【風花】 2 ― 動揺 ―



昨夜の酒がまだ残っているのか ベッドからなかなか起き上がれない 

気だるさが全身を覆っていた

家族に邪魔されることもないし 気ままに午前中を過ごす

一人暮らしの不便さと引き替えに 自由な時間を手に入れた気分だ

地方赴任が決まると 先輩達が口をそろえて言った



「課長といったって 向こうから見れば若造だからな 課長補佐の扱いが大事だぞ 

それと 地方の女の子には気をつけろよ 遊ぶのは本人の自由だが 本気になると後がやっかいだぞ

お前みたいに真面目なのが一番危ない 遊びが本気になりかねないからな・・・」



遊びが本気か……そんな先輩もいたな

私にはそんな勇気もないし 気力もない 

そんな自分が 妻以外の女性に惹かれることになろうとは 

そのときは予想すらできなかった 彼女に会うまでは……


地方勤務は避けて通れないと 結婚前に言っておいたのに

いざ転勤が決まると 妻は一緒に赴任するのをためらった



「この子 来年小学校の受験なのよ 塾もあるし 赴任は2年間でしょ? 

貴方だけお願い 2年後に帰ってきても公立の小学校にしか入れないわ この子の将来がかかってるのよ」



建前は子どもの受験だが 妻が自分の生活も変えたくないのは明らかだった



「たまには私も行くから 学生時代は一人暮らしをしてたんでしょ?

それなら大丈夫よ 貴方きれい好きだし お掃除も心配ないわね」



妻は 自分に都合の良いことばかり並べた

住まいにしても



「官舎だと いろいろお付き合いが大変そうだし たまに私が行っても気兼ねしないところが良いわ

マンションを借りましょうよ! それなら私も行きやすいから」



官舎の人付き合いを敬遠してか 結婚してすぐにマンションを購入しようと言い出したのも妻だった

赴任先は 言葉の訛りをのぞけば快適だった

都会に比べて空気はいいし なにより食べ物が美味しい

年上の部下達も 言われていた程扱いづらくない むしろ上手くいっていた

土地柄か 穏やかで開放的な気風は馴染みやすかった

それに 局内に同窓の課長がいるのも心強かった

妻は 引っ越しの手伝いに来たっきり こっちにくる予定も当分ないという

東京の自宅に電話をしても 留守が多かった



「だって 夜は寂しいし 親子二人物騒でしょう 
昨日は実家に行ってたの 両親も喜んでくれるし お夕飯の支度もいらないじゃない」



妻に留守の理由を聞くと 必ず同じ答えが返ってくる

こっちは不自由してるんだ そう言いたかったが言葉を飲み込んだ

妻に愚痴めいたことを言いたくなかった 


赴任して1ヶ月が過ぎた

朝はコーヒーと たまにトーストを食べる

昼と夜は外食だが 努めて野菜中心のメニューを選んだ

子どもがいないから部屋も散らからない

洗濯は乾燥機付きの洗濯機が全部やってくれる

思ったより快適な生活

時間が自由になる生活は 満更悪くなかった

昼を過ぎて やっと頭がスッキリしてきた

昨夜は 桐原さんにずいぶん迷惑を掛けたな

女の子を送るなら話はわかるが こっちが送られるなんて 

何かお礼をしなきゃな……ランチでも誘ってみるか

だが 女子職員と一対一はまずいな

そうだ 水城さんと一緒なら問題ないだろう

誰もいない 男一人暮らしのマンションに入ってもらった

体調が悪かったと言えば言い訳にはなるが 女性を部屋に入れてしまった罪悪感を感じていた

彼女も 私をあのままほっておけないと思ったんだろう

申し訳ないことをしたな……

このときは まだ純粋にそう思えた

申し訳ない この気持ちに偽りはなかった

まさか 彼女の姿を見て動揺する自分がいるなんて 微塵も思わなかった

食事を二食抜いたら 胃の調子も戻ってきたのか空腹感に襲われた

マンションをでて 大通りにでる

昨日 彼女はここでタクシーを降りて 私を支えながら歩いたんだ

胃のむかつきに襲われながらも 彼女の体の柔らかい感覚はしっかり感じていた

無心に介抱する彼女に悪いと思いながら 若い女性と密着しているのは決してイヤではなかった

むしろ心地よさを感じていたなんて とても言えないな……

桐原さんは 隣の課の職員

他の女子職員と少し違う雰囲気を持っていた

女の子特有の群れることもなく だからといって孤独でもない

淡々とした語り口調が印象的で 他の女の子と一緒に大声で騒ぐことはなかった

スッキリとした顔立ちからか クールなイメージが強かった

見てないようで 彼女の事を見てるもんだ

自分で気がついて苦笑した

彼女の姿を思い出すと 私の中で甘い感覚が動き出す

仲村課長に教えてもらった 郷土料理の店にいってみるか

単身赴任者に人気の店だと聞いていたが カウンターはその手の顔らしいのばかり

気兼ねなくカウンターに座る と同時に後ろから名前を呼ばれた



「遠野課長」



振り向くと そこには桐原さんの姿があった

彼女は一人ではなかった

とりあえず 昨夜の礼を言う 

ただ 部屋まで送ってもらった礼を言うのはためらわれた

彼女の連れに誤解されそうだったから……

”もう大丈夫ですか”と 心配そうに尋ねる彼女に



「朝から食事をしてないんだ さすがに腹が減ってきてね」



彼女が”良かった”と 本当に安心した表情をする

そして 隣の男性を紹介した



「同期の野間さんです こちら 4月に着任された遠野課長よ」



野間と名乗った男性は 役職と勤務地を言って 軽く会釈をした

彼女と親しそうだ 彼氏かな

なんとなく残念な思いがした

ガッカリしたといった方が正しいか

はは どうして私がガッカリするんだ

ふと 昨夜の彼女の柔らかい体の感触を思い出した

あれくらいで惑わされるなんて どうかしてる

単身赴任一ヶ月でこのザマか 情けないね

にこやかに彼女の横に立っていた彼が 思いついたように言い出した



「課長 一緒にどうですか?」



地元で美味しい店 珍しい場所など いろいろ教えもらった

人の良さそうな野間君は 一生懸命話掛けてくれる

彼女は ときどき頷くだけ ほとんど口を挟まない

恋人同士 もっと親しげに振る舞ってのいいのにと そんな心配をしたくなるほどあっさりしている

私の前で遠慮しているのだろうか

それにしても 女の子にこんな顔をさせちゃいけないな

もっと 楽しい時期だろうに……

野間君が席を外すと 彼女が話しかけてきた



「課長 昨日は大丈夫でしたか?ご家族の方はお留守みたいだったし 気になってました」


「桐原さんには本当に迷惑を掛けたね ありがとう 昼まで寝てたら気分も良くなった もう大丈夫だよ

今度 お礼にランチでもご馳走するよ 誘ってもいいかな」



彼女の顔が 華やかな笑顔になった

彼といるときは見せなかった その笑顔に 私の中で何かが揺れた

その思いがなんなのか 戸惑いを覚えたが 彼女に悟られてはいけない気がした



「野間君は桐原さんの彼氏? 付き合いが長いのかな やけにあっさりしてるね」

”そう見えましたか?”と言うと あとは笑って答えてくれなかった 

 

店の支払いを私がすると 二人とも恐縮していたが



「ありがとうございました」



そう言って 二人仲良く頭を下げた

なんとなく 店の前で二人の後ろ姿を見送っていたら

野間君が桐原さんの手をとり 手をつないで歩くのが見えた

その光景は 私を動揺させたと同時に不愉快にさせた

ふいに湧いた感情だった

私は何に対して不愉快になっているんだろう

恋人同士 手をつないで悪いことなどない

むしろほほえましく写る光景のはず

私の感情に 今まで感じたことのない部分が動き出した瞬間だった





関連記事


ランキングに参加しています

0 Comments

Post a comment