オランジェットな君の瞳 5



仕事柄、接待の席に同行することも多い。

交渉相手と酒を酌み交わし、互いの胸の内を語り合う。

いつの時代も大事な席は、そのようにして設けられてきた。

酒が強い者にはよいが、そうでない場合、飲酒はストレスを伴う。

近衛副社長もそんな一人で、全くと言っていいほどアルコールを受け付けない体質だ。

宴席でスムーズに事を運び、出来るならこちら側が有利に立ちたいと誰しも願うもの。

そうなるには接待先の協力が必要となる。

今宵の席は 『割烹 筧』、近衛HDと古くから付き合いのある割烹である。

近衛副社長の意向を伝え、会食の段取りを整えるのも僕の仕事のひとつだ。

『割烹 筧』 は、格式ある店である。

財界、政界の重鎮が会合をひらき、あるいは接待の場として用い、国政を、または、経済の指針が議論され決まってきた。

ここで、どれほどの重要事項が話し合われたことか。

大女将はそれらを見てきた人である。

『割烹 筧』 と近衛との付き合いは、先々代からと聞いている。

長年の付き合いがあればこそ無理もきくと言うもの。

今宵の席には大女将が顔を見せていた。

半ば引退している大女将であるが、特に大事な席には姿を見せ、双方の仲を取りもつ役割を務めてくれるのだ。

この席には若女将も従え、気合は充分だ。

大女将が自分の後継者として仕込んでいる若女将は、表に出るようになってからまだ日が浅い。

しかしながら、大女将譲りの度胸と行き届いたもてなしで、早くも若女将を目当てに通う客も少なくないと聞いている。

今宵は大女将のおかげで話もはずみ、確かな手応えがあったことに副社長も満足な様子である。

若女将の活躍も忘れてはならない。



「大女将もそろそろ引退ですか。若女将がいるんだ、考えてもいいでしょう」


「おほほ、さようでございますね。

若女将に、もう少し貫禄がつきましたら引退を考えましょう」


「貫録は充分だよ。大女将の仕込みはたいしたものだ」


「ありがとうございます」



大女将、若女将が、そろって頭を下げた。

祖母と孫であるふたりだが、身内の気安さはみられず、むしろ厳しい師弟関係のようである。



「いやいや、まだまだ引退は早いですよ。もっとお話をうかがいたい」


「近衛様、恐れ入ります」



席は和やかにすすみ、流れは近衛の方へ傾いている。

ここでもうひと押しすれば……

次の席も用意いたしましょうかと、副社長に耳打ちした。

小さくうなずき、にこやかではあるが余裕のある声で相手に話を持ちかける。

こんな時の近衛副社長は実に頼もしい。



「もう一度お話をうかがえないでしょうか」


「そうですね、ぜひ」



副社長が僕に目くばせした。

若女将ににじり寄り来週の予約を伝えると、目を見て承知いたしましたと、きっぱりとした返事があった。

副社長が所用で席を立つと相手は気が緩んだのか、急にくだけたことを言いだした。



「その目、いいねぇ。ゾクッとする。若女将も色っぽくなってきたじゃないか」


「まぁ、おっしゃいますこと。まだまだでございますよ」



大女将の牽制に、相手はそれ以上は言葉をはさまない。

ゾクッとするとは、あまりよい表現ではない。

そんな目で見るなと言ってしまいたい衝動を、どうにかこらえ平静を保つ。

仕事の相手でなければ、なんとかしたものを。



「そうだ、明日はホワイトデーじゃないか。若女将、食事でもどうかね。

このあいだのチョコレートの礼だ、気にすることはない」


「申し訳ございません」


「ははっ、断るのは早いじゃないか。さては予定でもあるのかな」


「いえ……」


「霧乃は、まだ修行の身でございますので」


「大女将は厳しすぎる、若い子はもう少し遊ばせなくては」


「いいえ、いまが大事なときでございます。私の目が黒いうちは勝手はさせません」


「おぉ、怖いな。若女将、しっかりな」


「ありがとうございます」



僕のことなど目にも入らぬ様子で霧乃は深く頭を下げた。

僕たちの交際を知っているのは、彼女の祖母であり筧の大女将その人だけ。

『割烹 筧』 若女将 筧霧乃、僕の恋人はまだ修行の身だ。




「おはよう」


「おはよう」


「早起きするつもりだったのに、どうして起こしてくれなかったの?」


「霧乃の寝顔を見ていたかったからね」


「ずるい、私も里久ちゃんの寝顔、みたい」


「じゃぁ、僕より早く起きるんだね」


「だって、ここ、気持ちいいんだもん」



霧乃は体を丸めて、僕の懐にすっぽり収まっている。

その背中をぐっと引き寄せた。



「里久ちゃんのお髭、いつそるの?」


「そうだなぁ」


「もうすぐでしょう!」


「どうしてそう思う?」


「ふふっ、いろいろ考えあわせたら、そう思ったの」



近衛HD副社長が進める事業の会合その他、『割烹 筧』 で行われた席に霧乃も若女将としていたのだから、僕らの今後について彼女に思い当たることは多いはず。

しかし、霧乃はあえて口にしない。

座敷で話されたことが、口外されることがあってはならないのだ。

そうとわかっていながら 「どうしてそう思う?」 などと問いかけるのは、単に霧乃と会話を楽しみたいから。



「『割烹 筧』 の企業秘密?」


「そっ、企業秘密」


「ふぅん……」



首筋に息を吹きかけ、わざと困らせた。



「もぉ、くすぐったい。そんなことしても、絶対教えないから」


「いいよ、言わなくても」


「里久ちゃんの意地悪」



恋人の膨らんだ頬にキスを置く。

休暇は始まったばかり。

何も決まっていない今日のスケジュール帳を少しずつ埋めていこう。

ふたりで過ごす時間はたっぷりある。



  
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1 Comments

撫子 s Room  

No title

1:11ナイショのコメントさん

一気に読んでくださったのですね!
ありがとうございます。

【ボレロ】 の登場人物たちの恋物語です。
『割烹 筧』の若女将、おもての顔は若いけれどしっかり者で颯爽と仕事をこなしていますが・・・
堂本里久の前では、可愛い恋人になります。
堂本も、霧乃の前では甘い顔になり、ふたりの恋は密かに進行中です。

本編はかなり長いストーリーです。
ゆっくりお読みくださいね。

書庫の件、お知らせありがとうございました。
訂正いたしました。

2015/03/19 (Thu) 23:38 | 編集 | 返信 |   

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