【風花】 4 ― 自覚 ―



賢吾の幼稚園行事が忙しいのだと言って 4月に来たっきり 妻は一度も来ていない

一人暮らしにも慣れ 出張の準備も手早くこなせるようになった

金曜日には賢に会えるな……

息子の写真を眺めながら独り言がでる


飛行機の座席は 桐原さんと隣になった

幹事役の若い職員が席を振り分けたら 私たちが余ったのだそうだ



「誰と一緒でもいいよ」



そう言って 彼女と苦笑いしながら隣同士の席に着いた

この時期 客が少ないのか 機内は空席が目立ち 全員が窓側の席に座っている 

飛び立って間もなく 気流が乱れると 機長から事前に説明があったが 思いのほか機体が揺れる

ガクンと大きな揺れがきた

咄嗟に彼女が 肘掛けにおいた私の手を掴んだ



「あっ ごめんなさい 私……」


「いいよ 気にしないで」



笑いながら答えると 彼女は恐縮したように身を縮めた

また大きな揺れがきた

膝の上で拳を握りしめて 必死で耐えている彼女が健気に見えた

彼女の手の上に 私の左手を重ねて置いた

ビックリしたようだったが 私が唇に指を立てると やや微笑んで 軽く頭を下げた

乱気流を抜けるあいだ 私はずっと彼女と手を重ねていた

機体が揺れるたびに彼女の手が緊張する

それを落ち着かせるように 彼女の手を静かに握りしめた

彼女と無言の会話をしているようだった

何も言わなくても伝わる

こんな気持ちは初めてだった……


一日目の会議 二日目の視察

どちらも満足のいく内容だった 開催県の力の入れようがよくわかる



「これだけ盛況だと来年がやりにくいですね……」



課長補佐は 年配者らしい心配をしていた

全国各地に赴任している元同僚や 友人達に会えるのも楽しみたっだ



「遠野 どうだ 思ったより暮らしやすいだろう? 俺も もう2・3年居たかったよ」



そう声を掛けてきたのは 私の前任者で同期の前田だった



「あぁ そうだな そっちはどうだ?」



互いに近況報告をしながら 情報交換をする

視察が済むと現地解散になり 皆はそのまま空港に向かったが 私は自宅に帰るため別行動をとった

新幹線ホームで意外な人物に出会った



「桐原さん」



名前を呼ぶと 彼女はこの前のような 華やかな笑顔を向けてくれた



「兄夫婦のところに遊びに行くんです」



お兄さんが東京に住んでいると教えてくれた

小さな甥御さんに会うのが楽しみだとも言っていた



「課長はご実家に帰省されるんですか?」



彼女には 私が単身赴任だと告げていなかった
 
話の流れで自宅に帰るのだと言うと



「そうだったんですか 一人暮らしは大変ですね なにか不自由なことがあったら 遠慮なくおっしゃってくださいね マンションも近いし すぐに駆けつけますから!」


「ありがとう じゃあ そうさせてもらおうかな 病気で倒れたら 真っ先に桐原さんに連絡するよ」



”ホントですよ これでも少しは頼りになりますから”と

真剣な眼差しで言ってくれた


東京までの短い時間 彼女との会話は楽しく

職場では見たことのない顔がそこにあった

クールな印象の強い彼女だったが そんなこともなく

弾力性のある考えを持った 芯のしっかりした女性だと認識した

自分の意見をハッキリ言う口は 口元がキュッと締まり それが 今まで気の強い印象を与えていたが 

今日は いつもより明るいルージュがよく似合う

柔らかい色を帯びた唇だった
 
帰りの飛行機の時間を聞くと同じ便だった



「じゃあ 日曜に空港で!」



東京駅で彼女と別れて 自宅に向かう



「息子さんもパパの帰りを待ってるでしょう ご家族とゆっくり過ごしてきてくださいね」



彼女の温かい言葉はありがたかったが 私の心は重かった

妻に 出張で帰ると連絡した日のこと



「そんな 急に言われても……その日は困るわ 私 お友達に旅行に誘われてOKしちゃったのよ」



それが妻の返事だった

賢吾を実家に預けて 北陸に旅行に行くのだと言った

久しぶりに帰ったわが家は ガランとして人気がなく

まるで他人の家に帰ってきたみたいだった

書斎から読みたかった本や書類を取り 近くに住む義父の家に向かった

玄関を開けると 賢吾が飛びついてきた

荷物を床に置き 息子を抱き上げる

賢吾の嬉しそうな顔が 私の暗く沈んだ気持ちを引き上げてくれた

義母は 精一杯のもてなしをして待っていてくれた

そして 義父は娘の不在を申し訳なさそうに詫びた



「一人で不自由してるのに衛さんには申し訳ないけれど 私たちは孫と一緒に暮らせてありがたいと思っているの……」



義母の言葉から 妻と息子は ほとんどここで暮らしているのだとわかった

妻の帰りは日曜の夜だという

二日間 賢吾と二人で出かけた

以前から約束していた乗り物の博物館では 賢吾の目は興味でいっぱいだった

ずっと欲しいと言われていた 電車のおもちゃも買った

帰宅してからも 賢吾と一緒に遊んで過ごす

私が帰るのに妻が不在だという事実を 時々思い出しながら……

妻の自分本位な行動に不快感を覚える

単身赴任の夫が帰ってくると言うのに 友人と旅行だと家を空ける

その無神経さが腹立たしかった
 
だが 妻に腹を立てる自分の中に もう一つの感情が芽生えていた

家に帰って息子と遊びながら……

食事をしながら……

ふと 桐原さんの顔が浮かんでくる

滅多に見せない 私にだけ向けられたような笑顔と 不安げな手が

私の中に オリのように沈殿しては また浮かび上がってくる

飛行機で 彼女に重ねた手の感触 

あの手に また触れてみたいと思った

そして あの柔らかい色を帯びた唇にも……

彼女の存在が 私の中で次第に大きくなってゆくにつれて

誰かを想い始めたときのような 初々しい感情を呼び起こした



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