【ボレロ】 31-2 -逆転のカード-



『二階堂会館』 

古めかしい名前のここの主、二階堂ひさ子さんと久我の叔父は古くからの知り合いであるらしい。

20年か30年か、もっと前からの知り合いか……

品よく歳を重ねた顔を見ながら、若いころはさぞ美しかっただろうと、そんなことを思っていると、ふと鼻先に香りを感じた。

あぁ、そうか……と、ひとり合点しながら、なんでもない顔で会話を続けた。



「それにしても静かですね。都会の真ん中にいることを忘れます」


「東京はビルばかりで自然が少ないイメージがありますけれど、意外に自然が多いのですよ。

昔の江戸の交通は、川が大事な役目を果たしておりました。

当館の敷地の境界は川沿いで江戸の風情も残っており、ご覧のとおり緑も多く、交通量の多い道路が近くにございませんので」



静かな環境が保たれているのだとの二階堂さんの説明に、みな耳を澄ます。

遠くに車の音も聞こえるが、注意を向けなければ全く気にならない。



「都会の中の自然をもっと活用すべきですね。とても参考になりました。

あちらの建物ですか? コンサートホールのステンドグラスが素晴らしいと父から聞いています。

そちらもいつか見学できますか」


「来月には修復が完了いたします。

小さなホールですが、内装は職人が手をかけて仕上げたものでございます。

来月以降でしたら、いつでもお越しください」


「ありがとうございます。またうかがいます」



数年の内に父親からホテル事業を引き継ぐことが決まっている狩野は、自分の代で残せる何かを模索しているのだろう、すべてにおいて意欲的である。

古き良き風情を残す 『二階堂会館』 は、彼の五感を大いに刺激したようだ。

『アインシュタイン倶楽部』 の会合は二の次になっているが、それもいたしかたない。

 

「川はあちらですか」


「はい。そちらから海へもお出かけいただけます。よろしければご案内いたします」



ボートを係留する設備もあり、そのまま東京湾へと出られるそうだ。



「ぜひ、お願いします」


「さっそく手配いたします」



二階堂さんの返事は軽やかで、そばに控えるスタッフにすぐさま指示をあたえ、当人も 「では、のちほど」 と言い残し下がっていった。 



「素敵な方ですね……当館の主ですと言われたのが印象的でした。

『二階堂会館』 の名前もレトロでいいですね。ここは宿泊も?」


「以前は泊まれたが、いまは受け付けていない。

ひさ子社長が前社長から引き継いで間もなく全館補修工事に入り、先月から一部営業を再開したばかりだ。

『二階堂会館』 の存続も含めて、今後の方向を探っていると聞いているが……」



平岡の質問に、狩野は内情まで語って聞かせた。



「前社長だったお兄さんは、一昨年他界された。

詳しいことは知らないが、前社長に子どもはいなかったのだろう、二階堂さんがすべてを引き継いだ」


「普通は妻が相続するんじゃないのか?」


「ずいぶん前に離婚したらしい」 



そのため、妹のひさ子さんが相続したのだと狩野の話は続いた。



「詳しくないと言いながら、ずいぶん詳しいな」


「ウチの親父から聞いたんだよ。『二階堂会館』 は、その昔、紳士の社交場だった。

もっとも、俺たちの爺さんの時代の話だが。

時代の波に取り残された社交場は寂れる一方で、設備も古く閉館同様だったのを、ひさ子社長がここまで修復した。

経営はまったくの素人で苦労されたらしい」


「思いがけず経営者になったのか。家族の協力もあっただろうが、大変だっただろう」


「ひさ子社長は独身のはずだが」



狩野の言葉を聞いて、みなの顔つきが変わった。



「あんなに魅力的な人が独身だって? 周囲の男たちの目は節穴だったのか?」


「恋人はいたんじゃないかな。あれほどの女性を男がほうっておくわけがない。

きっといただろう。今もいるかもしれない、あの人を守る紳士がどこかにいるんだよ」



櫻井君は相変わらず歯に衣着せぬ発言で、沢渡さんは医者のくせにと言っては失礼だが夢見がちなことを言う。



「ええっ、二階堂さんは、どうみても僕らの母親の世代でしょう?

いまさら恋愛はどうだろう、もうそんな歳じゃないですよ」



平岡は母親の世代の恋愛は考えられないようで、沢渡さんの意見に真っ向から反論した。

いつもなら率先して自分の意見を述べる狩野は、彼らを面白そうに眺めるだけで、二階堂さんの恋人うんぬんに関して意見を口にしない。

二階堂さんのプライベートについて、なにか知っているのかもしれない。

そして、それまで黙っていた霧島君が大胆な推理を述べはじめた。



「狩野君、ここは久我さんの紹介だと言ったね。

二階堂さんの恋人は、久我さんということは考えられないだろうか」


「うわっ、霧島先輩らしからぬ発言ですね。いやいや、それはまずいでしょう。

久我さんが独身なら問題ないですけれど」


「あっ、そうか、そうだね、失言だった。宗一郎君、不快な思いをさせて悪かった」


「気にしてないよ。案外、霧島君の想像が当たっているかもしれないよ」


「まさか! あの久我さんに限って、絶対ないですね」



失言だったとうなだれ頭を下げる霧島君へ、私は冗談交じりで返した。

が、またしても平岡に否定された。

しかし、私は、その 「まさか」 ではないかと思っていた。

二階堂さんがまとっていた香りに、久我の叔父が好む葉巻の香りが紛れ込んでいた。

紅茶を好むのも叔父の嗜好と一致する。

なにより、二階堂さんが私を見る目は、私を見ながらその向こうに誰かを見ていた。

私の姿に久我の叔父を重ねているのではないか、そう思えてならないのだ。

叔父には長年の恋人がいる、その人が 『二階堂会館』 の主の二階堂ひさ子さんではないのか。

私は、確信に近い思いを抱いていた。



「恋人の存在はさておき、二階堂さんの近親者もいないのであれば、将来この会館はどうなるんだろう。

都心の一等地ですよ。資産価値は計り知れない。二階堂さんの養子にしてくださいと立候補しようか。

それとも、夫に立候補するか」


「櫻井君、心にもないことを言うじゃないか」


「心にもないから言うんですよ」



浜尾真琴というパートナーがいる彼の言葉は本心ではないというのは、誰もがわかっていた。



「ははっ、なるほどね。なぁ、浜尾さんと二人で二階堂家の養子になるのはどうだ?

君は婿養子だ、思う存分経営の腕を発揮してだな」


「狩野さん、現代に婿養子という制度はありませんよ」


「えっ? でも、跡取りのない家に婿に入るじゃないか。

近衛も須藤家に入りかけたぞ。君だって、一時は珠貴さんの婿にと言われただろう」



櫻井君の言葉を聞いた狩野は、忘れたい私の過去まで持ち出して必死になっている。

狩野だけでなく、平岡も霧島君も沢渡さんも、婿養子についてちゃんと理解していないのか、首をかしげた。



「そうです。僕は以前、須藤家に入るつもりでした。だから知っているというか、説明しますね。

そもそも、婿養子という言葉が誤解を招くんです。

結婚して妻の親の養子になるので、そんな言葉が残ったのでしょう。

本当は、普通の養子です。

結婚が先でも、養子になるのが先であとで結婚することもできます。

妻と同じく相続権があり、養子先の親の面倒を見る義務が発生します。

さっき宗一郎さんが話した、桐生一路さんとマリエさんがまったく同じ例です」



『二階堂会館』 についてすぐ、最近の出来事を彼らに話した。

『榊ホテル 東京』 の地下駐車場で起こった桐生一路の連れ去り騒動のその後を、狩野が知りたがったこともあり、『アインシュタイン倶楽部』 の面々に語ることになったのだ。



「桐生一路さんの場合、間宮家との養子縁組はこれからです。

ふたりの婚姻届はいまだ提出されていないと言っていましたね。

婚姻届だけでは間宮家の相続権が得られないので、マリエさんの親の許しを待っているのでしょう。

婚姻届と養子縁組の手続きは一緒に行われるのが普通ですから」


「さすが櫻井君、詳しいね」


「いえいえ、もう僕には必要のない知識です」



そう言いながら、櫻井君ははにかんだ。

一時、珠貴を巡って彼と敵対関係にあった彼と、こうして穏やかに語り合えるようになった。

とても相容れないと思う相手でも、接し方で関係性が変わるということを、櫻井君との付き合いで学んだ。

しかし、誰とでもそうなるとは思えない。

桐生万里に関しては、まったくその可能性はないと言い切れる。

義理とはいえ幼いころから一緒に育った弟を、自分の利益のための駒にしようとするヤツだ。

そんな卑怯な桐生万里から一路を救う手立てを私は探っていた。



「一路が養子になることは決まっていると、桐生万里が言っていたからね。

間宮家の許しは得られているはずだ」


「では、間宮会長の容体はそれほど悪いのか」



答えたのは霧島君だった。



「間宮会長が入院?」


「うん、良くないとは聞いていたけれど、書類に署名できないほどということは」


「重篤な症状だろう」



霧島君の言葉を狩野が引き継ぎ、



「調べてみよう。どこの病院かわかりますか?」



身を乗り出した沢渡さんは、こんな頼もしいことを言ってくれた。

待つこと数分、マリエさんの義父である間宮会長の現在の状態が明らかになった。



「意識の混濁もあり、とてもではないけれど書類に署名は難しい状態ということだった。

回復までに相当な時間がかかりそうだよ」


「一路さんの養子縁組は当分無理ですね。先輩、いまがチャンスですよ、桐生万里を追い詰めましょう」


「うん……」



平岡はチャンスというが、桐生万里への反撃は容易ではない。



「桐生万里の手元にある婚姻届を破棄すれば問題解決だな。

と言っても、どこにあるのかわからないんだよな。

桐生万里のもとにスパイでも送り込むか!

あぁ、こんなとき潤一郎がいたら、どうにかしたものを」



『二階堂会館』 の視察に一所懸命だった狩野も、いつのまにかこちらの作戦会議に熱心に参加している。



「いる……いるよ、スパイじゃないが変装の名人だ」



私の頭には、妖艶に微笑むコウの顔が浮かんでいた。

   
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