【Misty】
- CATEGORY: 短編の部屋
古ぼけた電話ボックスは 中に入ると外界から切り離されたような安堵感がある
車を路肩に止め 本部に定時の連絡をいれた
「今回は接触だけでいい 絶対に無茶をしないように
相手の身体的特徴 クセ 声の抑揚 なんでもいい 観察するだけにとどめて欲しい
追い詰めるようなことは決してしないように いいね
それから君のいる近くで 政府高官の自宅が爆破された 気をつけるように」
厳しい世界に身をおく人間にしては珍しく 穏やかな雰囲気を持つ室長代理は
私への指令と情報を伝えた後 また しつこいほど無理をするなと付け加えた
最近は少なくなった公衆電話
携帯電話の普及で 電話ボックスの数は激減していた
公園の入り口にあるこのボックスも そのうちなくなるのだろうかと
連絡の度に使ってきた重みのある受話器と小さな空間に 一時の安息を求めた時を思い出し
感傷に浸っていた僅かな時間 神経の糸が緩んでいたのだろう 近づく男の影に気がつかなかった
彼と私の新たな出会いは そんな些細な心の隙間が生まれた瞬間だった
車に戻りキーをまわし アクセルを踏み込もうとした時だった
後ろのドアが開き 男が転がるように車に乗り込んできた
「車を出せ! 余計な行動はするな」
ルームミラーに写る男の顔は フードで覆われ俯き加減ではあったが サングラス越しの視線が刃物のようだった
殺気がみなぎり 追い詰められた表情を隠そうともしない
車の外に視線を走らせると 公園の中には数組の親子連れと 散歩を楽しんでいるのか老夫婦が二組
住宅地の近くでもあり ここで騒ぎを起こすわけにはいかないと判断し 男の言葉に従うことにした
「ど どこにいけばいいの」
「行き先は俺が言う 余計なことをしなければ助けてやる」
声に聞き覚えがあった
「アナタは! いつもお店に来る……」
「えっ? アンタ……」
互いに今朝会った顔が そこにあることに驚きを隠せなかった
ある人物を探るため 喫茶店のウェートレスとして働き始めて一ヶ月
毎朝決まって同じ時間に来る男と 最近親しく口をきくようになっていた
ひとりカウンターに座り 新聞をめくりながらコーヒーを飲み 30分ほどを店で過ごす
マスターの淹れるコーヒーと アンタと話をするのが楽しみなんだと
人懐っこい目をして 今朝も私に話しかけた顔は いま 全く別の顔をしていた
脇に突きつけられたのは拳銃だろう 銃口がグイと押し付けられ男の殺気が伝わってくる
室長代理の言った政府高官宅の爆破に この男が関与しているのだろう
直感ともいえる勘が 私の中でそうだと言っていた
指示された道を行くが 進むほどに渋滞になり ノロノロと車が進まない
ずっと先に警官が誘導する姿が見えた
「検問をやってるみたい……」
「なに? 気づかれずに通れ!」
「無理よ」
「無理でもやるんだ」
銃口が一段と脇腹に食い込んだ
ところが ほどなく呻き声とともに脇の圧力が抜け 振り向くと男が座席で足を押えてうずくまっていた
足首は血が滲み 床にも血が流れていた
とっさに上着を脱ぎ 男の足を隠した
もしかしてこの男の関わった事件の検問かと思ったが シートベルトの取締りで
夫が腹痛で病院に行くので急ぐのだと告げると 気の良い警官はすぐに通してくれた
「アンタ 肝っ玉が据わってるな」
「そんなんじゃないわ 自分の命が掛かってるの あたりまえでしょう
この近くで事件があったみたい 政府高官宅が爆破されたそうね アナタがやったの?」
ふっと笑う声がしたが 痛みがひどいのか すぐに苦しそうな声に変わった
「おい どこに行く 俺の指示に従え!」
「そんな傷じゃ逃げるのも無理でしょう」
「お前 自分の立場がわかってるのか?」
「わかってるわ だから言うことを聞いて」
用心のためあらゆる方角に車を走らせたのち マンションの地下駐車場に車を滑り込ませた
入り口の階段を慎重に上がり 人の気配を気にしながらエレベーターへ乗り込んだ
幸い住人に会うことも無く 部屋へとたどり着いたとき 男の息はかなり上がっていた
足首をよほどきつく縛ったのか 足先は紫になり 感覚が麻痺しているようだ
ソファに座らせると 男は大きくため息を吐いた
「なぜ助けた」
「怪我をしてるからよ それに知らない仲じゃない」
「確かに知らない仲じゃない だが 今の俺は朝の俺とは違う アンタ怖くないのか」
「怖いわ でもほっておけない……足を見せて」
「触るな!」
「触らなきゃ傷の手当もできないのよ! 私がアナタを傷つけるとでも思ってるの?
私が信用できないのなら 身体検査でも何でもしてよ!」
私は服を脱ぎ始めた
とにかく相手を安心させ信用させることだ
いままでこんなことは何度もあった
女は隠すところがあるからと 全裸にされ屈辱的な目に遭ったことだってある
「もういい わかった わかったから……」
男のそばにひざまずき 傷の手当をする
あらゆる怪我に対する応急処置は身につけていた
だが 自分自身のために習得したものを他人に施したのは初めてだった
「手馴れてるな アンタ ただのウェートレスじゃなさそうだな 店の可愛い顔はどこにいった?」
「アナタこそ 朝の顔と違うわ ねぇ どっちが本当の顔なの?」
男は フンと鼻で笑って横を向いた
傷の手当が済み ソファに横たえる
「そこにいて すぐ戻るから」
「どこに行くんだ 部屋を出るな!」
「その拳銃をしまって ここで発砲したらすぐにばれるのよ そのくらいアナタだってわかるでしょう?
車の中の血を始末してくるの あのままじゃ誰かに見られたら言い訳できないわ 心配ならついてきて」
車に行き 後部座席の床の始末をした
血のついたカバーを剥ぎ袋に入れる
シートについた血をふき取り 男の痕跡を消した
本部に連絡したくても こんなときに限って誰にも会わない
もし会ったとしても 男がそばにいては 何も伝えられない
それに ここでは仮面をかぶって暮らしているのだ
誰にも悟られるわけにはいかなかった
怪我をおして部屋と駐車場を往復したため 男の体は疲労に満ちていた
「アンタ名前は? 毎日会ってるのに聞いたことがなかったな」
「ミホ」
「ミホか……」
あらかじめ頭に叩き込んだ ”ミホ” という名の女のプロフィールを
聞かれもしないのに 男に言って聞かせた
捜査のために成りすました架空の女のための部屋だった
この部屋には 本当の私を示すものは何もない
犯罪者をかくまうには これ以上ない条件だった
毎朝 同じ時間に店にやってきて コーヒーを飲みながら 私と楽しそうに話をしていた男と目の前にいる男は
確かに同じ顔をしているが全く別の雰囲気を持っていた
この仕事をしていると危険な人物を嗅ぎ分ける勘が備わってくる
内偵をしながら危険人物を割り出し 注意深く接触していくのが私の仕事だ
それが この男に限っては全くノーマークだった
カウンターに座り 話しかけるときは 真っ直ぐに私の目を見ていた
それは 誤解するほど好意的な視線だった
誤解するほど私を見つめる目に 私も”ミホ”として 男に好意を持っていた
コーヒーを出すと 男の手が当たり前のように受け取り
時折触れる指先に 忘れていた甘酸っぱさを感じ それだけで一日が楽しくなるのだった
「アンタ 何でも楽しそうにしゃべるんだな アンタとしゃべってると今日も一日頑張ろうって気になるよ」
男も自分に好意を持っていると思っていた
あの視線も言葉も 全部偽りだったのか……
いや この男が 毎朝店で見せる顔すべてが演技だとは思えなかった
「寝たほうが良いわ……どこにも行かないから安心して」
「どうしてそんなことが信用できる?」
「さぁ 信用してもらうしかないわね……」
男がいきなり私の首を引寄せ もう片方の手で胸を掴んだ
互いの顔が間近に迫る
「こんなことは元気になってからしてよ 怪我人と寝る気はないわ」
「ウェートレスのアンタも純情そうでいいが 今のアンタにはもっとそそられる 強気の女は嫌いじゃない」
品のない言いようではあったが 男の言葉は私を安心させた
嫌いじゃないと言われたことで 私の気持ちはとても落ち着いた
その夜 男にソファを与え 私は床に寝た
互いの腕を紐で縛ったまま……
気の抜けない状況ではあったが 男が何か仕掛けてくるとは思えなかった
翌朝 浅い眠りのあと起き上がると 男はすでに目を覚ましていた
私を見ていたのだろうか 視線が絡み合う
私の中のミホの部分がズキンと疼いた
「……足の痛みはどお?」
「ジンジンする」
「腫れがひくまで動かない方がいいわ」
張り詰めた時間が流れていた
何を犯したか知らないが 間違いなく犯罪者である男と 一日中部屋に一緒にいるのだ
外出も出来ず したがって本部へ定時連絡もとれない 電話線は部屋に入ったとき 男によって切断されていた
「アンタ携帯は持ってないのか? あの時も公衆電話にいたな」
「そう いまどき珍しいでしょう? 私 携帯って嫌いなの 束縛されてるみたいで」
危険な男と一緒にいるのに 私は妙に落ち着いていた
この男が 私に危害を加えるとは思えなかったのだ
なぜかと聞かれれば答えようがない確信だった
男と私の間に流れる空気は 犯罪者と人質を超えるものだったのかもしれない
男の包帯を替える
着替えを手伝う
立ち上がるのに抱きかかえる
私が男の体に触れても もう拒絶することはなかった
それどころか 立ち座りの際 不自由な体を支えるため 躊躇うことなく私の手を求めた
握る手に信頼が置かれ 互いを感じあった
時折 私に質問する
家族は? 田舎があるのか 妹も美人なんだろうな
男は? いないのか その性格じゃ男は近づかないだろう
殺風景だが趣味もなさそうだな? 余暇なお世話だって? ふん そりゃそうだ
こんなことを聞いては 面白そうに相槌をうって楽しんでいるようにも見えた
そんなときの顔には 毎朝店で見せる 人懐っこい顔が見え隠れしていた
私達は危うくも奇妙な関係だった
男は怪我の体を私に預ける
私は逃げ出すこともなく男の面倒を見る
時々軽口を叩きながら……
2日目の夜は 昨夜と同じようにソファと床に寝たが 腕の紐はなくなり
代わりに男の手が私の手を握っていた
握られた手は ほどけそうになるとしっかりと握り直し 眠りにつくまで男の手の感触が残った
翌朝 男が唐突に話し出し 私はたじろぐことになる
「アンタ どこに所属している 火事に見せかけたはずの爆破を知ってるってことは どこの諜報機関だ
検問で免許証を見せただろう 架空の身分証明書を作れるほどの組織ってことか」
「なんのこと? 私はウェートレスよ」
「いまさらとぼけるな 普通の店員が血のついたカバーを換えることを思いつくか?
拳銃を持ってる男に撃つなと注意するか? 普通は恐怖で怯えるもんだ
アンタ 修羅場を何回も潜り抜けてきたんだろうな……」
「……」
「俺はとんでもない女に拾われたようだな」
「拾ってなんかいないわ アナタが勝手に転がり込んできたんじゃない」
すべてを見抜かれていた悔しさと 別れの近いことを感じ やり場のない感情に襲われた
男を見据えていたが 怒りとやるせなさで涙が滲む
腕をつかまれ 男が乱暴に私を抱き寄せた
私達は激しいまでの接吻を交わしていた
別れを惜しむように 互いの唇をむさぼった
男は私を椅子に縛りつけ キーホルダーから車の鍵を抜き取った
「車はもらう 途中で車を乗り換えるから追っても無駄だ
アンタを縛ったところで たいした時間稼ぎにはならないだろうがな」
「傷がまだ治ってないのに……」
「そのうち治る」
「今朝 包帯を替えようと思ってたのよ……」
私の顎を右手でつまみ唇を重ねてきた
さっきのキスとは別人のように ゆっくりと唇を吸い上げていく
そして 慈しむように左手で私の右の乳房を撫で上げた
「怪我が治ったら 寝てくれるんだろう?」
「それまでアナタが逃げおおせたらね 毎日犯罪者の逮捕リストを見るわ」
「最後まで口の減らない女だ アンタ 本当の名前は? ふっ 聞いても無駄だな」
「澪……アナタは?」
「雄也だ……信じるか信じないかはアンタ次第だ」
男が国際手配されている犯罪者だと知ったのは 2日ぶりに本部に顔を出し
犯罪者リストの検索の途中だった
「見つかったようだね」
室長代理の穏やかな声が頭の上から聞こえた
「はい ですが……この資料は書き直しが必要かと思われます
右利きですが 左もかなり器用に使います 身長はもう2センチほど高いでしょうか
それから……」
私は彼がふいに目の前に現れるのではないかと思っていた
”怪我が治ったら寝てくれるんだよな”
あの言葉は いつか私に会いにくるということだったのではないのか
そう思う一方で 顔を知られた私に接触などするはずもないと 自分に言い聞かせてもいた
雄也が犯罪者でも 凶悪犯でもいい もう一度会いたいと何度願ったことか
顔を見たさに犯罪者リストを呼び出しては 雄也の顔写真を見つめ続けた
拘束された中で得た不思議な信頼関係は 愛情と呼ぶには不確かで
けれど 彼を追い求める心を否定できずに もがいた半年だった
定時報告のために携帯を取り出した
番号を押そうとしたときだった
前からきた男性がよろけ 手にしていた紙コップの中のコーラがこぼれ携帯を濡らした
「ちょっとぉ どうしてくれるのよ」
男性がすみませんと 小さな声で何度も謝る
更に文句を重ねようとしたときだった
小さいが ハッキリと聞き取れる声がした
「澪 俺だ」
半年間追い求めた声だった
「このまま俺を怒った振りをしろ ここでは監視カメラに写ってしまう 気づかれないように右前の路地に入れ」
男を叱責した素振りを見せその場を立ち去り 用もない店に入り そのあと足早に路地に身を滑り込ませた
目深に帽子をかぶった男が立っていた
「アンタ 澪って本当の名前だったんだな」
「そっちこそ……よく逃げたわね……私 毎日毎日 犯罪者の逮捕リストを見たのよ」
「名前がなくて残念だったな 俺はずっとアンタを見てた」
「どこで? 近くにいたの?」
「あぁ アンタ 俺に接触したってことで 長いこと公安に見張られただろう?
まったく気の抜けた顔をして歩きやがって 見てるほうがイライラした」
「私はアナタが捕まったんじゃないかって心配で 怪我のあとはどうなったのかなって……
なんでもっと早く顔を見せなかったのよ!」
雄也の手が勢いよく私を引き寄せた
激しくて 乱暴で 自分勝手な雄也の唇は 私の口を強引に押し開け何度も吸い上げる
半年間追い求めた男の情熱を一身に受け 足元がふらつくほど唇を合わせ続けた
「澪……一緒に来るか」
一瞬の迷いのあと ”うん” と頷くと 雄也は私の手をとって走り出した
大通りは 最近急激に増えた監視カメラにより見張られているからと
路地の合間をぬい 雑居ビルの中を抜け 互いに黙って突き進む
途中 昔ながらの煙草屋の前の古ぼけた公衆電話で 本部に定時連絡をいれた
変わったことはなく 今日はこのまま帰りますと 偽りの報告をして……
重い受話器を置き 再び走り出す
私は 雄也の手をしっかりと握っていた
あの部屋で別れてから ずっと求めていた温かさだった
思い出すのは 張り詰めた空間で触れた雄也の怪我をした足と
互いを感じあった手であり 乱暴な唇だった
”一緒に来るか” と問われ 迷いはしたが雄也を求める気持ちに勝るものはなかった
この先 手を繋ぐ男と間違いなく抱きあうのだろう
そのために私は夢中で走っていた
奥まった駐車場に止められた車にたどり着くと 帽子と大きなサングラスを渡された
「メガネを掛けてみろ 画面が見えるはずだ 音はフレームの先から聞こえてくる
画面に神経を集中しろ 間違っても道を覚えて 頭の中で地図なんか描くんじゃないぞ」
「何でも知ってるのね 訓練されたことを体から追い出すのは難しいけど 何とかやってみる」
「帽子の中に髪を入れてかぶれ」
「わかった」
私達諜報部員は 目隠しをされても自分の位置を特定できるように訓練されていた
研修時代 目隠しをされ様々な場所へと連れて行かされた
車に乗せられ 右へ左へと曲がる度に頭の中で地図を描き
建物の中に入ると 足音と耳に伝わる音の響きで建物の大きさを測り 見取り図を描いた
それは情報分析と 自分の脱出のため
あらゆる神経を使い自分の位置を割り出すのだった
これまで内偵のたびに使ってきた感覚を封じ込め メガネに映し出される画面に神経を集中させた
映画は ガヤガヤと うるさくまくし立てるコメディーで 車の外の音は一切聞こえてこなかった
どれくらい走ったのか まったく予測もつかないほど 私は画面に集中していた
車を降りても まだ映画は終わらない
雄也に手を引かれ 何段の階段を昇ったのかさえわからなかった
「ミオ……澪」
「うん? あっ 着いたの?」
「グラスをはずしていいぞ」
メガネをはずしたが 間近の画像に慣れた目には薄暮の淡い光さえ眩しく
ここがどこであるかを認識するまで しばらくの時間を要した
「澪」
声と同時に雄也の手が私を捉え 壁に体を押し付けた
両手をつかまれたまま 雄也の唇が私の肌に吸い付いていく
触れるなどと 生やさしいものではなかった
首に唇を当てては 強烈な痛みを伴うほど吸いあげ 甘さを伴った痛みに声が漏れた
やがて あの強引さで 私の口の中すべてを支配した
舌先は私を追いかけ 互いの口を行き来した
雄也の手が胸元をこじあけ 乳房を探し当てる
下着から乳房を引きずり出すと ひとしきり手で揉みあげ 身をかがめ露になった胸に顔を押し当てた
両の乳房は口と手によって形を変え 完全に男のものになっていった
吸われるたびに抑えきれない声がもれ 子宮に伝わる感覚は快感となって増していく
私達は互いの服を脱がせ すべてを剥ぎ取ると互いを強く抱きしめた
激しい抱擁に 体はすでに汗をかき熱くたぎるようだったが 離れるのを拒むようにそれぞれの体を愛撫し続けた
足を抱えられながら雄也の手で充分に潤った体は 狂おしく求めた男を易々と受け入れ
私達はベッドにたどり着くことなく恍惚を共有した
「澪」
始まりと同じように 雄也が私の名を呼ぶ
「足が震えて……少しこのまま……」
「無理をさせたな……」
先ほどまでの激しさは消え 優しい腕が私を抱き上げた
あの時は 私が怪我をした雄也を支えた
盛り上がった肩の筋肉 背中の厚みや腕の太さを 緊迫した中で感じていた
その腕が いま私を抱えている
求めた男に抱えられ 言い尽くされた言葉ではあるが 快感に浸るとはこんなことなのだと
彼の腕に身を預けながら ひと時の心地よさに酔いしれた
ベッドに横になり お互いの顔を初めてゆっくりと見た
雄也の顔は 以前に比べ少し肉が落ち 一段と怜悧さを増していた
頬に手をのばすと 私の手をとり愛しげに唇に押し当てたあと 指を絡ませてきた
「俺のプロフィールを書き換えただろう 正しく記載してくれよ 身長は3センチ増しだ」
「そんなことまで情報が漏れてるの 呆れたわ 筒抜けなのね」
「情報なんて漏れるように出来ている」
「言うわね だから私のこともわかったの? ねぇ いつから見てたの?」
「ふっ 怪我が治ったら抱いてもらう約束だったからな 接触する機会を狙ってた」
「自分ばっかり……私だって どれだけ心配したか……」
求め続けた男の顔がすぐそこにあった
半年間の思いが込み上げて 雄也の胸にしがみついた
「自信が持てなかった お前に会って いまさらどうする そんなことばかり考えながら ずっと澪を見てた」
「私だって雄也のことばかり考えてた」
「初めて俺の名前を呼んだな」
嬉しそうな顔をし 優しく肌を撫でるだけだった手が また意思を持って動き出した
「澪の顔を思い出しながら 一人寝も寂しくなかった」
「変なこと考えてたんでしょう! バカ」
「当たり前さ こんなことばっかりな」
いたずらをする子供のような笑みを浮かべ
雄也の手は脱力した腰をまさぐり やがて私の中で戯れた
激しい交わりで敏感になった内部は 僅かな刺激で痙攣をおこし
遠慮のなくなった喉から出される私の声に 雄也は満足そうな顔をしながら
なおも私を離そうとしなかった
「俺が忘れないように 澪の声を聞かせてくれ」
俺が忘れないように……
別れがくることを意味していた
そうだ このまま いつまでもこうしているわけにはいかないのだ
雄也の愛撫が 快感を伴う甘さから 切ないものへと切り替わる思いがした
一晩中 私達はベッドの中で過ごした
無言で抱き合い 疲れると とりとめのない話をした
眠りに就いたのは 朝方
それから瀞のように眠り続けた
私は またメガネを掛けていた
元の世界に帰る道のりを 来たときと同じように 面白くもない馬鹿げた映像を観ながら……
雄也の運転する車が どこの道を通ったか想像しないように 頭で無意識に地図を描かないように
耳から聞こえる映画の 中身のない会話に集中した
車が止まり 雄也が私のシートベルトをはずす
「メガネ はずしてもいい?」
「まだだ そのまま車から降りろ 車が走り出したらはずしてくれ」
「わかった……私達……また会えるの?」
「おまえなぁ 自分の身分を忘れたのか?」
「ふふっ ホント 今まで忘れてた」
人気のない歩道を選び私を降ろすと 雄也を乗せた車は走り出した
次の再会はいつだろう 半年先だろうか いや一ヶ月先かもしれない
今しがた 目隠しをした私に刻印のようなキスを残し 別れの言葉も告げず去った男の顔を思い出しながら
コーラで使い物にならなくなった携帯を握り締め 夕暮れの街を歩き出した
