【風花】 7 ― 接吻 ―



 彼の唇が私の肌に触れる

体の感覚は これ以上なく研ぎ澄まされ

唇が押し当てられた 一点 一点を 全神経で感じていた

顎から 離れた唇は 

やがて私の唇に触れた

今だけ すべてを忘れよう

今だけ 彼のことをだけ考えていたい

いまだけは……

彼の唇が 吸い付くように私と重なった

彼とこうして口づけたいと 心のどこかで望んでいた

自分の気持ちを押し込めたはずなのに 彼への想いは募る

名前を呼んで欲しい 私に触れて欲しい 口づけて欲しい……

閉じていた口が少し開き

彼の唇が 深く 深く 私を求める

愛しい人とのくちづけは

ときに 燃えるように

ときに 溶けるように

くりかえし 交わされる

首を支えていた手が肩へと滑ると 肩先近くまで開いた襟がするりとおりた

唇から離れた口が ”朋代” とつぶやくと

再び 私の肩先に口づけた

それも強く 
 
そして 胸元にも 刻印を打つような口づけ

いつも感情を抑制したような彼が

今 こんなにも私を求めている

すべてを 私のすべてを与えてもいい

そして 全身で私を感じて欲しい

今まで こんなに誰かを求めたことがあっただろうか

こんな激しさが私にもあったのかと 彼の愛撫を受けながら思った

 
静寂を破るような電話の音が響いた

その音は 私達を一気に現実に引き戻す

なかなか鳴りやまない呼び出し音



「電話 出た方がいいよ」 



電話の相手は兄だった



「連絡がないから心配したぞ 携帯にもでないし 飛行機はどうだった?」


「ごめん 携帯は電源を切ったままだった 飛行機 何とか着いたけどすごく揺れたの

到着時間がずいぶん遅れて いま帰り着いたところだったのよ」



なんなく口からウソが出る

電話を置いて 彼を見ると ソファーに座り 不安そうに手を組んで 

苦渋の顔がこちらをうかがっていた



「お兄さん?」


「えぇ……」



テーブルの上には 冷め切ったコーヒーカップがふたつ

メガネとともに並んでいた



「すまない……」


「謝らないで……」



彼の横に座ると 彼の唇に手を置き 言葉を遮った



「私も望んだことですから……」



彼の手が 私の手を優しく包んだ



「ここでお終いにしよう お兄さんの電話は 私達への警告だよ

誰が見ていなくても 見えない何かが 私達に働きかけたんだ」


「そうね 兄の電話がなかったら 私 このまま……やっぱりいけない事よね 

そんなこと 最初からわかってたのに」



感情に流されそうになった自分が確かにいた



「帰るよ」


「コーヒー 冷めちゃったわね ご馳走できなくてごめんなさい」


「残念だけど……」



お互いに目を合わさず ぽつり ぽつり 会話をかわす

彼はソファーを立ち上がり メガネをとると 振り向かずに玄関へと歩き出した

玄関ドアの前まで来ると ようやく私を見たが その目は 哀しげで いつもの優しさを失っていた



「明日から 元の私達に戻ろう」


「はい……」


「おやすみ」


「おやすみなさい」



ドアが バタンと音を立てて締まる

とたんに涙が溢れ出した 口を押さえていたが 声を抑えきれない



「桐原さん」



ドアの外から彼の声がした

私は ガチャリと玄関ドアの鍵を閉めた

次第に遠ざかる足音

そのまま どれくらい そこにいただろう

今夜は何もしたくない……

ベッドに身を投げ出し しばらく泣いていたが やがて 泣き顔のまま眠りについた



翌朝は いつもより早く目が覚めた

帰宅したままの部屋を手早く片付ける

テーブルの上には 彼が口をつけることのなかったカップが寂しげに乗っていた

顔に張り付いた髪をかき上げる

そういえば シャワーも浴びていなかった

熱めのシャワーを全身を浴びた

昨夜 彼が触れた部分に手をおいてみる

唇に 首に 肩に 胸に……

彼の名残を感じたかった 

首を振って それらの想いを振り払う

想ってはいけない人だから……

体を拭いて 何気なく鏡に目をやると そこには 彼の名残が映し出されていた

肩先と胸元に 血の滲んだような跡

振り払ったはずの 彼への想いが急激に蘇り 泣き腫らした目から また涙が溢れてきた




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