【花香る下で】 34-2  -桐一葉 (きりひとは)- 

 
 
 
秘書に案内されて入った社長室には、祐斗が会いたいと願い続けた人物がいた。

出向先からの異動が絡む話であるなら、高辻金属の社長が同席するのならわからなくもないが、

親会社のトップが出向している技術者一人のために動くだろうかと、そこが腑に落ちなかった。

もしや、里桜の母親から自分のことを聞きやってきたのか……

それなら高辻社長がここにいる理由も説明がつく。

いや、しかし、と祐斗は思い直す。

母親から聞いたのなら、秋月を通さず直接話が持ち込まれるはずだ。

まさか、秋月が伯父と甥であると話したのか……

祐斗の緊張は一気に高まった。



「来春の異動だが、橋田君、君はどう考えている」


「こちらへ戻るものと思っておりますが」



橋田君と呼ばれた時点で、秋月が祐斗が甥であると伝えた可能性は消えた。

祐斗は、小さく息を吐き胸のつかえをとった。



「うん、それも選択肢の一つだ」


「ほかにも選択肢があるということですか」


「海外勤務を経験したいと言っていたが、いまでも希望として残っているだろうか」



出向前、秋月にそのような話をし、できればと希望を伝えていた。

秋月精工は、その時点では海外に工場を持っていなかった。

いずれ進出することがあれば行ってくれるかと聞かれ、行きますと返事をした。

友人の岩切健太が海外で活躍する姿に刺激されただけでなく、自分を磨くチャンスであると
 
捉えていた時期があった。

けれど、今は多少事情が変わってきた。

祐斗は返事をためらった。



「希望はありますが……すぐに返事をといわれるのでしたら困るのですが……」



海外で暮らしたいと里桜が言い、いつか行こうかと話したことがある。

日本国内では窮屈な思いをするが、海外なら人目も気にせず過ごせるという里桜へ、軽い気持ちで
 
そう言ったのだった。 

少し前の祐斗なら 「海外へ転勤になったら、一緒に行かないか」 と言えただろう。

海外勤務を機に、ふたりの将来を考えようと言うこともできた。

けれど、里桜の家の事情を知ってしまった今、間単に口にできることではなくなった。

たとえ里桜が願ったとしても、実現は難しいだろうと思われた。



「相談したい人でもいるのかな」


「はい」



聞いてきたのは高辻だった。

さらに高まる緊張の中、引き続き落ち着いた問いがあった。



「親御さんか、ほかにも? 橋田君は結婚はまだだったね」


「……交際している女性がいます。彼女にまず話そうと思います」


「その人と結婚の予定は?」


「いえ、まだそのような話はありません。ですが、転勤で私が日本を離れる可能性があると
 
伝えてなくてはと思っています。

彼女も家族のことがあるので、その……」



思わず家族の……と家庭に事情があるようなことを言ってしまったのは、相手が高辻で
 
あったためだ。

言い直そうとしたが、緊張を強いられた祐斗の頭は、妥当な言葉をみつけることができなかった。



「君自身は、海外勤務に前向きであると考えていいのですね」


「……はい」




一瞬の間があいたが、祐斗は高辻へ顔を向け返事をした。

そうですか、と返したあと立ち上がった高辻は窓辺に歩み寄った。

向けられた背中を見つめ、高辻の言葉に何かを見出そうとしたが、その背中から真意を読み取る
 
ことはできない。

たまりかねた祐斗が秋月に視線を送ったが、小さく首を振り肩をすくめている。

秋月も高辻の真意を見極めるにいたっていないようだ。

口だけを動かし 「あとで」 と伝えてきた。

伯父から何かを聞けるのだろうか。

祐斗は少しだけ緊張をほどいた。 



「私はこれで失礼する。先に行ってるよ」


「あぁ、わかった」



退出する高辻へ祐斗は直立で挨拶をし、秋月とともにドアまで見送った。

遠ざかる後姿を見届け部屋に戻ると、どちらからともなく大きなため息が出ていた。

祐斗はソファに座り込み、秋月は手付かずの茶を飲み干した。



「高辻社長がいるならいるって、先に言ってくださいよ」


「急だったんだよ。橋田が来るといったら同席させてくれと言われて、断るわけにいかないだろう」


「はぁ……なんか焦って、言いたいことも言えなかった……」


「祐斗、里桜さんと付き合ってるのか」


「そうですよ……俺、どう見られたのかな」


「気になるか」


「なりますよ。気になるに決まってるでしょう!」



わかりきったことを聞くなというように、祐斗は秋月を睨んだ。



「これから高辻に会うから、聞いておくよ」


「えっ」


「ウチの橋田はどうでしたかと、高辻社長に聞いて、それをおまえに知らせてやる」


「あっ、はい……お願いします。さっきの話、決まってるんですか」


「海外勤務か? 決まってはいないが、人材がほしいと言われている。
 
それでおまえをと思ったんだが……

どうする。返事は急がないが、あまりゆっくりもしていられない」


「話をしてきます。これから走れば夜にはつくから」


「これから里桜さんのところに? 長野まで行くつもりか」


「そうですよ、電話で話せることじゃないでしょう」



じゃぁ、急ぐんで失礼しますと、祐斗はあわただしく席を立った。

高辻社長から聞いた話は明日にでも聞かせてください、と言い残し部屋から駆け出していった。

若い背中を見送りながら、情熱というエネルギーに突き動かされているのだろう、
 
うらやましいことだと秋月は思った。




 
一週間前通った道を、祐斗はまた走っていた。

行けそうにないと言っていたのに、夏休暇を利用して会いに行くと返事をしたばかりだった。

それが数時間後、「これから行くよ」 と伝えたのだから、かなり驚いたようだが、

電話の向こうの里桜は 「待っています。気をつけて来てくださいね」 と言ってくれた。

土産も用意できないまま、祐斗はひたすら北への道を走った。


高辻の口から結婚の言葉が聞かれ、その気があるのかと問われた気がした。

考えないわけではなかったが、結婚は交際の先にあるもので、いつかそうなるのだろうと
 
漠然と思う程度だった。

水島の出現により、自分の里桜への気持ちがはっきりと見え、彼女との将来を考え始めたばかり
 
だった。

まずは高辻に会い、里桜との交際を告げ、自分を認めてもらおうと気持ちが走った。

里桜に交際相手がいるのだと伝えれば、それでひとまず決着がつくはずだと思っていたが、

先週別荘に行き、そこで家の事情を聞き、彼女と結婚するということは、彼女が抱えているもの
 
すべてを引き受けなければならないことを知った。

容易なことではないと思ったが、それで気持ちがぶれることはなかった。

この一週間、たびたび思い出し、自問自答し考え抜いた。

自分に覚悟があれば、難しいことではないとの考えにいたった。

里桜とも、時間をかけてゆっくり話し合えばいい、そうしようと決めた。


勢いで高辻社長に会わなくて良かった。

気持ちが整理できたいまなら、対面しても大丈夫だ。

何度となく高辻にも会い、自分のこともわかってもらえている、決して悪い印象はもたれていない
 
だろうから、認めてもらえないことにはならないだろうというおごりがあった。


だが、自分の考えがまだ浅いものだったと高辻との会話で気づかされた。

祐斗の気持ちは決まっているが、里桜の気持ちを確認する前に高辻へ返答するわけにはいかな
 
かった。

国内の異動ならまだしも、海外へ動くとなれば急ぎ将来を見据えて考えなければならない。

悠長に構えている時間はない。

状況が許さないのであれば今でなくてもいい、いつか、ともに将来を歩いて欲しいと言葉にして
 
伝えたい。

その思いが、祐斗を里桜の元へと向かわせていた。



明るいうちに訪れた前回と異なり、暗い中でたどり着いた地は、目標になるものも見えずすべて
 
闇の中に沈んでいる。

ナビだけを頼りに目指す家にたどり着いたとき、祐斗はかなりの疲労を伴っていた。

疲れてはいたが、里桜の顔を見れば疲れなど吹き飛ぶだろう。
 
里桜の笑顔を期待して呼び鈴を押した。

だが、祐斗の目の前に現れたのは、母親の陽菜子だった。
 
 
 
                                
                                        
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