【花香る下で】 41-1 -宵闇 (よいやみ)-



平日の午後の国道は渋滞もなかったが、先を急ぐ高辻壮介には前方の車がもどかしく思えてならなかった。

ウィンカーを上げて前方車を追い抜き、さらに二台を追い越した。

高速インター入口の表示が見え、針路を左へ変更し、料金所を抜けるとアクセルを踏み込み一気にスピードを上げた。



『……関西経済界において発言力のあるT興産社長だが、婚外子の存在が明らかになった……

社長の妻は全国に弟子を持つ茶道の家元で……』



掲示板の書き込みは、取材記事のように硬い文体だった。

断定的な文章は読む人に強い印象を与え、書き込みを目にした人は、書かれたことが事実であると思い込む。

『T興産社長』 の表記だけなら複数の人物が考えられるが、全国に弟子を持つ茶道の家元が妻であると書かれては、『T興産社長』 は高辻紀明以外の何者でもないのだ。
 
父の不貞を暴露しただけでなく、母の立場も揺るがす事態となりかねない書き込みは、企業アドバイザー戸部の仕業に違いない。
 
壮介は、腹の底からふたたび怒りがわいていた。

もし、書き込みの内容が世間に広がったら、高辻興産グループの社員と煎茶道高風流の会員に、多大な影響を及ぼし損害を被ることは避けられない。

さらには、里桜と陽菜子のみならず荒木家の事業にも痛手を与えることになる。

壮介が許せないと思うのは、ひっそりと世間から隠れるように育った里桜が、出生の秘密を暴かれ世間にさらされることだった。

高辻紀明の娘であることを隠すために、何かと制限された人生を送ってきた里桜が、橋田祐斗との結婚で自由な生活が送れるのも間近であったのに、戸部の逆恨みから平穏な環境が奪われようとしているのだ。

粘り気のある戸部の薄ら笑いを思い出し、壮介は吐き気がした。

気分の悪さを払しょくするように、壮介はさらにスピードを上げた。

制限速度をはるかに超えて走行する車は、またたくまに周囲の車を抜き去り、前方は道路と風景が広がる視界となった。

上がりすぎたスピードメーターの数字に気がつき、アクセルを踏み込む足の力を緩めた壮介は、落ち着けと自分に言い聞かせハンドルを握りなおした。

高速道路から望む山の紅葉が、目に留まることなく後ろへと流れていく。

帰国したら紅葉狩りへ行きたいと言っていた彩紀の願いを叶えるためにも、帰国までに事態を収められたらよいのだが。

厄介な問題が持ち上がったこの時期に、彩紀が旅行中で良かったと壮介は思った。

高辻家の問題ではあるが、問題が浮上すれば壮介の婚約者である彩紀へ向けられる目も厳しくなる。

事態が収まるまで、母親と海外にとどまるよう伝えようかと思ったが、彩紀のことだ 「すぐ帰ります」 と言い出すだろうと思い直した。

問題が予想以上に大きくなり、事態の収束に時間がかかりそうであれば、そのとき知らせよう。

母の口添えがあれば、彩紀も聞いてくれるのではないか。

彩紀への対応が決まり、壮介は少し落ち着いた。

もっとも先に知らせるべき父と、いまだ連絡が取れずにいた。
 
社長秘書に最優先で連絡してほしいと言づけたが、代議士と会食中のため取次ぎは難しいとの返事だった。

会社の危機だと言えば取り次いでくれたのか、社長の進退がかかっていると言えば、秘書の機転で動いてくれただろうか。
 
あれこれと考えてみたが、会食であれ会議であれ、対面中の取次は受け付けないとしている父の信念を曲げることはできそうにない。

二時間の会食の予定終了を待つしかない。

そろそろ連絡があってもいい頃だが……

スピードメーターと時計を気にしながら、壮介は車を走らせた。

午後から半日休暇を申請するために 『不幸があったため』 と偽りの口実を使った。

直属の上司は身内であるため、親族の不幸を理由にはできない。

友人の訃報を理由として上げるのに後ろめたさがあったが、里桜の身に迫った危機を思えばウソも難なく口から出た。

庶務と広報へ顔をだしそれとなく探りを入れたが、その時点でネット掲示板の噂が伝わった様子はなかった。

祐斗から掲示板の書き込みを知らされ、急ぎ書き込みの削除を申請した。

本来なら書き込みの削除は簡単にはできないが、壮介の訴えを聞き、書き込みは中傷であると判断したサイト主が、臨機応変に対応してくれたのだった。

しかし、一旦インターネット上に載った話題は、削除しても消えたとは言いきれない。

書き込みに気がつくまで半日放置されていたので、どれほどの人の目に触れたのか予測は不可能である。

ましてや、ツイッターなどで拡散されたとなれば、書き込み文のまま広がっていくのを止めるすべはない。

父ならどう動くのだろう、母ならどんな対応をとるのか、大勢を従えその頂点に立つ両親の立場を考え、さらに自分ならどうするかを壮介は思案していた。

サービスエリア入口の表示が見えた。

そろそろ父の秘書から連絡があってもいい頃であり、祐斗にも現在地を知らせるために電話しなければと思っていた。

サービスエリアへ入り、駐車場の空きスペースに車を止めるのを待っていたように、父、高辻紀明から電話が入った。

重要事項から端的に語る壮介の話に、父はじっと耳を傾けているのか相槌のみが返ってくる。

聞き終えたのち、どれほどの驚きの声があるのかと構えていたが、壮介の耳に聞こえてきたのはいつもと変わりない父の声だった。



『わかった、早急に対応する。
 
マスコミからの問い合わせには、現在応じられないとだけ伝えよう』


『それで彼らが引き下がりますか』


『引き下がってもらう。私も、伊達に年をとってはいないからね』


『会社はよくても、高風流の方は』


『母さんに任せておけば心配ない』


『お母さんに話すんですか』


『あぁ、黙っている問題じゃないだろう』


『でも、お父さんが……』



不貞を妻に伝えるのかと、息子の口から告げることはできなかった。

今回の件を話すと言うことは、里桜の母親との長年の関係を打ち明けるということになる。

里桜の存在を知ってからも、両親にはいつまでも夫婦仲が良好でいてほしいと願ってきた壮介には、父の言葉は辛く響いた。

社長と社員の立場で語っていた電話は、いつしか父と息子の会話になっていた。



『兄さんたちには、僕から話そうか』


『私が話をする。おまえだけが里桜のことを知らされていたのかと、やっかみがあるだろう』


『そんなこと、いま気にしてる場合じゃないよ。僕も黙ってた責任がある』


『私が口止めしたんだ、おまえの責任じゃない』


『でも』



それでも父に抵抗する壮介へ、高辻は言い聞かせるように声を低くした。



『責任は私がとる。壮介、私の指示を待たずに動いたのは賢明な判断だった。

いつかこんな時がくるのではないかと覚悟はあった。
 
なにはおいても、里桜を守らなければならない。

里桜を安全な場所に移すことが何より先だ。壮介、よく気がついた。

祐斗君と一緒に里桜を頼む』


『はい……これからどうするつもりですか』


『知らせを聞いて最悪の事態だと思ったが、最悪の状況は回避できそうだ。

藍川議員とご一緒している。これまで恩を売っておいた、今度はこちらの頼みを聞いてもらうとしよう。

持ちつ持たれつだよ』



マスコミに強い議員だから力を発揮してもらうよと、笑いながら高辻の電話は切れた。

『壮介、賢明な判断だった。よく気がついた』 父の声がこだました。

父親に名前を呼ばれて褒められるなど、久しくなかった。

いくつになっても褒められるのは気持ちの良いもので、晴れやかな気分のまま祐斗へ電話をした。



『僕だ、父に連絡がついた。
 
追って電話があるだろうが、もしかしたら君の方に連絡があるかも知れない』



父へ状況を知らせてほしいと祐斗に頼んだ。

祐斗も会社を早退して、里桜の元へ駆けつけていた。



『萌恵さんの知り合いの方が、里桜を預かってくれるそうです。

真田さんといってホームセンターを経営している方ですが、真田さんの奥さんが偶然にも里桜の中学高校の先輩だったんです』



興奮気味に偶然を話す祐斗の声を聞き、壮介も高ぶってきた。

最悪の事態が起こったことには違いないが、困難を回避できる要素もある。

代議士と高辻が一緒だったこと、里桜の先輩が地方にいたこと、これだけでも幸運といえよう。

戸部の脅しなどに負けるものか。

壮介は、シートベルトを肩にかけながら、あと30分ほどで着くと伝えた。



『気を付けてきてください。待ってます』



壮介を気遣う祐斗の声が気持ちよく耳に届く。

婚約したと知らされ、妹をとられる寂しさから祐斗を疎ましく思う気持ちもあったが、もうそんな感情はない。

車を発進させ、高速の車の流れにのるためにアクセルを踏み込んだ。



ふたりの男の子の寝顔が並ぶ部屋を確認した萌恵は、そっと扉を閉めた。

遊び疲れて寝てしまった子どもたちの眠りは深く、夕方近くまで寝てくれそうである。

大人だけになった居間から深刻な話し声が漏れ聞こえてくる。

キッチンに入った萌恵は、来客へ茶菓をだすための準備を始めた。


真田柚季と里桜を招き昼食の食卓をかこんだあと、女三人はお茶とおしゃべりに夢中になり、萌恵と柚季の息子たちははしゃいで走り回る賑やかな午後をすごしていた。

そんなとき、里桜へ祐斗から今日二度目の電話がかかってきた。

思わずと言ったように 「あっ、また祐斗さん」 と漏らした里桜を 「まぁ、嬉しそうな顔しちゃって」 と柚季はからかったが、そのあとの電話の応答は、婚約者との甘い会話ではなかった。

走り回る子どもたちをつかまえて、電話だから静かにしてねと言い聞かせると、里桜の様子から子どもなりに感じ取るものがあったのか、ふたりは母親の言うことを素直に聞きじっとしていた。

それにしてはも里桜の表情はただ事ではなく、萌恵も柚季も身を固くしてじっと見守っていた。



「萌恵さん、彼が電話を代わってほしいそうです」



電話に出た萌恵は、祐斗から驚くことを聞かされたのだった。



『……えぇ、はい……壮介さんもいらっしゃるのね。わかりました』


『しばらく、里桜をおねがいします』


『わかりました。橋田さん、こちらは大丈夫ですから』



よろしくお願いしますと、また祐斗に頼まれた。

電話を終え、柚季へ事情を話しているさなか、夫の圭吾から連絡が入った。

互いに事情は了解済みであり、圭吾は用件のみ萌恵に伝え、圭吾からも里桜を頼むと言われたのだった。



「里桜さん、ここにいてね。橋田さんも、壮介さんもいらっしゃるそうだから」


「ありがとうございます、お世話になります」



里桜の生活環境が一変するような事態が起ころうとしているのに、取り乱すこともなく落ち着いていた。

大丈夫かと聞いた萌恵へ、里桜はこんなことを口にした。



「いつかこんな時がくるかもしれないと、父に言われていました。

あわてず、落ち着くようにと言われていたので……大丈夫です」



気丈に話しながら固い表情だったが、ほどなく祐斗が姿を見せると、里桜は安心した顔になった。

駆けつけた祐斗の方が、よほど不安そうだ。

祐斗に寄り添いながら部屋の奥へ進む里桜の後ろ姿をみながら、かけがえのない相手に巡り合ったことを嬉しく思った萌恵だった。



和菓子と煎茶を乗せた盆を持ち居間へ入ると、柚季と祐斗が真剣に語り合っていた。

里桜を預かろうという柚季の提案に、祐斗は迷いを見せている。



「迷惑をかけるから、なんて思わないでね。私は里桜さんを守りたいの。

橋田さん、考えてみて。
 
マスコミがあなたと里桜さんのことを知ったら、ここを探しに来るに決まってるでしょう?

こちらのマンションより、うちの方が安全よ」


「そうですね……でも」


「でもも、しかしもないの。里桜さんが私の後輩なんて、この辺の人は知らないのよ。
 
任せてください」


「壮介さんに相談して、それから」


「そんなの、事後報告よ。待ってて、主人に話してくる」


「真田さん!」



迷う祐斗と里桜の返事を待たず、夫と話し合った柚季は持ち前の行動力を発揮し、里桜を預かる手はずを整えたのだった。


「真田さんって、頼もしいでしょう」


「ですね。でも、いいんでしょうか」


「みなさん、里桜さんと橋田さんの力になりたいの。私も主人も」
 
 
「芹沢さんに真っ先に相談しました。会社関係の情報を集めてもらっています」
 
 
 
祐斗の言葉に萌恵はうなずいた。
 
 
 
「東京の白井さんにも知らせた。お母さんのところに行ってくれるそうだ。
 
みんな動いてくれている」


「祐斗さん」



祐斗の手が里桜の肩におかれた。



「こちらの受け入れ体制は万全よ。真田が、いつでもどうぞって言ってたわ。
 
里桜さん、橋田さん、私の夫に会ってね」


「はい」



里桜は柚季の家に身を寄せることになった。
 


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2 Comments

撫子 s Room  

No title

れんぎょうさん

里桜へいつ事実を伝えるのか。
「書き込み」から、高辻は岐路に立たされています。

>橋田をはじめに周りの人々の緊迫と思いやりが伝わってきます。

ハラハラがしばらく続きそうです。
先を楽しみに読んでいただけると嬉しいです。

【花の降る頃】 再読、ありがとうございます!
祐斗と里桜のシーンでしたか。
私もこの偶然が嬉しいです。

次回は、来週UPの予定です。

2014/04/12 (Sat) 12:32 | 編集 | 返信 |   

れんぎょう  

No title

おはようございます。

里桜自身も知らされていなかったことがこんな形で知らされていくとは・・・・・橋田をはじめに周りの人々の
緊迫と思いやりが伝わってきます。ハラハラ・ドキドキ・ワクワクしながら読んでいます。

今、<花の降る頃>を再読していて、里桜と橋田がこれから心寄せ合うかなと思われるシーンです。で、今日の
UPに嬉しさ倍増でした。
次回が待ちどうしいです。

2014/04/12 (Sat) 05:50 | 編集 | 返信 |   

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