【ボレロ】 34-1 -決着-



そろそろお帰りになる頃ね、と、結姫をあやしながら母の明るい声がする。

母の声が弾んでいるのは、父と宗の帰宅に合わせてやってくる訪問者を待ちわびているからで、「うん」 と素っ気ない返事をした紗妃へ小言を言いながらも嬉しそうだ。

ゴルフに出掛ける父と宗を見送り、それから半日を結姫とともに実家で過ごしている。

家庭や子育てのことなど母との話は尽きず、あっという間に時間はすぎ、早くもふたりの帰宅の頃になった。

結姫が生まれてからというもの、娘より孫に関心が移っていた母が、ここ最近は紗妃の行動に目を光らせている。



「なんですか、ちゃんとおっしゃい。右京先生に呆れられますよ」


「右京先生はそんなこと気にしません」


「紗妃ちゃん、困るのはあなたなのよ」



本格的に説教がはじまりそうになり、紗妃は母より先に声を上げた。



「わかっています。あちらのお母さまの前ではちゃんとします」


「もう、あなたって子は」



まだ言い足りない小言を続けようとした母だったが、「おつきになりました」 と、遠堂右京さんの訪問を伝える声にさえぎられた。

抱いていた結姫を母が私に渡すあいだに、紗妃はいち早く部屋を飛び出していった。



「まぁ、なんでしょう、落ち着きのないこと。あの頃のあなたは、もっとしっかりしていたというのに」



紗妃と同じ頃の私は、両親の言葉に従い、精一杯 「良い子」 を演じていただけのこと。

両親との接し方も、恋人との距離の取り方も、私とまるで異なる妹を羨ましく思いながらも、妬ましい気持ちもある。

紗妃のように自由に振舞えたなら、もっと楽な生き方ができただろうと思うが、それができないのは、私が長女であるということもある。



「紗妃ちゃん、右京さんのお母さまにお目にかかる約束でも?」


「そうなの、紗妃に会いたいとおっしゃって、明日あちらさまへ伺うのだけれど、あの子、大丈夫かしら」


「心配はいらないわ。右京さんのお母さまの奈緒子さんは、とても気さくな方よ」



新婚旅行の船旅でご一緒した土屋さんご夫妻が、遠堂右京さんのご両親だった。

自由気ままで、ある意味で突き抜けたところのある方が、紗妃の行儀に目くじらを立てるはずはない。



「そちらは本当のお母さまでしょう。紗妃ちゃんがお目にかかるのは、遠堂家の奥様よ」


「あっ、そうでした。右京さん、奈緒子さんのお父さまの御養子でした」


「あの礼儀正しい右京さんを育てた方よ、厳しい方だと思うの。あぁ、心配だわ」



母が紗妃の行儀を気にするのは、遠堂家の方々へ気に入られますようにと願っているからだ。

それだけ、紗妃と右京さんとの交際を喜んでいるということでもある。

母だけでなく父も賛成しているのだから、紗妃の未来は明るい。

何もかもが私のときとは大違い、苦労も障害もなく進んでいくのだろう。

心配事を口にしながら眉間にしわを寄せる母の顔は、心底心配しているようには見えない。



「有村様とのお話、あのまま進んでいたら、もっと大変だったでしょうね」


「えぇ……」



婚約まで持ち上がっていた有馬敬さんとは、有村家の都合により立ち消えになった。

娘の破談に複雑な思いを抱いているように見えた両親も、本当のところはホッとしているはずである。

両家の顔合わせの席での出来事は、宗から聞いているが両親から詳しい話はなかった。

有村家のスキャンダルを告白したのち、よろしくお願いしますと懇願したおばあ様のお心は立派である。

敬さんご本人にもご両親にも罪はないとわかってはいても、先代の素行の悪さを聞かされ、両親の気持ちが揺らがないはずはない。

当日ホテルにマスコミが押し寄せ、危うく騒動に巻き込まれそうになったことも両親の心証を悪くした。

できるなら忘れてしまいたい出来事であるのだろう、話を向けても今のように 「えぇ……」 と言葉を濁すばかりである。

もっとも、縁談が消えたことを一番喜んだのは紗妃で、破談の原因は何かと周囲に噂されても気にする様子もなかった。

その場には立ち会えず、宗から聞いた話から察するに、紗妃は右京さんを試したのではないかと思っている。

紗妃へ想いを寄せる男性との縁談を見せつけて、右京さんの気持ちを焚き付けたのではないか。

私の憶測を打ち明けた宗には一笑にされたけれど、紗妃の作戦が功を奏し、右京さんが紗妃へ交際を申し込んだのではないかと思えてならない。

その証拠に、有村家から縁談を白紙に戻してほしいと話があった直後、遠堂右京さんから正式な交際の申し込みがあった。

紗妃と結婚を前提にしたお付き合いをと言われ、両親は少なからず驚いたそうだ。



「右京先生、ずっと前から紗妃のことを想っていてくださったのですって。

有村様とのお話を聞いて、心が乱れたそうよ。

紗妃ちゃんも右京先生を慕っていたのよ。右京先生の近くにいたくて留学するつもりだったの」


「でも、留学はやめたのでしょう?」


「右京先生にやめなさいと言われたんですって。そんな気持ちで勉強などできないと言われたそうよ」


「右京さんがおっしゃることはもっともね」


「紗妃ちゃんは先生に失恋したと思ったのでしょうね、だから」


「有村様のお話をお受けしたの? 気持ちを切り替えるつもりで?  あの子、短絡的すぎるのよ」


「そうでもしなければ立ち直れないと思ったのでしょう。

有村様があんなに急いでお話を進めるなんて、私たちも思ってもみませんでしたもの」



母はどこまでも紗妃の味方をする。

私に言わせれば、母も、そして父も妹に甘すぎる。



「でも、本当によかったわ。右京先生のおかげです」


「えぇ、そうね」



有村家との話が流れた直後であったにもかかわらず、右京さんの申し出を受け入れたのは、紗妃が気持ちを立て直し前向きになったからと母は語っていたが、どこまで娘の心の内を理解したものか。

言葉は良くないが、紗妃の作戦勝ちだったと私は思っている。

経緯はどうであれ、右京さんと交際がはじまったことを両親も紗妃も喜んでいるのだから、結果的には良かった。

そして、桐生万里という危険人物と親戚になることも避けられた。



「お母さま、右京さんをお出迎えしなくては」


「私より紗妃ちゃんに迎えられた方が、右京先生も嬉しいでしょう」


「あら、よくおわかりですこと」



母と忍び笑いをかわしているところに、父と宗の帰宅が伝えられた。

腕の中の結姫がそわそわし始め、玄関から宗たちの声が聞こえてくると、私の腕から抜け出し一目散に駈け出して行った。



「お待ちなさい。ころぶわよ」



結姫のあとを追いかける母の背中を見送りながら、この頃重くなったお腹を抱えてゆっくり立ち上がった。

    
      
関連記事


ランキングに参加しています
  • COMMENT:2
  • TRACKBACK:0

2 Comments

撫子 s Room  

No title

千菊丸さん

お腹にふたりの子どもを抱えた珠貴、大変だろうと思います。
生まれたら、さらに忙しいのでしょうね。
近衛家に、にぎやかな声がもうすぐ響くことでしょう。

2016/04/06 (Wed) 17:33 | 編集 | 返信 |   

千菊丸  

No title

珠貴さん、もうすぐ双子をご出産されるのですね。
一人だけでも大変なのに、双子となるとますます大変かと・・結姫ちゃんは第一次反抗期真っ最中ですし。
でも、味方が多いので大丈夫でしょう。

2016/04/05 (Tue) 21:07 | 編集 | 返信 |   

Post a comment