恋、花びらに舞う 6. 夏木立 (後編) 


予選当日の朝、和真の顔に険しさはなかった。

鏡の前で身支度に余念のない由梨絵に 「先に行く。ゆっくりおいで」 と伝える声は穏やかで、昨夜、由梨絵の息が絶え絶えになるまで抱き続けた荒々しさは微塵もない。



「私もすぐに行くわ。いよいよ予選ね、応援してる」


「うん……」



和真を気遣う由梨絵の唇に触れる余裕まであった。

その後、レース場についた由梨絵は、明るくふるまう和真の姿を目にした。

レース前の張り詰めた空気のなかで、チームメンバーの背中に手を置きながら笑顔で語り掛ける和真の様子に、マネージャーの酒井も満足そうである。



「ボディータッチの効果は絶大ですね。後藤先生が伝授したんですか?」


「伝授なんて、おおげさです。スキンシップは相手との距離を縮める方法ですと、そのように話したのは確かですけれど……」


「いまさらですけど、朝比奈さんと後藤先生は、その、恋人ってことでいいんですね」


「さぁ、どうかしら。彼、人気あるでしょう? フリーじゃないかも」


「前は知りませんげど、いまは後藤先生だけですね。後藤先生のいうことは、何でも聞くじゃないですか。あんな朝比奈さん、見たことありません」



練習中の事故以来ナーバスになり、自分を必要以上に追い込む和真に意見してからというもの、「ゆうは怒ると怖いからね」 と言いつつ、和真は由梨絵の言葉を素直に聞いている。

心身の緊張を解き距離を縮めるためにはスキンシップが良いと伝えると、片時も離れず、由梨絵の体のどこかに触れて過ごした。

緊張を解き甘える男を由梨絵は存分に甘やかした。

そのふれ合いが、和真に良い効果をもたらしたのは間違いないが、ふたりの親密さを酒井に見透かされたようで気恥ずかしい。

酒井が突然思い出したようなことを言いだした。



「あっ、ボディータッチじゃなくてスキンシップですね。どう違うんですか? スキンシップとボディータッチって」


「ボディータッチはスキンシップのひとつです」



非言語コミュニケーションともいわれる行為ですと、由梨絵はあえて堅い言葉を選んで答えた。

それが専門家らしく聞こえたのか、酒井はさすが後藤先生だなぁと何度もうなずいた。



「……あの、酒井さん」


「はい?」


「後藤先生と呼ぶのはやめてください」



えっ、と意外そうな顔の酒井へ、由梨絵は先生と呼ばれるのは大学だけにしたいのでと、今度は柔らかく伝えると、



「そうですか……じゃぁ、由梨絵さんと呼んでもいいですか」



由梨絵とそう変わらない年齢の酒井は、急に親しみを見せた。



「ダメだ」



背後からあらわれた和真に飛び上がるほど驚いた酒井は、「じょっ、冗談です」 と言うが早いか、その場から逃げ出した。



「名前で呼ばれるの、私は嬉しいけど……」


「後藤先生でいいじゃないか」


「あなたは ”ゆう” って呼んでるのに?」


「俺は……俺は監督だから」


「そんなの理由にならないでしょう」


「あいかわらず強引だな」



ふたりの会話に割り込んできた声に和真が素早く反応した。



「よお、きたな」


「おう、来てやったぞ」



遠慮のない会話はふたりの親しさを物語っている。

ふたりの親しさから、この場は遠慮した方がよいだろうと考えて立ち去ろうとした由梨絵へ、驚きと嬉しさが混じった声がかけられた。



「あっ、あなたは! こんなところで会うとは、いやぁ、驚いた」



日本からバルセロナまで、飛行機の隣の席にいた男性だった。

和真のレースの話をしていたため、レース会場で会うかもしれないと予想はしたが、まさかスタッフオンリーの場で会うとは思わなかった。



「レースの関係者ですか?」


「関係者ではありません。けど、顔パスで入れるくらい顔は知られています」



なにが顔パスだ、勝手に入ってきやがってと和真は言うが、口ほど責めてはいない、むしろ男性を歓迎している。



「あなたもチームメンバー?」


「いえ、メンバーではありませんけれど……」


「彼女はメンタルサポートトレーナーだ。レースに合わせて来てもらった」



由梨絵を紹介しながら、和真の腕は由梨絵の背をしっかり抱えている。



「ははっ、警戒するな。おまえさんの彼女を取ったりしない」


「そういうところが信用できないんだよ」



威嚇するように顔をしかめた和真を見ながら、男性は自己紹介をはじめた。



「日野智之です。朝比奈とは古い付き合いです。こいつの黒歴史も知り尽くしています」



黒歴史ってなんだよと声を荒げた和真に取り合わず、日野は由梨絵へ質問を向けた。



「あぁ、あなたが朝比奈がスカウトした心理カウンセラーですね。話は聞いています。

でも、名前は聞いてなかったな。名前を教えてください」


「後藤由梨絵です。日野さんは、毎年こちらへ?」


「えぇ、夏のレースは欠かさず観ています。由梨絵さん、こちらにはいつまでいますか?」


「10日間の予定です」



由梨絵と名前で呼んだ日野へ、和真はいよいよ怒りの声をぶつけた。



「ウチの大事なメンバーを気安く呼ぶな」


「由梨絵先生、これならいいだろう」


「だめだ、だめだ。ゆう、いくぞ」



由梨絵の腕をつかみ歩き出した和真を、周りのスタッフがおかしそうに眺めている。

日野は、面白いものを見せてもらったよと、顔なじみのチームメンバーへ声をかけて高らかに笑いながら、和真たちとは反対方向へ去っていった。

日よけのテントまで来て、和真の足は止まった。



「日野さんはあなたのお友達でしょう? お相手をしなくていいの?」


「いい」


「でも、せっかく日本から見に来てくださったのに。長いお付き合いなんでしょうね」


「日野は……昔の事故で亡くなった仲間の兄貴だ。付き合いは長い」


「そうだったの……」



和真はそれっきり口を閉じた。

こういうとき、無理に話を聞き出すのは逆効果である。

なにより、戦いを控えた男の心を乱すつもりはない。

テントが作る日陰は思いのほか涼しかった。

由梨絵は先に椅子に座り、続いて隣に座った和真の膝に手を置いた。

膝の上をゆっくりなでていく。



「いい風ね……レースが終わったら、市内を案内してね。

一応調べてきたのよ。教会や美術館、行きたいとことがいっぱいあるの。

ガウディが設計した建造物は見逃せないわね。

不思議な形状でしょう? 中はどうなっているのか興味があるわね……」



和真から返事も相づちもなかったが、由梨絵は思いつくまましゃべり続けた。



予選の成績は上々で、本選は和真が監督になって初の表彰台という華々しい戦績であった。

祝杯を挙げて部屋に戻った和真は、まだ興奮がさめないのかレースについて話が尽きない。



「つづきはシャワーのあとでもいい? 少し待ってて」


「待てない」


「待てないって、子どもみたいなこと、言わないでよ」


「一緒がいい」



その瞬間頬が染まった由梨絵に気がつきながら見て見ぬふりで、和真は由梨絵の手を引いてシャワーブースへ向かった。

それからは和真のペースだった。

シャワーのあいだもベッドでも、由梨絵は言われるまま、されるままだった。



「ピアス、取れよ。耳の後ろにキスが出来ないじゃないか」



そう言いながら、由梨絵がピアスをはずすのを待ちきれず、和真は耳に唇を這わせた。



「ピアスなんかしなくても、ゆうは十分にいい女だ」


「それ、あなたの口説き文句?」


「誰にでも言わない」


「じゃぁ、誰かに言ったんだ」


「だからなんだよ」


「あら、開き直るのね」


「ゆう……」


「なあに?」


「今年のクリスマスだが」


「まだ夏も終わってないのに、もう冬の予定? まっ、いいけど。

何もありません。12月は全部あいてます。だから……」



そこまで言って、由梨絵は言葉を止めた。

背中にいる和真の緊張が伝わってくる。



「だから、あなたの時間を、全部私にちょうだい」


「全部って、どれくらいだ」


「だから全部よ。レースはオフシーズンでしょう? 日本で……あなたの部屋か、私の部屋で過ごすの。

食事をして、話して、音楽を聴くのもいいわね。ずっと一緒にいましょう」


「わかった」



背中から抱きしめる手の強さを感じながら、由梨絵は幸せな気分に浸っていた。

この男を支えようと決めて、全力で和真に向き合うつもりで、彼の冬の時間が欲しいと口にしたのに、和真の腕に包まれて幸せな気分になった。

互いに求め合い支え合う関係は、由梨絵にこれまで味わったことのない快感をもたらした。

木陰で休みながら風を感じられるような、心地良い時間をふたりで持てたら……

和真の腕の中で体の向きを変えた由梨絵は、目の前の唇に近づき、甘く痺れるようなキスを贈った。



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2 Comments

K,撫子

K.撫子  

To まあむさん

おはようございます

拍手お礼ページ、すべてご覧いただきありがとうございます!
可愛いですか? 嬉しいです~♡

ようやく更新できました。
由梨絵がいることで、和真は自分を見せるようになりました。
もちろんまわりも気がついているでしょう(面白がってる?)
チャレンジャー酒井、いい仕事をしています(笑)
次回はふたりの冬です、今度こそ早めに……

2019/07/09 (Tue) 10:55 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます。
3種類の拍手ページ、拝見しました。
どれも雰囲気が違いますが可愛いです(^^)

お話の更新ありがとうございました。
今回の和真、言葉や動きが妙に可愛く感じました。
これだけ顕著な変わりっぷり、気づかない人はいないでしょ!
酒井さんチャレンジャーですよね~笑
ちょぴり心配させられましたが、仕事面でも信頼し合い
具体的な未来の話ができるまでに進展し良かったです。

2019/07/09 (Tue) 07:03 | 編集 | 返信 |   

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