【ボレロ】 33-4 -切り札-



夜勤明けの狩野の朝食につき合ったのち帰路についたのは、そろそろ朝のラッシュが始まる頃だった。

駅から吐き出される人々がそろってオフィス街へ進んでいくのを横目に、人の波とは逆の方向へ車は進んでいく。



「この先の渋滞がひどいようです。少し遠回りですが、迂回して参ります。時間の短縮になりますので」



早朝の呼び出しにも関わらず、佐倉はすっきりと目覚めた顔で私を迎えに来た。

渋滞情報を見ながらとはいえ、都内の道路に精通している佐倉の運転にはいつもながら感心する。

また、急な予定の変更にも素早く対応する佐倉の働きは頼もしい。



「佐倉に任せる」


「はい」



朝食の席で受けた珠貴からの電話は、出勤前、須藤の義父が私を訪ねたいと言っているが良いだろうかというものだった。

電話では済まない、それも急ぐ用件であるのだろうと判断し 「これから帰る」 と返事をして、佐倉へ電話をかけ 『榊ホテル東京』 へ迎えに来てくれと伝えた。

昨夜は、『アインシュタイン倶楽部』 のあと、デザートを持って訪ねた宮野さんと込み入った話になり、帰りそびれて 『榊ホテル東京』 の自分の部屋に泊まった。

夜明け前に帰るつもりでフロントに行くと、「コーヒーでもどうだ」 と夜勤明けにしては清々しい顔の狩野に誘われた。

男と夜明けのコーヒーを飲む趣味はないと断ると、朝食付きだがどうだと言われて気持ちが傾いた。

スイートクラスに提供する来シーズンの朝食メニューの試食も兼ねている、忌憚のない意見を聞かせてくれと口説かれ、顔では渋りながら内心喜びつつ誘いに乗った。

『榊ホテル東京』 の朝食は月ごとに変わる趣向を凝らしたメニューで、朝食を楽しみに連泊する客も多い。

以前は、週に一日か二日ここを利用していたが、とりたてて朝食に関心を持つことはなかった。

珠貴と一緒の朝は、「本当に美味しいわ」 としきりに褒める彼女の言葉に 「そうだね」 と返しながら、いつもよりゆっくり味わったりもしたが、それも遠い記憶になりつつある。



「佐倉、食事は?」


「すませました」


「早いじゃないか。今日は、予定では10時の出勤だった、ゆっくりできたはずだが」


「起床は5時半と決めてます。毎日同じ時刻に起きます」


「休日も? よい習慣だね」



ルームミラーに映った佐倉の顔がはにかんで見えたのは、褒められて照れているのだと思っていた。

佐倉が一緒に暮らす出勤時間の早い恋人と、朝食を一緒にとるための早起きであると私が知るのは、もう少し先である。


迂回路は空いており、義父より早く家に着くだろうと思っていたが、玄関前の駐車場にはすでに黒塗りの車が停まっていた。

朝帰りの私を玄関で迎えてくれた珠貴へ、ホテルで食事をすませてきたと伝えると、「いいわね」 とため息交じりに羨ましそうな顔をされた。



「そうたま」



珠貴のあとから姿を見せた義父の腕からするりと床に降りた結姫が、まだ危なっかしい走りで駆け寄ってきた。

義父に朝の挨拶をするより先に、飛びついてきた娘を抱き上げて頬ずりをすると、そったばかりの髭あとがこそばゆいのかイヤイヤと顔を振る。



「おはようございます。お待たせいたしました」


「おはよう。昨夜は遅かったのだろう? 呼び出してすまなかったね。

地方創生の会合と聞いたが、若い経営者を取りまとめるのは骨が折れるだろう」


「えぇ、なかなか思うようには……」



友人たちとの集まりの流れで帰りそびれてホテルに泊まり、義父の訪問を知らされて急いで帰ってきた身としては、ねぎらいの言葉はこそばゆい。

舅へ面目の立つ朝帰りの理由を考えてくれた珠貴に、心の中で手を合わせながら、義父との会話に応じた。



「おーたま、抱っこ」



頬ずりを嫌がった結姫は私の腕から降りると、義父の方へ戻っていった。

結姫の気まぐれな要求に嬉しさを隠さず孫を抱き上げる姿から、私たちの結婚に難色を示し続けた頃の顔は想像できない。

子はかすがいと言うが、孫も似たようなもので、親子の縁を強くする役目を持っているらしい。

近衛の父と須藤の義父を 「おーたま」 と呼び、両家の母は 「あーたま」、で、私は 「そうたま」、珠貴は 「たーたま」と呼ばれている。

ちなみに大叔母さまは 「ばあたま」 である。

見事に呼び分ける結姫を、大人たちは 「なんて利口な子」 と褒め、手放しでかわいがる。

義父も例外ではなく、「こんなにできた子はそういない」 と孫自慢を方々でしているらしく、いつか 「結姫に須藤家を継いでほしい」 と言い出すのではないかと思っていたのだが……

飛びついてきた結姫を珠貴に渡し、私の書斎に隣接する小部屋で向かい合った義父から出てきた言葉はにわかには信じられず、二度も聞き返した。



「紗妃ちゃんに縁談ですか! 本当に?」


「うん、須藤の姓を名乗り、婿になることも承知していると、そういわれてね」


「紗妃ちゃんの? 本当ですか」


「間違いない。紗妃もそれでいいそうだ」


「えっ、まさか……まだ大学生ですよ」


「紗妃の卒業を待って、ということになるだろう。在学中に婚約だけでもと先方はおっしゃっているのでね」



遠堂君はどうした、と思わず言いそうになった。

家庭教師だった遠堂君を一途に想う紗妃ちゃんの気持ちを知っているだけに、義妹の心変わりが信じられない。

どちらの方ですか、とやっとの思いで義父に尋ねた。



「先代も、先々代も代議士で、大臣経験者もいる家系でね、八木沢家に並ぶ家柄だろう。

しかし本人は政治家には向かないと言って、長男とは全く違う道へ進んでいる。

いずれ起業するつもりで勉強をしていたそうで、意欲も実力もある。

紗妃の大学の先輩で、同窓会筋の紹介だったそうだが、まさかあの子が本気になるとは思わなかった。

まぁ、あの子がそれでよいと言うのなら反対はしないつもりだが、八木沢先生に申し訳ない気持ちもある。

義理を欠いては信用にかかわるからね」



早朝の義父の訪問は、縁談相手の素性についての相談でも、諦めさせるために紗妃ちゃんを説得してほしいと言うことでもなかった。



「与党の会派の応援先が変わってしまうのは、いかがなものだろう。

八木沢先生にはお世話になっている、これからも応援したい気持ちは強い。

しかし、近い将来親戚になろうという有村先生を応援しないわけにはいかない。

宗一郎君、八木沢先生との間に入ってもらえないだろうか。

無理ないい分であることは承知している、そこを曲げて」


「有村先生というと、副幹事長の有村先生ですか」



義父の話の腰を折った形になったが、確認しておきたい気持ちの方が強かった。



「ご子息も有村先生も、少しでも早く婚約出来たらとおっしゃるのだが、やはり難しいだろうか……」


「お義母さんと珠貴の意見はいかがですか」


「反対はないが、両手を上げて賛成している風でもない」


「そうですか……まず、紗妃ちゃんに会ってみます」



いや、紗妃の気持ちは固まっているのだよと義父は当惑したが、私は自分の意見を強く前に出した。

また有村の名が出てきた。

言い知れぬ不安が胸をかすめる。

有村という名の向こうに、桐生万里の姿が透けて見える気がするのは考え過ぎだろうか。

すまないね、と言いながら、できるだけ早い返事を待っているよとの無言の圧力を残して義父は帰って行った。



「有村さん、少しでも早く 『SUDO』 に入って仕事を覚えたいとおっしゃったそうよ。

紗妃のためにはその方がいいのでしょうけれど、私は反対だわ」


「君らしくないね」


「自分の経験で懲りていますから……相手を縛るのはよくないと思うの」



珠貴には、学生時代の恋人を 『SUDO』 に入社させた過去がある。

張り切って仕事に就いたはずの男は、やがて精神的に追い詰められ、珠貴のもとを去っていった。

もしや、義父も珠貴と同じ心配をしているのか……男性側の父親の立場を考えての言葉かと思っていたが、そうではないのかもしれない。

義父も珠貴も、そしておそらく義母も、過去の過ちを繰り返したくないと思っているはずである。



「珠貴、この話には裏があるかもしれない」


「裏って、どういうこと? どこにあるの?」


「できるだけ早く決着をつけるつもりだよ」


「決着なんて、尋常ではないわね」


「この子たちのどちらかに、須藤の跡を継いでもらおうか」


「えっ?」


「いや、俺たちが決めることじゃないな。忘れて」


「宗……」



背中から手を回し、珠貴の腹部を包み込む。

普通より大きな腹部に、ふたりの存在をしっかりと感じた。


      
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撫子 s Room  
No title

faustonneさん

> 紗妃さんの心替わりにもウラがありそうですね。

楽しい予想、ありがとうございます。
続きも楽しんでいただけると嬉しいです。

2016/02/05 (Fri) 23:21 | 編集 | 返信 |   
faustonne  
No title

おはようございます。

紗妃さんの心替わりにもウラがありそうですね。続きを楽しみにしています。

2016/02/05 (Fri) 10:12 | 編集 | 返信 |   

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