【彼と私のバラ色の毎日】 後編
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【彼と私のバラ色の毎日】 後編
「今夜はブイヤベースですね 部屋中いい香りだ」
「えぇ そうよ そろそろ食べたい頃でしょう?」
「さすがだな 言わなくてもちゃんとわかってるなんて」
「あたりまえでしょう」
これから二日間、ジュンは私だけのもの。
外の世界で、どんな顔をし、どんな話をし、どんな人と付き合いがあるのか、私には関係のないこと。
私の前で嬉しそうに食事をし、私の横で穏やかな寝息をたててくれたら、それで満足なのだ。
それはジュンが望んだことでもあるのだから……
「結婚してもうすぐ一年なのに あなたをどこにも連れて行っていない 明日どこかへ……」
「うぅん いいの いつものようにこの部屋で過ごしましょう」
「でも それじゃぁ あなたが可哀想だ」
「私が可哀想? そんなことはないわ あなたの心は私だけのもの そうよね そう言ったわね
だから 私のしたいようにさせて」
私の言葉に彼は、画面では見ることのできない 弾けた笑みを見せてくれた。
そのあと、私を有頂天にさせる言葉を、彼は気負いなく口にした。
「結婚っていいですね ここに帰ってくるたびに思います あっ 僕はそう思うけど あなたはどうなのかな?」
「えぇ思ってるわ 食事が済んだら また少し仕事をするわね ごめんなさいね いつも仕事に追われていて」
「いいえ 同じ部屋にいるだけで十分です あなたの背中を見ながら過ごせるだけで僕は……」
「僕は何? やめないで教えて」
「ふふっ あとで教えます さっ 仕事を始めてください」
私の背中を押し書斎へと追い立てると、彼は当たり前のように食器の片づけを始めた。
しばらくすると、食洗機に入れてきましたと言いながら、私にコーヒーを運んできてくれた。
「今度は何を書いているんですか?」
「別れの話なの でもなんだか上手く書けなくて」
「それは僕らが幸せだからでしょう」
臆面もなく出てくる彼の言葉に体が火照る。
椅子の後ろから回された手が胸を愛おしく撫でたあと手に包み込んだが、首筋に唇を当てただけで
私の体を離れると、いつものように壁際のソファに座る気配がした。
締め切りは、まだ一週間先の原稿をファイルから引き出し、なんとなく言葉を連ねていく。
この話はダメだわ、流れがメチャクチャ、それもこれもジュンのせい、
背中の視線がジリジリと焼け付くようで痛くてたまらない。
仕事なんて早くやめて、こっちにきてと言われているようだもの……
二日間完全オフなんて、この一年で初めてだった。
私は時折仕事の振りをし、ジュンを同じ部屋のソファに縛り付けた。
あぁ疲れたわ、と独り言のように言い、気分転換だからと料理を作った。
傍らにいる彼を常に感じながら、こんなにも満たされた空間を持てる私は、なんて幸せなのだろう。
ジュンのいない日は、薬指にはめた指輪を何度も触り、彼のことを思う。
ねぇ、知ってた? 私がこんなにもジュンのことを思っているって……
気がつかないようにしているのは私だもの、無理よね。
「……僕と同じですね 指輪を触るクセ」
「えっ? あっ そうなの? なんとなくね……いままで指輪なんてしたことがなかったから」
「僕は薬指にはできないから あなたにもらった大切な指輪を小指にはめて
いつもあなたのことを考えています」
「こんなわたしを思ってくれる それだけで満足よ」
「そんな言い方をしないでください こんな私って 僕にとってはたった一人の人なのに……」
美しい顔が歪み、俯いた顔の口元は、強く引き結ばれていた。
「ごめんなさい 困ったわね……」
ふさぎ込んでしまったジュンを、どうやって慰めようか。
頭を抱きかかえ膝に乗せると、大きな体を私に預けてきた。
黙って彼の体を手でさする。
ジュンの周りにはいつも綺麗な人がいて、演技の上だけどジュンと擬似恋愛をして、肌に触れて、愛をささやいて
そんなこと、わかっているけれど相手役の女優に嫉妬するの、馬鹿みたい……
でもね、どうしようもない思いなの。
彼にこう言うのは簡単だったが、言ってしまえないのが私。
”どうして私を選んでくれたの?” そう彼に聞いたことがある。
”さぁ どうしてかな その答えはこれから見つけていきます” 彼は、こう答えた。
恋をしたり、愛情を感じるのに理由なんてない、私がいつも小説に書いてきたこと。
彼と出会って知ったことは、愛することの純粋さ。
彼に出会って覚えたことは、純粋に愛することの難しさ。
この二つは、永遠の私のテーマかもしれない。
「おはようございます 今そこでご主人とお会いしましたよ いつも素敵ですね」
「おはよう 今日からドラマの仕事に入るんですって 素敵に見えた? そうかしら地味な服で行ったのに」
「素敵な方は どんな格好をしても素敵に見えるんです」
「そうなの?」
「えぇ そうですよ それに」
「それに?」
「妻がいつもお世話になっていますなんて もぉ あのジュンさんが言うなんて羨ましすぎです」
私の仕事の一切を仕切っている彼女は、非の打ち所のない秘書だ。
小説に必要な資料をそろえ、スケジュールの管理をし、
時には部屋に篭りがちな私を外の世界に連れ出してくれる、大事な友人でもある。
そんな彼女は、私が彼と出会う前からジュンの大ファンだった。
ジュンの出演作品が面白いと、私にも相当勧めたが、ドラマなどには興味のない私が空返事ばかりだったのに、
その彼が、今では私の夫になってしまったことを、事あるごとに羨ましがり、
たまには嫌味っぽく責め、そして喜んでくれる。
「結婚されてから作風が変わりましたね やっぱりご主人のせいかしら」
「私の小説が変わった? どんな風に?」
「そうですね 柔らかさが加わって大胆になりました」
「まるで芸術家ね パートナーが変わると作風が変わるなんて ほかの男性とも付き合ってみようかしら」
「またぁ 心にもないことを言わないでください ジュンさん一筋だってこと ちゃんと知ってますよ」
彼女の答えに笑い出すと、余裕のある笑いですねと、呆れ顔で仕事用のデスクにつき背を向けてしまった。
彼女の言う通りだ、私にはジュンだけいればいい。
何日留守にしようと、会えない日が続こうと、私の元に帰ってくる彼を待ち続ける、彼のことを考えながら……
「バラ色の毎日ですね」
いきなり、振り向きざまの秘書の言葉にドキリとした。
彼女の言ったことを理解しているのに、とぼけて聞き返す。
「バラ色?」
「そうですよ ジュンさんのことだけを思って過ごす毎日ってことです あぁ いいなぁ
そんな人 私も欲しいーっ!」
優秀な秘書は、それだけ言うと、またデスクに向かった。
”バラ色の毎日” …… ”彼と私のバラ色の毎日” 悪くないかもしれない。
次回作のプロットが書けそうな気がして、私はさっそくPCを立ち上げた。
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