【冬のリングとマンチカン】 3-2 女の事情、男の事情 



ラウンジを出て化粧室へ入った愛華さんを待ちながら 「恋ちゃんの話を聞かせてよ」 と伝えると 「私の話も聞いてくれるの?」 と嬉しさをにじませながら言われた。



「彼と別れるつもりだったなんて言ったから、気になりますね。ごめんなさい」


「謝らなくてもいいけど、気になってるのは本当。俺も恋ちゃんのこと聞きたいから」


「あれ? 西垣さんって、俺って言いましたっけ?」


「はっ、あはは……猫かぶってたけど、俺の方がラク」


「そうなんだ」


「まだ時間ある? もう一軒どっか行こうか」


「それもいいですけど、よかったらウチに来ません? タァーも気になるし」



時計の針は10時になろうとしている。

この時刻から女性の部屋を訪れるのは、いかがなものか。

どこかで飲みながらの方がいいに決まっているが、恋ちゃんは猫が気になるようで、それなら彼女の部屋の方がいいかもしれないと、俺はあっさり承知した。



「お待たせ。いきましょうか」



ミヤさんから預かった折詰を手にした愛華さんは足取りも軽く、ご機嫌な顔で俺の腕に手を絡めてきた。

胸の弾力がなかなかいいなと、男の下心を煽る仕草にほくそ笑んでいると、反対側を歩く恋ちゃんがハッと息をのみ立ち止まった。

エレベーター前の廊下を曲がってきた男も、俺たちを見て息をのんでいる。



「おにいさん……」



恋ちゃんの声が廊下に響き、愛華さんは俺の腕をギュッとつかんだ。



「こんばんは」


「こんばんは」



男の挨拶に恋ちゃんだけが答え、俺は儀礼的に頭を下げ、愛華さんはさっきより強く俺の腕に腕を絡めてきた。



「その人と……そうか」


「そうよ。だから、なに?」


「いや、僕がどうこう言うことはないよな。愛華たちをよろしくお願いします」



男は俺を愛華さんのパートナーだと思い込んだ。

愛華さんは男の勘違いを利用した。

俺は話を合わせるべきか?

「よろしく」 と言われたのだから 「まかせてください」 とでも答えたらいいのだろうか。



「余計なお世話です。武士さん、いきましょう」


「あっ、うん」



階下へのエレベーターのドアが開き、愛華さんに引っ張られるようにして乗り込んだ。

男も一歩踏み出しかけたが、愛華さんがすかさず 「閉」 を押したドアに阻まれ、踏み出した足を戻すのが見えた。

閉まるドアの向こうから切ない視線が届く。

愛華さんはその目を見ることなくそっぽを向いていた。



「せっかくの気分が台無しじゃない」


「いまの、龍太君の……」


「そうです、あれが父親。あーもぉ、なんでこんなときに出くわすのよ。

西垣さん、河岸を変えて飲み直しましょう。恋ちゃんも付き合って」



苛立った美人の横顔には迫力がある。

つり上がった眉と怒りをにじませた口角が、整った顔に険しい彩りを加え惚れ惚れした。

家に電話しなきゃ、と独り言を言いながら、愛華さんはエレベーターを降りながら電話をはじめた。



「あの調子では朝までコースになりそうだな。予定変更だね」


「ですね」


「明日か、明後日でもいい?」


「わたしはいつでもいいです。そうだ、ミューちゃんも連れてきてね」


「それはいいね。俺もミューの心配しなくてすむ」


「じゃぁ、そういうことで」



恋ちゃんの声は心なしか弾んでいた。



ハルさんたちに連れられ賑やかに過ごした夜から二週間たつ。

恋ちゃんとの家飲み会はいまだ実現していない。

先週は彼女も俺も忙しく時間がとれず、昨日 『麻生漆器店』 に顔を出し 「週末、どうかな」 と恋ちゃんを誘ったが、「週末はちょっと……」 とはかばかしい返事がなかった。

なんとなく、恋ちゃんに避けられている気がする。

あの夜、余計なことをしゃべり過ぎただろうかと思い返すが、恋ちゃんに嫌われるようなことを言った覚えはないのだが。

『丘の上ホテル』 バーラウンジのあと、夜2時までやっているという愛華さん馴染みの小料理屋 『なすび』 に腰を据えた。

愛華さんの愚痴に付き合うつもりでいたのに、茄子を肴に俺の過去をしゃべらされた。

『なすび』 のおかみさんと愛華さんは、息子たちを通じた知り合いで、いわば保護者つながり。

愛華さんの家庭環境もすでに承知しており、「さっき、別れた旦那とばったり会ったのよ」 と、店に入るなり本題に突入、「あらあら、それはご苦労様でした」 とおかみさんがこたえ、話は終了。

お客さんを連れてきたわよと紹介され、それから俺の身元調査となった。

35歳で同級生と結婚、二年後子どもを連れて離婚した 『なすび』 のおかみさんは、同じ年の子どもがいるが愛華さんより歳は一回りも上だ。

小料理屋を切り盛りしているだけあり、聞き上手であることこの上ない。

客の相手をするおかみさんの横で、俺と似たような歳の板前さんが店の看板料理 「茄子の揚げ出し」 を黙々と作っているが、彼が俺の話を聞いているのかいないのか、包丁を持つ手に向かう真剣な顔から窺うことはできない。



「急ぎすぎたんだと思います。彼女を長く待たせたから、少しでも早く前に進もうと思って。

でも、なんか、いろいろ無理をさせたみたいで」



結婚を望むあまり、深雪のペースも考えずに推し進めてしまったのだと、別れに至った要因を話した。

湯気があがる鉢が目の前に置かれた。

素揚げの茄子と揚げ豆腐に、たっぷりのネギが添えられている。

熱いうちにどうぞ、と言われ箸をとった。



「それだけじゃなかったかも」


「はっ、ふぁい」


「あっ、ごめんなさい。熱いでしょう? ゆっくりどうぞ」



茄子を一口ほうり込んだが、熱々でしゃべるにしゃべれないのだ。

ともかく茄子の素揚げを食べることにした。



「女はね、この人だと思ったら、無理をしてでも一緒になろうとするの。

愛華さんも、そうだったでしょう?」


「えぇ、勢いで結婚しましたよ。で、別れるのも早かった。そういうサヨリさんだって」


「まぁ、そうなんだけどね」



出汁がしみ込んだ茄子の素揚げを平らげると、箸休めです、と板前さんがぼそっと告げて茄子の浅漬けが出てきた。



「私ね、息子が一歳の時、あいついで両親を亡くしたの。

親がやってたこの店を守らなきゃって、息子を保育園に預けて頑張ったのよ。

でも、旦那は私が頑張れば頑張るほど冷たくなって。

ついには、いつも一緒にいる板さんと怪しいんじゃないかなんて言い出して。

いい加減にしてって言ったら、やっぱりそうなのかって言われた。

信用されてなかったんだと思ったら、ほんと、悲しくなったわね。

板さんも居づらくなってやめちゃった。

それで旦那とよりが戻ったかといえば、そんなことなくて、もっと気持ちが離れて離婚よ」


「小さいお子さんを抱えて、ご苦労されましたね」


「そんな風にいわれると、泣けてきちゃう。西垣さん、ありがとう」



あなたなら、きっといい人が見つかるわよと、『なすび』 のおかみサヨリさんに太鼓判を押された。



「ねぇ西垣さん、彼女にわたすつもりだった婚約指輪、処分した方がいいと思う。

いつまでも持ってるから、気持ちの整理ができないのよ」


「そうなんですけど、なんか面倒で」



貴金属の買い取り業者に知り合いがいる、紹介しましょうかとおかみさんに言われたが、そのときはお願いしますとだけ言っておいた。

いざ処分するとなると、やはり思いきれない。

……と、『なすび』 でこんなやり取りがあったのだが、そういえば、俺や愛華さんが話すばかりで恋ちゃんは話に加わってこなかった。

いや、指輪を処分すると言う言葉に 「えっ」 と小さく声をあげたな。

そうだ、恋ちゃんに 「君の指輪もそうする?」 と聞いたんだっけ。

あれは余計なひと言だった。

恋ちゃんにとって婚約指輪は、婚約者の家族と切るに切れない縁になっている。

俺のように、売ろうが捨てようが誰に何も言われない、そんな軽いものではない。


 
 
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