【ボレロ】 33-6 -切り札-



須藤の義父と会った朝から数日後、引退を間近に控えて各方面へ挨拶に忙しい中、わざわざ時間を割いてくださった八木沢代議士に会うために、私は 『割烹 筧』 にいた。

前の予定が長引いたそうで、急いでこられたのだろう、八木沢さんの額には汗がにじんでいた。



「お忙しいところ、本日はありがとうございます」


「いえいえ、私も君に会いたいと思っていたので良かった。

堅苦しいあいさつはその辺にして、大女将、冷たい水をもらえませんか」



八木沢さんの言葉が終わるか終わらないうちに、大女将から冷えたコップが差し出された。



「このもてなしの心が嬉しくて、大女将に会いにやってくるんです」


「まぁ、嬉しいことをおっしゃいますこと」



80歳をいくつか超えたその人は、まだ十分に色香の残る指先を顎に添えながら控え目に微笑んだ。

今宵大女将をここに呼んだのは、私の知らない世代の話を聞くためである。

割烹の仕切りを女将に、座敷は若女将に任せ、いまではほとんど店に顔を出すことのない大女将に無理を言ってお出まし願った。

ゴクゴクと美味しそうに水を飲み干した八木沢さんは、お待たせいたしましたと言い私に向き直った。



「先生も私に御用でしたか」


「それはあとで。宗一郎君の用件を先に伺いましょう」



前置きはよい、先に本題を述べよと言うことである。

極力説明を省き、端的に話をまとめて伝える努力をした。



「実は、妻の妹に縁談がありまして、その相手というのが有村先生の二番目のご子息でして、早ければ年内にも婚約をとの話があるそうです。

八木沢先生にお目にかかり、ご挨拶をと須藤の義父が申しております」



大女将も初耳だったのか、口元を抑えて小さく驚いた。

須藤会長の二人目の夫人は大女将の妹で、義理ではあるが珠貴と紗妃ちゃんの祖母である。

須藤家の親戚筋の大女将も知らなかったということは、有村家との縁談はごく最近持ち込まれ、急ぎ進んでいるということか。



「有馬村先生の……そうですか。わかりました。須藤さんに、どうぞお気づかいなくとお伝えください」


「ありがとうございます。お忙しいところ申し訳ありませんが、義父のためにお時間をいただけないでしょうか」


「私も須藤さんとゆっくり話をしたい、けれど、正直なところ時間に余裕がありません。

引退をひかえて、毎日方々へあいさつ回りに忙しいのです。

君から須藤さんへよろしくお伝えください、ご丁寧にありがとうございますと八木沢が言っていたと」


「わかりました。そのように義父へ伝えます」



それほど忙しい時期に、よく私に会ってくださったものだ。

私の方こそ感謝したい。



「お話もまとまりましたようで、軽いお食事をお持ちいたしましょう」


「それは嬉しい。先の席では、食べる間もなくあちらさんの話を聞いたので、腹の虫が鳴いています。

宗一郎君、腹ごしらえをしてから本題に入りましょうか」


「はっ?」


「とぼける顔も様になってきたね。大女将を呼んで待っていたんだ、これはなにかあるなと思っていたよ。

楽しみだね。その前に 『割烹 筧』 のおすすめをいただこうじゃないか」



はい、と返事をして頭を下げた。

細やかな気遣いと目配り、さすが八木沢さんと感心する。

病気療養のため、やむなく政界を引退する八木沢先生を惜しむ人は多い。

まだまだ代議士として仕事をしていただきたかった。

感傷に浸りながら、ほどなく運ばれてきた膳に箸をつけた。


食後の煎茶を口に含みながら、なにから切り出そうかと考える。

はっきりしない話だけに憶測で語るしかないのだが、デリケートな内容だけに言葉選びが難しい。



「さて、そろそろ聞きましょうか」


「はい……有村先生について伺いたいのですが、その、どう言ったいいのか」


「うん?」


「有村先生について、なにか噂をお聞きになったことはありませんか。

あまりよくない噂や感心しない素行であるとか、もしご存知でしたらお聞かせください」


「奥様の妹さんの縁談相手だ、慎重にもなるだろうが、有村さんなら間違いない。

優秀なご子息ともっぱらの評判で、長男は父親の跡を継ぐつもりだろう、秘書をしている。

次男は起業を目指して勉強中と聞いているが、なにか心配でも?」


「宗一郎様、ここは誰の耳にも届かない場所です。そのためのお座敷でございますから、どうぞ遠慮なく」


「はぁ……」



大女将に促され、それでも迷っていたが決心した。



「有村先生のスキャンダルをご存じありませんか。女性関係について、気になることを耳にいたしました」


「有村さんの女性関係だって? 詳しく話してくれないか」


「有村先生の息子ではないかと思われる男性を知っています。

顔も声も体格も、本当によく似ているのです。

その男性と有村先生が一緒にいるところが、たびたび目撃されています。

もしそれが本当なら、義妹の縁談も考え直した方が良いのではないかと思いまして」


「息子ではないかと思われる男性の素性を、君たちは確認しているのだろう?」


「はい、少々問題のある男です」



紗妃ちゃんの縁談を持ち出して、桐生一路と有村代議士の関係をほのめかした。

  

「大女将、聞いたことがありますか? 私はありませんね。

あの有村先生に限って、女性関係など絶対にないと言いきってもいい。

カタブツもカタブツ、潔癖なくらい身辺は清らかです。彼の父上というなら話はわかるが」


「ほほっ、そうでした。先の大臣はお盛んでございましたわね。

あの方には、女性が寄っていきたくなる色気がございました。ここだけの話でございますよ」


「有村先生のお父上ですか」


「うん、仕事も遊びも精一杯やる、昔はそんな人が少なくなかった。

君も覚えているんじゃないかな、私の父が官房長官だった頃を」


「はい、葵ちゃんのことで我が家においでくださいました」



『別邸 吉兆』 の庭でけがをした八木沢葵を助けた私は、八木沢家からたいそう感謝された。

当時、八木沢さんのお父上は官房長官だった。



「そう、ちょうどその頃です。有村さんのお父上、当時の文部大臣に愛人疑惑が持ち上がった。

週刊誌にすっぱ抜かれる間際、方々に手をまわしてもみ消したそうです。

けれど、それですまなかった。理由をすげ替えて、病気療養のため辞任することになり、そのまま政界を引退。

補欠選挙に有村大臣の息子さんが出馬して、今にいたるというわけです」


「そんなことがあったんですか」


「偶然にも、こちらのお部屋でしたわね。潔くやめるように、有村大臣を八木沢官房長官が説得なさって。

あの時の八木沢先生の強いお声、忘れはいたしません。鬼気迫るものがございました」


「偉大な父を持つと、息子は苦労します。いつまでたっても父を超えられない。

超えられないまま引退ですから、情けないですね」


「八木沢先生、そのようなことはございません。辞める覚悟をなさるのは容易ではございません」



昔の秘密から代議士の心構えに話は移り、八木沢さんと大女将の話はつきない。

それにしても、そんなことが昔あったとは。

今ここで語られた内容から、有村さんの父親で当時の文部大臣が、桐生万里の実の父親かもしれないということになる。

けれど、それも憶測、証拠はない。

声や顔が似ているからもしかしてとの思いつきでここまで来たが、確証を得ることはできず、探索は壁に突き当たった。

さて、これからどうするか……



「大女将ならご存知だろう、相手の女性はどこの誰だったのか。有村文部大臣のスキャンダルの全貌はいかに」


「ほほっ、いかがいたしましょう。お話してもよろしゅうございますが、くれぐれも」


「わかっています。宗一郎君だって、絶対漏らしたりはしませんよ」



ふぅ……と深いため息をひとつつき、大女将が口を開いた。

桐生万里の父親探しはひとまず横に置いて、昔話の真相を聞くとしよう。



「有村大臣のお相手は、確か、選挙事務所に臨時に雇われた若い女性でした。

選挙カーに乗って、道行く人に手を振って愛嬌をふりまく可愛らしいお嬢さんが、有村事務所にはたくさんいらしたそうです。

その中のお一人が大臣の目に留まり、深い関係になり、それを週刊誌が嗅ぎつけたのですよ。

出版社に圧力をかけて記事を潰したのは、そのお嬢さんが身ごもっていたからで、のちに男の子を出産したとか。

大臣は自分の名前の一文字をとって、男の子に名づけたそうです。その後、その親子がどうなりましたか、私も存じません」


「思い出した。親父から、そんな話を聞いたことがあります。有村先生のことだったのか」


「有村大臣の子どもを産んだ女性のその後も、八木沢先生のお父さまはご存じでしたか」



急に現実味を帯びてきた大女将と八木沢さんの話に、私は俄然興味がわいてきた。



「親父はある人に頼まれて、事情のある母子の世話をしていたと聞きました。

その女性は、もう一人男の子を産んでいる。ふたり抱えて生活するのは困難だ、施設に預ける手続きをしたと聞いたが……

まさか、あとから生まれた男の子の父親は、ウチの親父だった、なんてことはないだろうな。

いやはや、この歳になって見知らぬ兄弟があらわれたら混乱するだろうね。

親父がまいた種を……おっと、言葉がすぎました。失礼しました」



大女将が静かに顔を横に振った。

その女性が産んだ上の子が万里、下の子は海里ではないのか。

有村大臣の名前に万里の名と同じ字が使われていたら、その可能性は一気に高まる。

はやる気持ちを抑えながら八木沢さんに尋ねた。



「有村大臣の名前をご存知ですか」


「えーっと、名前は……」


「有村秋里様です」



大女将の張りのある声が、名前を明らかにした。

背中につめたい汗がひとすじ伝った。




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撫子 s Room  
No title

faustonneさん

桐生万里の出自が見えてきました。
なかなかハードな生い立ちのようです。

紗妃の相手は、万里の異母兄弟である有村代議士の息子です。
万里の父かもしれない人物は、有村代議士の父です。
(複雑な関係でわかりにくいのですが・・・)

次回、これらの関係を明らかにします。
楽しみにしていただき嬉しいです。

次回もお付き合いください。

2016/02/10 (Wed) 18:44 | 編集 | 返信 |   
faustonne  
No title

おはようございます。

ウラが見えてきましたね、ところで、紗妃さんへの圧力が掛かっているように思いますがどうようなことを言われたのでしょう。

ところで、万里、海里は婚姻外の子とわかりましたが、紗妃さんの相手は本妻さんの子という理解で良いのでしょうか?

気になりました。先を楽しみにしています。

2016/02/10 (Wed) 10:10 | 編集 | 返信 |   

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