乗っているのは、海外出張から帰ってくる夫を家で迎えたいと思ったから。

結婚前、私が彼のもとへ通っていた頃、一人暮らしに慣れたと言いながら、圭吾さんは私の訪れを心待ちにしていた。


「部屋に萌恵が待ってると思うと 飛んで帰りたいくらい嬉しいよ」


玄関に出迎えた私へ、そう言って本当に嬉しそうな顔を見せてくれた。

待つ人がいる部屋に帰るのはいいね、と言う彼の言葉は、隠し切れない寂しさのあらわれだったのかもしれない。

圭吾さんの帰りを家で待っていたい、その思いが強く、少々無理をしてでも帰りたかった。

あぁん……とまたぐずる声がした。

抱き上げてやりたいけれど、胸の苦しさが収まらない。

乗り物酔いだけでなく、公共交通への苦手意識も息苦しさにつながっている。

もう慣れたと思っていたのに、心身ともに知らず知らずのうちに無理をしていたということ。

手を上げて抱っこをせがむ隼人に ごめんね と謝りながら浅く息を吐いた。



「大丈夫ですか? 気分が悪そうですが」


「少し酔ったみたいです 大丈夫です ありがとうございます」



とりあえずの返事をしてから声の人を見ると、体格のいい男性が心配そうに私を覗き込んでいた。



「あなた つわりじゃないの? 顔色 悪いわよ 妊娠初期は大事にしなくちゃ」



男性の隣にいた年配の女性は、つわりでしょうと決め付けて私を心配してくれる。

小さな坊やを連れて大変ね……と同情する声に 「大丈夫ですから……」 と返したけれど



「大丈夫にみえませんよ 座ったほうがいいですね 優先席があったはずですが」 



そう言いながら周りをぐるりと見回したのは先に声をかけてきた男性で、

「優先席」 の文字を見つけると目をとめ、表示の席に座る数人を見下ろした。



「あっ ここ 座ってください」



二人の高校生が立ち上がり、私へ席を譲ってくれた。

男性の視線を受けて立ち上がった高校生が気の毒だったが、断りの言葉を言い出せず、周囲の目が見つめる中、 「ありがとうございます」 と頭を下げて空いた席に腰を下ろした。

二人分の席が空いたものの隼人を座らせるのにためらいがあり、ひざに抱こうとしたら、 



「ボク そと 見ようか!」



男性の声に うん とうなずいた隼人は、嬉しそうに彼の腕に手を伸ばし私の元を離れていった。

人見知りはないものの、差し出された腕に飛び込んでいった息子に少なからず驚きながらも、 気分の悪さもあり、男性の好意を素直にうけることにした。

優先席の妊婦の絵がチラッと見えて、座っている居心地の悪さを覚えうつむいた。

こんなことなら圭吾さんに迎えに来てもらえば良かった……

背の高い男性に抱かれて息子はご機嫌だった。

けれど、見ず知らずの男性に迷惑をかけてしまったことが申し訳なく、 意地を張って夫の迎えを断ってしまったのに、結局は誰かに迷惑をかけてしまったのかと落ち込んできた。

どうして空回りするんだろう……


「萌恵は頑張りすぎだ 僕をもっと頼ってよ」


新婚の頃、圭吾さんが私によく言ってくれた。

そうね 迎えに来てね と言えばよかったのよね……

いまさら思っても仕方がないけれど……

ゆっくり息を吐き目を閉じた。


 
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6 Comments

撫子 s Room  

No title

千菊丸さん

萌恵も母親になり、子育て苦労中です。

大変なときは誰かに助けてもらいたいですね。
萌恵にも、きっと誰かの手が差し伸べられるはず!

久しぶりの【花の降る頃】引き続きお付き合いくださいませ^^

2012/11/06 (Tue) 22:55 | 編集 | 返信 |   

撫子 s Room  

No title

hiyonちゃん

何事にも一生懸命の萌恵、懐かしいでしょう^^
母になってもひたむきな彼女です。

電車の中の高校生
さて、今後登場するのか!
楽しみに待っていますのお声、嬉しいです^^

またお付き合いくださいね!

2012/11/06 (Tue) 22:52 | 編集 | 返信 |   

撫子 s Room  

No title

faustonneさん

子ども連れの移動は大変ですね。
三歳未満は特に・・・
電車が苦手な萌恵には、かなりの負担でしょう。
それでも「帰りたい」思いが強いから頑張れるのだと思います。

新幹線の個室が便利だと聞いたことがありましたが、利用しようと思ったときは無くなったあとでした(残念)
私は実家まで最短6時間、子供が小さい頃は帰省は大仕事でした。
懐かしい・・・

2012/11/06 (Tue) 22:49 | 編集 | 返信 |   

千菊丸  

No title

萌恵さん、一歳児を連れて帰省するの大変でしょうね。

でも一人で気張るよりも、周りに甘えた方がいいんじゃないかなぁ。
独身のわたしが生意気言うのも何ですけど。

2012/11/06 (Tue) 12:04 | 編集 | 返信 |   

hiyon  

No title

なでしこちゃん・・
まだ、おはようございます!

頑張ってる萌恵ちゃん 懐かしく読みました(*^_^*)

二人の高校生・・
お話にまた登場するかな?!
圭吾さんのお隣に住んでいたりして・・

当たってるか外れているか 楽しみに続き待ってます(*^^)v

2012/11/06 (Tue) 11:52 | 編集 | 返信 |   

faustonne  

No title

おはようございます。

萌恵さん、大変ですね。

乗り物酔いは辛いですよね。思い出しただけで、むぁ~と。
赤ちゃんも1歳から3歳までが、本当に大変だと思いますよね。日頃の疲れも溜まってのことだったのでしょうね。遠距離の旅行は、車でも公的交通でも負担ですよね。

新幹線も東行きも西行きも利用しましたが、今は無くなった”個室”は助かりました。一人用の椅子が広かったので、抱きかかえ、ひたすら昼寝攻撃でしのいだ記憶が。
長期休暇に登場する、子ども列車も助かりました。親も長時間立ちっぱなしでしたが、ぐずられるよりずっと良かったのが思い出されました。

2012/11/06 (Tue) 09:25 | 編集 | 返信 |   

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