【ボレロ】  間奏曲 - intermezzo - (インテルメッゾ) 後編



彼女の手の動きについて行くのがやっとだったが、それらしく曲が奏でられる。

楽器を弾く楽しさを感じはじめると欲が出て、一人で弾いてみたいので教えてくださいなどと
生意気なことも口にしていた。 

ひととき懸命に取り組み胸のざわつきも収まったのに、また私を惑わす声がした。



「優しいわ」


「なにが優しいんですか?」


「あなたのチェロを抱える手が。女性も優しく抱くんでしょうね」


「……」



”抱く” の意味は、ただの抱擁ではないことくらい、当時の私にも理解できた。



「似ているんですって。楽器を扱う手と、異性にふれる手って」


「そんなこと言われても、僕にはわかりません」



怒ったように言い放ち、楽器から手を離し立ち上がったため、彼女の手を振り払う勢いになり弾みで胸を叩いてしまった。



「すみません。痛かったでしょう」


「うぅん、大丈夫よ」



本当は痛かったのだろう、顔を歪ませ胸を手でさすっていたのだから。

チェロをおき、彼女に近づき胸を抑える手に自分の手を重ねながら 「ごめんなさい」 と
謝った。 

決して邪な気持ちからではなかったのだが、ふるまいが失礼だったと気がついた。
 
手をのけようとしたとき、彼女の手がするりと抜けて私の手の上に重なった。

重なるというより押さえつけられた手によって、丸く柔らかな胸の感触が手のひらに直に
伝わってきた。 



「さわった感想は?」


「僕をからかうのが、そんなに楽しいですか」


「からかってなんかいないわ。あなたの反応が楽しいだけ」



反省のない言葉にカッとなり、ふたたび手を振り払い胸を押しのけた。

軽く突いたつもりだったが、彼女は椅子につまずきバランスを崩したのだった。

それはとっさの行動だった。

倒れる体を止めるために、腕をつかみ体ごと胸元に引き寄せた。



「ごめんなさい……ありがとう」


「いいえ」



女性を胸に抱いたのは初めてだった。

すぐにでも体をはなさなければと思うのに、こわばった手が言う事をきかず、彼女も抱かれたまま動こうとしない。



「あなたの手、思ったとおりだった。抱きしめる手が優しいわ」



抱く手が優しいとは、純粋に抱擁する手のことだったのか……

勘違いに恥ずかしさがこみ上げ、耳が火照った。



「顔、紅葉みたいに真っ赤になってる」


「やめてください……」



見上げた顔は、明らかに私の反応を面白がっている。

言い返せば言い返すほど彼女は楽しそうで、男女の機微など微塵も経験がない私には、なすすべがなかった。 
 
私の首に手を回し額を寄せてきた。



「女を胸に抱いて、黙ったまま?」 


「柔らかくて……ドキドキしてます」


「ふふっ、あなたもドキドキしてる」


顔が触れそうな距離で私たちは会話をしていた。

唇が近づき、口に触れるギリギリのところで頬を滑りぬけ耳へとたどり着いた。



「誘惑しそうになったわ」


「えっ?」


「ふっ、ウソよ」



返す言葉を見つけられずうろたえる私へ、彼女は極上の微笑みをみせた。

微笑みが私の緊張をほぐしたのかもしれない。
 
彼女を体を離すと、何事もなかったような口調で 「暗くなったわね」 と言いながら部屋の明かりを灯した。 

それまでの危うい雰囲気は消え、窓の外にうっすらと見えていた紅葉は闇の中へと隠れ、フランス窓のガラスには私たちの姿が写っていた。

ガラスの中の彼女は、チェロを抱えていた。



「専門じゃないからうまく弾けないけど」


「俺にはわかりません。チェロの演奏って聞いたことないので」


「近衛君、俺って言うんだ。印象が変わった」


「そうですか?」


「あなたが大人になったら、どんな男性になるのかしら。いつか会いましょうね」


「はい」


「約束よ」



ふふっと笑ったあと顔が引き締まり背筋が伸びる。

弓を構えてひと呼吸ののち、体が大きく動きはじめた。

奏でる音は深く、緩やかな旋律が美しい曲だった。

目を閉じると、山肌を彩る紅葉とチェロを弾く彼女の姿が重なって浮かび、瞼の裏に焼き
付いた。 




「……宗、起きて」


「うん? 終わったのか」


「第一部が終わったところ。せっかくの演奏も、あなたには子守歌だったみたいね。

コンサートマスターがこちらを見てたわよ。宗の寝顔、ステージから丸見えね」



拍手の音に紛れて私を起こした珠貴は、呆れた顔をしていた。

オーケストラを聴きに行きたいから付き添ってほしいと言われ、途中で寝ても文句を言わ
ないのなら……という条件で演奏会に同行した。 

案の定私は熟睡し、文句こそ言わなかったが珠貴は苦笑している。

ステージから見える席で初っ端から寝入り熟睡とは、私は演奏者に失礼極まりない観客
だっただろう。 

コンサートマスターに睨まれても仕方がない。

幕間の休憩に入り、客席がざわついてきた。

遠慮なく手を伸ばし伸びをすると、目覚めのぼやけた頭がすっきりした。



「チェロの音色が心地良くてね」


「まぁ、言うこと。でも、チェロ協奏曲は良かったわね。ソリストが素晴らしいわ」



国際コンクールで上位の入賞歴のある日本人だと、珠貴はチェリストの経歴に詳しかった。



「ソリストの野田淳也さんと、コンサートマスターの久城るかさん、ご夫婦なのよ」


「久城るか?」


「久城さんは、旧姓のまま演奏活動をしてるの。おふたりは音大の同級生で、
業後すぐ結婚されたんですって」 



久城るかの名を、こんなところで聞くとは思わなかった。

ホールに向かう途中で思い出した懐かしい人だった。
 
まさか、このオーケストラに彼女がいたとは……

ステージから私の顔が見えたから、こちらを見ていたのか。

いや、十数年前に一度だけ会った私を覚えているとは思えない。

だが、もし彼女が私を覚えていたとしたら……

話の途中である珠貴の言葉を遮った。



「少し席を外すよ。開演までには戻るから」


「どうしたの?」


「大事な用を思い出した。電話をしてくる」


「休憩はあと10分よ。急いでね」


「わかってる」



心配そうな珠貴をホールに残し、急ぎ電話のできる場所へと向かった。

電話にでた秘書の堂本里久は、まだオフィスにいた。

仕事中である彼に私用を頼むのは気が引けたが、ほかに心当たりがなく彼に頼るしか
なかった。 

要件を伝えると 「承知しました。すぐに手配します」 と私を安心させる返事があった。


第二部が始まる直前席に戻ってきた私へ、珠貴が 「寝るときは目を開けたまま寝てね」 と
無茶な注文をつけた。

言われずとも目を見開き、集中して演奏を聴き、ステージを見据えた。

コンサートマスターが私を見ることはなかったが、私は彼女だけを見ていた。

久城るかの横顔は、あの頃と少しも変わってはいなかった。

細く長い指も、しなやかに動く手も、私の記憶と同じだった。

彼女が私のために用意したチェロは、恋人のものだったのだろう。

何も知らず、重ねた手と触れた胸にときめいた。

彼女に抱いた感情は、恋心というには不完全だった。

けれど、青くかたくなな心が揺れたのは、彼女を慕う気持ちがあったから……

わずかな甘さとほろ苦さが胸に広がり、切なさと懐かしさが入り乱れた。

私からの贈り物を、彼女は喜んでくれるだろうか。

蕾ばかりのバラのブーケに、遠い日を思い出し懐かしんでくれるだろうか。


”会えましたね……”


指揮者を見つめる真剣な横顔に、心でそっと語りかけた。
 
シンフォニーの二楽章の調べは、私をまた眠りへと誘ってきた。

 
            
 
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2 Comments

撫子 s Room  

No title

mizuyoonさん

宗一郎が高校生の頃出会った女性とのエピソードでした。
フランス映画のようでしたか? (なんだか嬉しい^^)
初恋だったのかもしれません。

久城るかのことを、彼は珠貴に話すのでしょうか。
秘めた恋として胸にしまっておくのか、それとも・・・

フルートの演奏会はいかがでしたか。
楽器の音色、素敵ですね。
生演奏は感動だったでしょう。

>久城さんへの気持ちの続き気になります。

今後、本編にも登場するかも・・・

2013/12/08 (Sun) 18:37 | 編集 | 返信 |   

mizuyoon  

No title

フランス窓が特徴の館のお話は宗さんのお話だったのね。洒落たフランスの映画のような初恋?の物語みたいです。あ、初恋にしてはちょっと女性が大人過ぎ?
珠貴さんはそのお話を知っているのかしら?なんだかドキドキします。
演奏会って眠くなるんですよね。私も明日はレベルが大違いですが、友達のフルートの発表会に行きます。目のせいで途中どうしても眠くなってしまいます。宗さんほどは寝ないようにしないとね。
久城さんへの気持ちの続き気になります。

2013/12/06 (Fri) 21:52 | 編集 | 返信 |   

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