【花の降る頃】 -彩を織る- 2

 
 
結婚してまもなくの頃、同じようなことがあった。

病気を患っていた母は、私の結婚式を待って手術を受けた。

母の看病のために結婚式後も実家にとどまり、実家と圭吾さんの赴任先を
行き来することになった。 

完全看護である病院に入院中は、着替えを持ち運ぶ程度で手がかからなかったが、
退院後はかなりの忙しさに見舞われた。 

退院したとはいえ養生のいる母の世話と、いつもは母に頼りっきりの父の身の回りの世話、加えてにわかに体調を崩した祖母の家へも足を運んだ。

立ち働くことは嫌いではなかったが、新婚早々ひとり住まいをさせている夫が気がかりだった。

彼は 「僕のことは気にしなくていいよ 萌恵はお母さんの世話をしておいで」 と言い、
私の願いを気持ちよく受け入れてくれた。 

それでも、本来なら結婚後、一緒に転勤先に赴き結婚生活を始めるはずだったのに、
不自由をかけるすまなさから、週末は実家の世話を姉夫婦に代わってもらって、夫がひとりで暮らす赴任先へと向かった。 

そんな生活がひと月ほど続いた頃、電車の中でたちくらみに襲われ、ふらついたことがあった。

疲労や睡眠不足が原因だと思われたが、そのとき体を支えてくれた年配の女性に  「つわりかしら?」 と言われたのだった。

実家の母と変わらぬ年齢のその人は、「私の娘は つわりがひどくて電車の中で倒れたのよ」 
と話しながら、 私を空いた席に座らせてくれた。 



「我慢しちゃだめ 気分が悪いときはお座りなさい」



私の左手薬指に目をとめながら、空席がありながら立っていた私を諭してくれた。

真新しいリングを見て、新婚かそれに近いだろうから、おめでたではないかと思い 「つわりかしら?」  と心配してくださったそうだ。

その場で 「いいえ……」 と言うと 「あら ごめんなさいね」 と肩をすくめ謝ってくださった。

それから、隣り合った席で会話が始まった。

お聞きすると、お嬢さんの嫁ぎ先へ行く途中で、降車駅が同じだとわかり驚いた。

電車の中のおしゃべりのおかげで気分の悪さは、いつのまにかなくなっていた。



「まさかねぇ こんな遠くにお嫁にやるとは思わなかったのよ

娘がお付き合いしている男性は お勤め先の方だから安心していたのに

いつかはご実家に戻って 家業を継ぐことが決まっていたんですって

そういう事情がわかっていたら お付き合いは認めなかったのに

娘が どうしても結婚すると言ってきかなくて 仕方なく許しましたの」


「そうでしたか……」


「一人娘ですので小学校から女子校に入れて そのまま系列の女子大に進学させましてね

親の希望通り 家から通えるお勤め先に就職しましたから安心しておりましたの

結婚しても いずれは一緒に住んでくれるのだろうと思っておりましたのに 
 
親なんて寂しいものですわね

いまでも主人は いつでも帰って来い なんて娘に言っておりますのよ」



胸にためた思いを吐き出すように、親の気持ちが語られる。

お嬢さんの嫁ぎ先は、地元でホームセンターを経営していて、お婿さんが三代目だそうで、経営を勉強するために入った会社でお嬢さんと知り合ったのだと言い、女性はそこで
深いため息をついた。 

結婚を反対された経験がある身としては、母の思いを聞かされたようで少しばかり
耳の痛い話だった。 

まぁ……と肯定でも否定でもない相槌を打ちながら、
実家の両親もこんな気持ちでいるのだろうかと思ったり…… 

いいえ、そんなことはないはずだと、さまざまな思いが交錯する。

しばし自分の両親と重ね合わせて聞いていたところ、今度はお嬢さんの嫁ぎ先の家の内情へと
話が広がっていった。 



「婿の妹がおりましてね 娘にとってはいわゆる小姑ですから 
 
同居ということで少しばかり心配しておりましたが

とてもいい子で 娘と姉妹のように仲良くしているそうで……ですが 困ったことがありましてね」



そこで顔をしかめた女性は急に声を潜め、
「その子 結婚している男性とお付き合いをしているらしくて……」 とため息混じりに告げられたが、これにはなんと返事をしてよいのかわからず黙っていると、私の沈黙もお構いなしに、話はどんどん進んでいった。 

ときどき頷くだけでさして熱心でもない話し相手の私へ、その人の話は電車が駅に着くまで続いた。 

話し込んでしまいましたわね と言いながら、女性は思う存分おしゃべりできたことで満足したのか、すっきりとした顔をしていた。



「先程はありがとうございました おかげで気分も治りました それではこれで……」 



別れの言葉を残し立ち去ろうとすると、「ちょっと待ってくださいな」 と呼び止められた。

改札口近くまで迎えに来たお嬢さんへ 
「電車でご一緒した方なのよ」 と私を紹介してくださった。

そこでまた立ち話となったが、お嬢さんの住まいが私たちが住むマンションの近くだとわかり、
再び驚いた。 

真田柚季さんとおっしゃって、「妊娠中期に入ったんですよ」 と優しく微笑んだお顔は、
お母さまに良く似ていた。
 
結婚後、ご近所のお付き合いもままならない私にとって、赴任先で初めて知り合えた人となった。



「無理して毎週帰ってこなくてもいいよ」



そう言いながらも、圭吾さんは私が玄関で出迎えると嬉しそうな顔をした。

二週間ぶりに顔を合せた私たちは、どことなく素直になりきれず、会えた喜びをあらわすことへ
抵抗があった。 



「でも お引越しの片付けとか お掃除とか まだすんでないでしょう 
 
できるときにやっておきたいの」



会いたかったから……

そう言えばいいのに、私はあれこれと帰ってきた理由を並べている。

恋人時代、彼の部屋を訪ねる理由はただひとつ。

休日の再会を
彼も待ちわびていたし、私も会いたいがために通っていた。 

顔が見えたとたん差し伸べられた手につかまり、胸に飛び込んでいた。

そうすることが自然で、相手に触れることをためらうことなどなかった。

それが変化してきたのは結婚してから……

互いに揺ぎ無い存在になった安心感は、相手がそばにいるのが当たり前で、しばらく離れていたからといって、それでふたりの関係が揺らぐことはない。

「ただいま」 「おかえりなさい」 と声を掛け合うだけで、夫婦の時間が戻ってくるのだから、あえて手を差し伸べる必要も、抱き合う必要もない。

自宅に戻った私へ、圭吾さんは嬉しそうな顔を見せてくれたが、手をとるでもなく、
脱いだ上着を渡しながら実家の母の様子を聞いてきた。 

順調に回復していると伝え、来週半ばの定期検診が終わったら帰ってくるわねと言うと、
ぱっと顔が明るくなった。 

それでも、「僕の方は心配いらない 萌恵の気が済むまでしっかり世話をしておいで」 と、
どこまでも私を気遣ってくれる。 



「でも お仕事も忙しい時期に入ってくるでしょう できるだけ早く帰るわね」   


「わかった でも 無理するな」 
 
 
 
理解のある夫らしい言葉をくれたが、ふいに慌てた素振りを見せた。
 
帰宅早々洗濯機を回し、ベランダいっぱいに干した洗濯物が目に入ったのか 「今週は忙しくて 帰りも遅くてね」 と聞きもしないのに、圭吾さんは忙しかったと強調する。 



「帰りが遅くなると お洗濯物もたまっちゃうわね」


「そうなんだ 助かったよ」



やっと素直な返事が聞こえてきて、少しほっとした。

無理するなと言ってくれるのは嬉しいけれど、あまりそう言われると、私は必要ないのではないかと
思ってしまう。 

優しい人だから、私に負担のかかることは言わないとわかっているけれど、それでも時には
甘えて欲しい。 



「今夜は なに?」


「天ぷらと煮物と 青さのお吸い物よ 酢の物もあるわよ」


「うまそうだな ひとりだと揚げ物なんて作らないからね」



そう言うと、帰ってきたときと同じくらいの笑顔を見せてくれた。

二人で囲む夕食は格別で、差し向かいで箸を動かすから美味しいのだと思う。

毎晩電話で話をしているのに、顔を合わせながらの話は尽きない。

食後はひとりのときはコーヒーが多いという圭吾さんに、芹沢の義母からもらった特上の煎茶を
いれた。 

口に含む前に、香りがいいね……と言うところが彼らしい。

香りを楽んだあと、煎茶椀を口元に寄せゆっくり飲み干した。

圭吾さんのしぐさには品がある。

煎茶道の師範であり、私よりも茶歴が長いのだから、当たり前と言えば当たり前だけど、結婚して彼のしぐさを見慣れた今でも、所作の美しさに見とれることがたびたびあった。



「もう一杯もらおうかな」



私を喜ばせる声がして、ふたたび丁寧に煎茶をいれた。



「やっぱり萌恵が入れたお茶がいい」


「うふっ 嬉しい……」


「まろやかで 甘みがある」



柔らかな声が耳に心地よい。

彼の腕が私の背中に絡みつき、会いたかったと告げるように背中をいとおしむ。

合せた唇を離し、上気した肌に顔を寄せた。



 
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2 Comments

撫子 s Room  

No title

faustonneさん

>真田柚季さんのお母さん、真澄さんのお母さんかと思いました。(笑)

真澄を連想してくださったのですね!
嬉しい・・そして、ちょっとドッキリ・・・

真田柚季という女性が登場しました。
彼女の役割は・・・
次回をどうぞ!

2012/11/07 (Wed) 23:48 | 編集 | 返信 |   

faustonne  

No title

おはようございます、

真田柚季さんのお母さん、真澄さんのお母さんかと思いました。(笑)

フルネームが出るということは、新たな主要登場人物でしょうか?

2012/11/07 (Wed) 09:40 | 編集 | 返信 |   

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