【ボレロ】 34-2 -決着-



食事のテーブルに並んで座る二人は、対照的な表情をしていた。

紗妃は嬉しくて仕方のない様子で、右京さんと顔を見合わせるたびに口元をゆるませている。

一方、右京さんは緊張の面持ちで、紗妃へ返す笑みもどこかぎこちない。

紗妃の家庭教師として毎週この家を訪れ、家族とも親しく接していた彼も、今夜は緊張の面持ちである。

食事が終わる頃になり、ようやく表情が和らぎはじめた。



「右京君は、留学から戻ったあと、東葉重工へ入るそうですね」


「はっ、はい」



せっかく肩から力が抜けたのに父から声をかけられ、右京さんは弾かれたように姿勢を正した。



「大学院卒業後、祖父の会社へ入社する予定でした。

僕が留学を強く希望したため、二年間という約束で、祖父も留学を承知してくれました。

帰国後は、東葉重工の研究所で勉強を続けます」



丁寧に説明する顔も声もかしこまっている。

留学先の研究室に残るつもりはないのかと、父の問いかけが続き、それに対して 「ありません」 と、きっぱりとした返事だった。

帰国は二年後ですか、と母が確認するように繰り返す。

早ければ二年後に婚約、紗妃の大学卒業を待って結婚となるのか、もっと先かと、母は娘の将来設計を思い描いているのだろう。



「二年間、アメリカで勉強漬けです。途中の帰国は考えていません」


「勉強に専念ですか、立派な心がけですね」



宗も感心したのか、父と同様にしきりにうなずいている。

二年間、そうですか……と、また母がつぶやいた。

かつて私がイタリアへ渡った当初、たびたび母がやってきた。

一週間ほど滞在しては、大丈夫というのに私の身の回りの世話を焼き、私に急かされてようやく父が待つ家へ帰って行った。

今度も、紗妃のもとへ出かけるつもりでいただろうに、右京さんの決意を聞き、母親にためらいが生じたのか。

二年も会えないのね……と、寂しそうにため息を漏らした。

親の心子知らずの言葉が、親となったいま胸に響く。

失恋という傷心を抱えて外国へ旅立った私を、母はどんなに心配しただろう。

そしていま、紗妃を送り出す寂しさと心配を抱えている。

宗の膝の上ではしゃぐ結姫を見ながら、この子もいつか親元からはばたく日がくるのだろうと思うと、楽しみと寂しさがまじりあった複雑な思いがこみ上げてきた。



「紗妃さんも、僕と同じ大学に留学されるとうかがっています。

微力ですが、紗妃さんの力になれたらと思っています」


「ありがとう、君も忙しいでしょうが、紗妃をよろしくお願いします」



父とともに、紗妃も神妙に頭を下げた。

ふたたび留学の話を持ち出したのは、有村敬さんとの縁談が白紙に戻った直後だった。

紗妃が通う大学にはアメリカの大学へ編入して学べる制度があり、単位も認められるから安心してほしいと、紗妃は両親を納得させるだけの材料をそろえていた。

両親にも右京さんにも、今度こそ本気であると示したいのだ。

紗妃から学問に意欲的に取り組む姿勢が示され、父からも母からも留学に反対の声はなかった。



「あの……それから」


「うん? なんだね」


「いえ、のちほどお話しいたします」



言いたいことを飲み込んだ右京さんは、握りこんだ拳をほどき額の汗をぬぐった。



「もっとリラックスして、と言っても無理だろうね。そうだよな、わかるよ」


「なにがわかるの?」



このごろお気に入りのフルーツを前にした私は、なにもかもわかったような顔の宗へ問いかけ、それから器に盛られたひとつを口に運んだ。

酸味の少ない爽やかなスイートスプリングの甘味が、口いっぱいに広がっていく。



「こうして遠慮なくミカンを頬張るようになるまでには、まだまだ時間が必要だってことだよ」



そう言うと、宗は器に盛られたスイートスプリングを続けざまに口に放り込み、欲しそうに見つめる結姫にもひとつ与え、ふたりで 「おいしい」 と声を上げた。



「ははっ……うん、私にもおぼえがある」


「まぁ、お父さままで、なんですの?」


「いや、うん、そういうことだ」



要領を得ない返事のあと、父もフルーツに手を伸ばした。



「八木沢様からいただいた、珍しいおミカンですの。

甘くて口当たりが良いものですから、珠貴がことのほか気に入って、姫ちゃんもお気に入りね。

このおミカン、追熟してゼリーのようになるんですって。右京先生も、どうぞ」


「ありがとうございます」



母は父と宗のなぞかけのような会話には触れず、珍しい柑橘類について語っただけ。

いつもなら、ここで紗妃が口を挟み 「お父さま、きちんとお話してください。それではわかりません」 と遠慮のない口をきくのに、今日の紗妃はおとなしい。



「どーぞ」


「結姫ちゃん、ありがとう」



結姫のあどけない声にうながされて、右京さんもやっと笑顔になった。

紗妃の留学を許した背景には両親の思惑も絡んでいたことに、この時の私は気がつくはずもなく、要領よく思い通りに物事を進めてしまう妹を羨む気持ちに占められていた。


ダイニングからリビングへ歩きながら、父と宗は昼のゴルフの結果をたたえ合い、右京さんは聞き役に徹しながらふたりのあとに従った。

母はあくびが出はじめた結姫を抱きあげ 「あなたは、ここにいらっしゃい。あとはお願いね」 と、私にホステス役を任せるとリビングをあとにした。

そして紗妃も……



「お先に失礼いたします。宗一郎お義兄さま、右京先生、ごゆっくり」 



しおらしく挨拶をして自室へさがっていった。

これから仕事の話になるため、紗妃は遠慮するようにと言われていた。

名残惜しそうに立ち去る紗妃の背中を、愛おしそうに見つめる右京さんの眼差しは、紗妃のあとを追いかけていきたいと語っている。

宗と恋人だった頃、ふたりだけの時間を過ごしたあとは別れがたく、宗の背中にすがりつきたいと思ったもの……

ふとよみがえった甘い記憶にひととき浸り、くすぐったい思いとともに胸の奥にしまい込んだ。


「コーヒーはいかがでしょう」 と、ソファで懇談中の三人へ声をかけると……

「有村先生からいただいた銘酒があるのだが」 と、父が言い出した。

宗はアルコールが苦手と知りながら、右京さんに酒の相手を期待したような父の言葉は、私には面白くない。

夫を軽んじられた気がしたのだ。

ところが、「おつきあいします」 と宗が返事をして、これには驚いた。

食前酒ですでに 「酔ったよ」 と言っていたのに、これ以上飲んで大丈夫だろうか。

無理はしないでね、とそっとささやき、三人分のグラスを用意した。

男性にとってアルコールは、口元と気持ちをほどく道具となる。

父と右京さんは、二杯目のグラスが空になったころから口がなめらかに動き始めた。

アルコールに弱い宗を心配していたが、いまだ一杯目のグラスの中身はほとんど減っていない。

途切れることなく話題を投げかけ、父と右京君の間を取り持つように言葉をはさんでいる。

語ることで飲むペースを抑えているのだ。

宗なりの付き合い方に感心していると、三人の話題は他言できないような政界と財界の裏側へと入っていった。


      
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2 Comments

撫子 s Room  

No title

千菊丸さん

紗妃は嬉しさいっぱいでしょうが、右京は緊張しっぱなしだったでしょうね。
ふたりのこと、そして、桐生兄弟のこと、今後の展開をご覧ください。

2016/04/15 (Fri) 23:48 | 編集 | 返信 |   

千菊丸  

No title

沙紀が言いたかったことは何なのでしょうか?
でも、家庭教師としてではなく、結婚相手として彼女の両親と食事をして緊張する右京君の様子が頭に浮かんできます。

2016/04/15 (Fri) 14:03 | 編集 | 返信 |   

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