恋、花びらに舞う 1. 花霞



春の優しい風に吹かれて、はらはらと花びらが舞う。

重なり合う枝に咲き誇る薄桃色の花は、視界のすべてを被い尽くすほど咲きほこり、華やぐ季節の到来を誇示している。



「今年は満開が早いな……桜を見ると、自分が日本人だと思うよ」


「あなたでもそんなこと言うのね。満開の時期なんて興味ないと思ってた」


「ゆうに、初めて会ったとき桜が咲いていた」


「そうだった? あまりに前すぎて忘れちゃった」


「俺は覚えてる。桜の中でゆうを見つけた、ゆうしか見えなかった」


「見つけてくれてありがとう……」



後ろから抱きしめながら、出会ったころの素直な気持ちを口にした男を、由梨絵はいとおしいと思った。





 綺麗ねと感嘆の声をあげた友人に、そうねと返しながら、後藤由梨絵は舞い散る花びらに終わった恋を重ねていた。

自分で仕舞いをつけた恋は、別れを告げられて終わる恋よりダメージが少ないはずだった。

桜を愛でながら、失った恋の傷口をなめるような気持ちになるとは思いもしなかった。

30歳を目前にした転職は、女にとって大きな転機である。

県外への転居を伴う転職ともなれば、恋人との付き合い方にも先が見えるだろうと思った。

転居先は遠方と言うほどではないが、これまでのように会いたいときに会える距離ではない。

それなりに努力しなければ恋愛の継続は難しいことは目に見えていた。

少なからず結婚を意識していた恋人に、短大講師への誘いがあるけれど迷っていると告げると、

 

「由梨絵らしくないね。自分の思うようにすればいい」 



そんな優しい言葉があった。

さらに、自分が立ち入る問題ではない、決めるのは由梨絵なのだから……と続いた。

決して意見を押し付けたりせず、物わかりのいい彼らしい答えはいつものことだったが、そのときの由梨絵は恋人の返事に落胆した。

思ったようにすればいいとは、裏を返せば突き放された言葉そのものである。

芹沢圭吾の言葉を聞きながら、この男と自分のあいだに将来はなさそうだと見切りをつけた。



咲き誇る桜の向こう側に広がるレース場は、別れた男の会社のもので、彼も一時期ここに勤務していた。

少し前なら彼に会えるのではないかと、心弾ませてやってきたのに、今日は圭吾の知り合いに会いませんようにと願っている。



「レース場に新しいコースができた記念のイベントがある。普段は関係者以外立ち入り禁止のエリアにも、特別に入れるチケットだよ。

レース好きな友達がいただろう、彼女を誘って行くといい」


「マナミだったら喜ぶと思うけど、圭吾は行かないの?」


「僕はその日、出張が入ってる。由梨絵がきたら、誰かに案内させるよう言っておくよ。新しいコース、すごいよ。

ファンだったらたまらないはずだ。パーティーにはドライバーや朝比奈監督も参加する、楽しんでおいで」



コース建設には圭吾もかかわっていた。

自分が関わった仕事を恋人にも見せたいと思ったのか、単に華やかなパーティーへの誘いだったのか、圭吾の思いはどこにあったのか今となってはわからない。

チケットを渡されたとき、のちに別れが訪れるとは夢にも思わず、車のレース観戦が趣味の友人を誘った。

記念イベントを楽しみにしている友人へ、チケットをくれた彼と別れたからイベントに行きたくないとは言い出せず、今日は渋々足を運んだ。

叙情的な景色をぶち壊す轟音が響いてきた。

マシンと呼ばれる車のエンジン音は地響きとともに唸りをあげ、噛み付くような激しさだった。

レース場を目にしたときは、少なからず圭吾への思慕が残っていたが、地鳴りと共に響く爆音が、それらすべてをかき消した。



「見て、朝比奈さんよ、オーラがすごい。いい男は、どこにいても目立つわね」


「どこ?」



人の輪の中心にいるサングラスをかけた背の高い男性が、レーシングチームの監督の朝比奈和真で、輝かしい経歴の持ち主であるとマナミに言われても、由梨絵には風情のない爆音をまき散らす元凶にしか思えない。



「大きな音の中にいたら、耳がおかしくなりそうね」


「気にするのはそこ? 由梨絵みたいに、素敵な彼がいる人は興味ないか」


「彼とは別れた」


「ウソッ、いつ! ねぇ、どうして?」


「会社を辞めたとき……」



目の前をマシンが通過して、由梨絵の返事は爆音に飲み込まれた。



「なに? 聞こえない」 


「会社を辞めたとき別れた。もう付き合えない、サヨナラってきっぱり言ってきた」



聞こえないと言われて、由梨絵は声を張り上げて同じセリフを繰り返した。



「由梨絵からそう言ったの?」


「そうよ、いけない?」


「いけなくはないけど……芹沢さん、優しくて素敵だったのに。破局の原因は何? 浮気とか」


「破局なんて、そんなおおげさなものじゃないわよ。浮気ではないけど……」



他人に深く踏み込まない圭吾が、茶道で知り合ったという女性を気にすることが多くなった。

心に傷を負ったその女性に同情するのだと、恋人の由梨絵に話すのだから、そのときの圭吾にやましい気持ちはなかったはずである。

けれど、圭吾の気持ちが同情から愛情に変わるのではないか、そんな気がしてならなかった。

圭吾の心変わりを見たくはない、その思いが由梨絵を動かした。



「彼、気になる彼女がいたみたいなの。だから、ふられる前に私から別れを切り出した」


「わっ、オトコマエ」



爆音に負けない声を張り上げていた二人は、エンジンが止まり突然の静けさが訪れてもそのままの大声で、由梨絵の打ち明け話は周囲に聞こえた。

まわりから笑い声が漏れ、マナミと由梨絵は肩を寄せて声をひそめた。



「オトコマエって、褒めてるのよね?」


「まぁね、半分呆れてるけど。でも、いいんじゃない? 自分で幕を引くのって由梨絵らしい」



小気味よく言い返してくる友人は高校からの付き合いで、遠慮のない言葉は気遣われるよりよほどいい。



「みなさま、パーティー会場に移動してください」



スタッフに促されてマナミとともに歩きはじめた由梨絵は、ふいに視線を感じた。

気になる先に目をやると、長身の男がサングラスをはずしながらこちらへ歩み寄ってくるところだった。



「わぁ、朝比奈さん」


「俺を知ってるんだ。彼女、車は好き?」


「はい」


「嬉しいな。そっちの彼女も?」


「いえ……」



「知り合いにチケットをもらったので、友達も一緒に来たんです」 



朝比奈の問いかけに、由梨絵の代わりに答えたマナミは興奮している。



「ふたりで来てくれたんだ。嬉しいな」 




マナミと由梨絵のあいだに割って入った朝比奈は、ふたりの腰に手をまわして歩き出した。

なんて強引な男だろう……

そう思いながら、由梨絵は腰を引き寄せる大きな手にあらがえずにいた。




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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To vivistarさん

ありがとうございます!

書きだしの一文には、自分なりにこだわりがあるので、そう言っていただけると本当に嬉しいです~!
この数行を書くのに数日かかりました (打ち明け話^^)

2019/08/24 (Sat) 11:49 | 編集 | 返信 |   

vivistar  

なでしこならでは!

この書き出し、すごく好きです。
花霞の風景が目に浮かぶよう‥。

2019/08/23 (Fri) 21:51 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K・撫子  

ありがとうございます

まあむさん

花シリーズを再読してくださったのですね、嬉しいです!
『花の降る頃』に登場した由梨絵が今回の主人公です。
圭吾との別れから再会までの、由梨絵の時間をお届けします。

>2人が再会した時はある意味痛快でした。

私も痛快でした。
別れた頃の圭吾は、どこか優柔不断なところがありましたから(由梨絵は見事に見返しました!)


短編、数話の予定です。
これからお付き合いください。

2019/05/02 (Thu) 22:24 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

No title

こんにちは
作品公開を楽しみにしておりましたが、
連休に入ってから花シリーズを読み返していただけに
とてもタイミングが良くて驚いています。
本編では、由梨絵さんは登場するたびに、積極的で強い印象を
言葉の端々や行動に感じ取れましたが
転職を思い悩み始めてからは女性としての弱さがハッキリ表れ
芹沢さんに対してモヤモヤした気持ちを持ちましたね~
おかげで、2人が再会した時はある意味痛快でした。
ただ、今まで朝比奈さんとの出会いが疑問だったので
今回はとても嬉しく楽しめそうです。

2019/05/02 (Thu) 11:02 | 編集 | 返信 |   

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