【風花】 1 ― 予感 ―



既婚者と付き合ってみたいなんて 信じられないわ

スリルを味わいたいのかしら

人の持ち物を欲しがる子どもと一緒じゃない

既婚者との恋愛 それは 私の常識の中には存在しない

彼が現れるまでは そう思っていた……


本省から転勤してくる課長達

彼らは 次のステップへ進むため 若いうちに地方勤務を経験する

数年の地方勤務をへて本省へ帰り あとはキャリアの道を進む

毎年 本省と地方勤務の次期赴任地として課長達が転勤してくる

そのたびに 独身の女性職員は色めき立ち 秋波を送る

よそから来る男性がそんなにいいの?

地元にだっていい男はいっぱいいるのに そろいも揃ってキャーキャー騒がなくてもいいじゃない
 
私は 彼女たちを冷ややかに見ていた

若いと言っても 課長のほとんどは妻帯者で

たまに独身の課長が赴任しても 彼らには間違いなく都会に残してきた恋人がいた

今年も 二人の課長が本省から転勤してきた

二人とも 歳は30代前半

仲村課長は 長身でスリムな体に背広が良く似合っている   

一見 神経質そうにも見えるが 物腰は穏やかで 私たちにも敬語で話しかけるような人

スマートな語り口調で女の子達に人気がある

結婚が早かったのか 小学3年生と1年生のお嬢さんがいると 教えてくれたのは課長本人

私の課に赴任してきた課長

遠野課長 こちらも長身だが 仲村課長と違って 筋肉質なのが背広の上からもうかがえた

結婚指輪をしていないため 「独身の課長よ!」と 女性陣を期待させたが

来年小学校に入学する男の子がいると 隣の課の水城さんが教えてくれた

寡黙な人で メガメの奥の目が鋭く 取っつきにくい感じがするが 黙々と仕事をこなす姿が印象的だった

昼休み 女性職員達は 相変わらず新任課長の話題で持ちきり

 
「仲村課長って センス良いわね ネクタイの選び方なんてツボよ

定年前の課長補佐とは大違い 自分で選ぶのかしら」


「遠野課長も無口だけどステキよね~ 仕事が出来る男ってカンジ

電話の声が またいいのよ~ 低くて柔らかくていい声なの」


毎年 毎年 この時期は新任課長の品定め

  
「ネクタイを選ぶのは奥様です 声が良いのは生まれつき!アナタたちねぇ 課長は結婚してるのよ! 

どうしてそんなに気になるの?他にも独身職員はいっぱいいるのに そっちを見たら?」


私の半ば呆れた言葉に ひとつ年下の後輩が気弱に言い返してきた



「そうだけど……でもねぇ~ 素敵な人は素敵に見えるのよね

課長達を見た後 他の職員を見ても差がありすぎちゃって……

桐原さんは 彼がいるからそう思うんですよ 私たち結構真剣なんです!」



真剣って 真剣になっちゃいけない相手でしょう

そう 私には付き合っている彼がいる

同期で入省した男性職員で 続けて二度 同じ部署になった

人は偶然が重なると縁を感じるものらしい

仕事のあと飲みに行ったり 残業後一緒に食事をしたり

自然と職場の仲間同士で行動することが多くなる

車で送ったり 送られたり いつのまにか 私の横には彼が座るようになっていた

みんな変に気を遣いすぎ 私と彼を くっつけようとしてるのが見え見えだもん

彼だって ”二度も同じ職場になるなんて俺たち縁があるよな”って

縁って何よ……


いつもは真面目で 女性に対して積極的でない彼も 車という閉鎖的な空間では 思い切った行動をとる

信号待ちのたびに 私の膝に手を置き 私の自宅の前で止まると 前触れもなく唇を重ねてきた

そうした彼の行為はイヤじゃなかったけれど……

私の気持ちと少し離れてる 

だって 体に触れられてもキスをしても ”ドキッ”としたり ”ゾワゾワ”したようなカンジがない

その後 当然の成り行きで 彼と関係を持った

これだって 彼の部屋でなんとなくそうなっただけ

部屋に遊びに行ったときから そうなるような気はしたけどね 

でも そんな関係になったからといって 彼との恋愛にのめり込むかと言えば……答えはNO
 
私って 恋愛に真剣になるタイプじゃないのよね


4月の転勤で彼は地方に異動し 会えるのは週末だけ

その週末さえ ”待ってた 会いたい” の思いはないなぁ

なんとなく付き合いだして2年間 

彼から好きだと言われたこともないし 私から言った記憶もない

一緒に過ごしてイヤじゃないから付き合っている そんなところかも

彼の真面目さ 常識的な部分には共感する

仕事は真剣に取り組むし 時間にルーズでもなかった 私との約束も守る 酒にも飲まれない 

なにより 私に対して余計な詮索はしなかった そして 私も彼の行動を詮索しない

許容範囲の一致……これは男性と付き合う上で大事なこと

タバコを道に捨てる彼がイヤだと そんな理由で別れた友人がいたけど

それって お互いの常識の範囲がずれてたってことよね

その点 私と彼は常識の範囲が一緒

付き合いだした頃は それなりに男性といる緊張感と 甘やかな感覚があったのに

手を触れられただけで”ドキッ”とする あの高揚した気持ちは いまはどこにもない

倦怠期かしら……


28歳 そろそろ”結婚”の二文字がちらつく

親も”お付き合いしている人がいるのなら 連れていらっしゃい”と言う

一時期 私の恋愛にうるさく干渉した母も

去年結婚した兄に 今年子どもが生まれてから興味は孫へと移った

母やおばにせっつかれて 仕方なく見合いをした兄だったが とても素敵な女性に巡り会ったようだ

就職して都会に行った兄は 実家に帰るのも一年に一回だったのに 

彼女に出会ってから 彼女に会うため一月おきに帰省した

妹から見ても そんな兄はほほえましく写った

義姉になった和音さんは私より一つ年上

女の兄弟がいない私は姉が出来て嬉しかったし 末っ子の和音さんは私を可愛がってくれる

義理でも姉妹になると 友人達とは違った親密さが芽生えた
 
兄貴みたいに 見合いで運命の人に会えたら幸せよね

私と彼は……どうだろう 運命の人と呼ぶには何かが欠けてる気がする



「結婚なんて 成り行きや勢いでするものよ」



これは 兄の見合いを仕組んだ 芙美子おばさんの口癖

でもね おばさん 私と彼の関係には勢いがないの

これってどうしたらいいのかな……



週末に彼が会えないかと連絡してきた



「土曜日 映画を見に行こうよ 地方じゃ封切りも遅くてかなわないよ」


「いいけど 何を観るの?私と和史の趣味 合わないじゃない アクション物はお断りよ」


「違うよ 朋代も観たいって言ってた映画 昼飯食ってから行こうよ」



付き合いだした頃は まだ良かった 

ほの暗い映画館は 二人をそれなりの雰囲気に浸らせる効果があったから・・・

気が乗らないけど 土曜日は特別予定もないし 和史の映画に付き合うか
 
和史と約束した前の日 課長の歓迎会があった 隣の水城さんの課も一緒だ

一通り紹介が済むと 待っていたかのように課長達の周りに女の子が集まる

私と水城さんは 少し離れたところから その様子を眺めていた

水城さんは 私よりふたつ年上で 今年初めに結婚したばかり

ご主人とは職場結婚で 私もよく知っている



「桐原さん アナタは課長達に興味なさそうね まぁ 野間さんと付き合ってるから当たり前か」



水城さんも和史を知っている



「どお?そろそろ結婚の話は出ないの? ゆっくりしてるとあっという間に30歳よ」



私 ギリギリセーフだったの と水城さんが小声で言った

彼女は今月30歳の誕生日を迎えたばかり



「うーん 親はうるさいけど 彼とはそんな話したことないな~

私もまだいいかな~って思ってるし どうでもいいの 最近は会ってもドキドキしないもん」



ペロッと舌を出して告白した



「ちょっと それって危険よ 彼が転勤しちゃって距離が出来たのも良くないわね」



水城さんは本当に心配してくれている



「女同士 そんなところにいちゃいけないな~ こっちで一緒に話をしましょう」



そう言ってきたのは 仲村課長だった

誘われるままに みんなの話の中に入った

ちょっと驚いたのは いつもは寡黙な遠野課長が楽しそうに話の輪に入っていること

遠野君とは大学が同窓なんだと 仲村課長が紹介していた

人は 酒が入ると いつもと違う面をのぞかせる

そのお陰で 遠野課長が 思ったより取っつきにくい性格ではないとわかった

その遠野課長と私は 帰りが同じ方向だという理由で 一緒のタクシーに乗せられた

タクシーの乗ってまもなく 課長の苦しそうな声がした



「どうしました? 車に酔いましたか?」



課長は苦しそうに頷くだけ

早く降りた方が良いよと 運転手の迷惑そうな声に程なく下車した

聞くと 課長の自宅はここからあまり遠くないという

ふらつきながらも 腕を抱え なんとか歩く



「だいぶ気分が良くなったよ 悪かったね」


「いえ……あの 玄関までお送りしますから」



”ありがとう”と 課長の安堵の声がした 

住まいはマンションの5階だった

インターホンを押すが返事はなく 仕方なく鍵をかりてドアを開け中に入った 

人の気配がない 家族の方はお留守のようだ

気分の悪い課長を 玄関において帰るのがためらわれた

部屋に入り ソファーに座り込んだ課長は 水を飲んで ようやく落ち着いたようだった

課長のマンションからは歩いて帰った

徒歩で15分ほどの距離に 私の住む賃貸マンションはある 

歩きながら 同僚の言った言葉を思い出していた


”課長の声は 低くて柔らかくていい声なの”


声とともに課長の姿も思い出される

 
”土地の慣れない酒に酔ってしまったようだ 桐原さん 本当にありがとう”


課長の声は 心地よく 私の中で何度も響く

男性を抱えて歩いたのは初めてだった

邪な気持ちがなかった分 課長の体の感触は 鮮明に私の手に残った

それから目も……

メガネの奥の 厳しい印象しかなかった目は 

今夜は柔らかく 感謝の眼差しを私に向けていた

どうして こんなにハッキリ思い出せるのだろうか

自宅に戻ってからも 自分でも可笑しいくらい遠野課長のことばかり考えていた

その思いは 明日の和史との約束を忘れそうなほどだった



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