雪の花守 -春の章- 7


陽菜子に遅れること三週間、冬を忘れたような暖かな日にブリュッセルに到着した五十嵐小枝子は、ふくよかな体を階段の手すりに預けながら額に汗をにじませていた。

「伯母さん、もう一息ですよ」 と声をかけた祐斗は、小枝子のスーツケースを両手に持ちながら颯爽とアパートの階段をのぼっていく。

駐車場から決して短くはない距離を歩いてきたため息はあがり、階段をのぼる足も重い。

若い背中へ 「先に行ってちょうだい」 と声をかけて踊り場で立ち止まる小枝子の横を、二人の男性が追い抜いて行った。

すれ違いざまに 「こんにちは」 と声をかけたのは年かさの方で、若い方は頭を下げただけである。

その様子で小枝子はふたりが誰であるかわかった。


「失礼ですが、周防様でいらっしゃいますか」


突然の呼びかけに二人が立ち止まり、小枝子と似たような年代の男性が階段をおりてきた。


「周防は私ですが……」

「五十嵐でございます」

「『五十嵐リゾート』 の?」

「はい。周防様、このたびは弊社に興味を持っていただき、ありがとうございます」


疲れた顔をさっとしまい込んだ小枝子は、顧客になるかもしれない周防へにこやかにほほ笑んだ。



着いた早々、周防と灰田を相手に契約内容の説明をおこない、てきぱきと仕事をこなす小枝子を陽菜子は頼もしく眺めた。

ホテル住まいは便利だが面白みがないという周防へ、陽菜子は 『五十嵐リゾート』 が扱う宿泊施設の長期滞在型プランを紹介した。

陽菜子が住むアパートには長期滞在のための部屋があり、自分の姉が代表を務める 『五十嵐リゾート』 が管理している、姉は近日中にこちらに来る予定であると伝えると、ぜひ話を聞きたいと周防から申し出があった。

今後も日本とベルギーを行き来するため拠点がある方が便利だろうと口にした周防は、陽菜子の話を聞いた時点でその気になった。

灰田の方は経費がかさむのではと難色を示したが、小枝子の熱心な話しぶりに徐々に気持ちが傾き、「残り一部屋です」 と聞いて、「ここに決めましょう」 と態度が一変した。

階段をはさんで、陽菜子の部屋と反対側の角部屋の仮契約を終えた周防と灰田が帰ったあと、身内だけになったとたん愚痴が飛び出した。


「駐車場は遠い、石畳は歩きにくい、このアパートは階段だけ。

レトロな雰囲気は悪くないけど、もっと便利で、エレベーターのある物件を探すべきだったわね」


「立地はいいのよ。里桜たちのお部屋にも近いから、私にとっては便利がいいの」


「そうだけど……」


陽菜子は満足していると言うのに、小枝子は納得のいかない顔である。


「伯母さんったら、周防さんや灰田さんには ”こんな条件のいいところはありませんよ” と言って勧めたのに。

ここって、不良物件なの?」


「里桜、不良物件なんて、よく知ってるわね。もっと良い条件の部屋があったかもしれないと思ったの。

私は階段が辛いけれど、陽菜子が満足なら問題ないでしょう」


「あと一部屋というのは、灰田さんを口説くための方便だったんですか?」


気負わず話しかける祐斗へ、小枝子の口も滑らかだ。


「残り一部屋はウソじゃないの。こちらに来る直前、キャンセルが出たのよ。

でも、陽菜子が周防さんを紹介してくれたおかげで、満室になって良かったわ」


空き部屋にしておくと経費がかかるからもったいないじゃないと、経営者の本音も飛び出して、身内だけの部屋に笑いが広がった。

そのとき、「あっ」 と里桜が苦痛をにじませた声をあげた。

心配そうにのぞき込む祐斗へ、「赤ちゃんが動いたの」 と顔をしかめると、小枝子まで不安そうな表情を見せた。


「おなかを蹴られるなんて、痛そうね。ねぇ、予定日が大幅に遅れたそうだけど、大丈夫なの?」


「予定日の修正はよくあるみたい」


「そう……でも、もう3月よ。男の子だったら雪の字を名付けるつもりだったのでしょう?

春なのに、雪はどうかしらね」


「そのときは 『行』 に替えるつもりだったけど、周防さんのお名前を聞いて迷ってるの」


祐斗と里桜は、男の子だったら 『雪斗』、女の子だったら 『ほの花』 と名前を考えていた。

誕生が3月であったら、『雪斗』 ではなく 『行斗』 と決めていたのに、似たような名前の人と関わり合うこととなった。


「周防さんのお名前、行人だったわね。ユキに縁があるじゃない。同じ字でもいいんじゃない?

あちらもご縁を感じてくださるでしょう。『五十嵐リゾート』 との契約も長く続けていただけそうよ。

周防さん、優良物件なんだから」


「優良物件って、どんなふうに?」


興味を持った里桜へ、小枝子は周防の会社について調べたのだと話をはじめた。

周防家は代々織物業を営んでおり、海外展開するようになってから業績を伸ばしている。

民族衣装手を手がけた中東で成功したのちヨーロッパに進出、まだまだ伸びるだろうということだった。


「周防さんは、古い考えにとらわれない、柔らかい思考の持ち主ね。経済誌の記事を読んだの。

若いころはバッグ一つで海外に出かけて、いろんな国を旅したそうよ。絵が上手で、いった先々の風景をスケッチしたんですって。

奥様を早くに亡くされて、それで料理も得意になったそうで、周防さんが作った料理の写真も載ってたけど、素人離れした盛り付けだった。

テーブルセッティングにもセンスがあるのよ。男性って凝り性だから、とことん追求するんでしょう」


祐斗さんもそうでしょう? と小枝子に言われて、祐斗は手を振って謙遜したが、里桜が 「そうそう、そうなの」 と大きくうなずいた。


「周防さんの代になって、傾きかけた家業を立て直したそうよ。お嬢さんはデザイナーで、お婿さんは数字に強い人みたい。

お父さまが開拓して、お嬢さんが盛り立てて、お婿さんが締める。同族会社だけど、バランスのいい会社だと思う。

法人契約だから私も安心よ。社長、いい人を紹介してくださいましたと、うちの社員にも褒められちゃった」


陽菜子のおかげよ、ありがとうと姉に頭をさげられて、陽菜子は面はゆい。

その気持ちが、陽菜子らしくない言葉になった。


「さえちゃんったら、やっぱりやり手だわ」


「やり手って……えぇ、そうよ。今頃気がついたの? 旦那が亡くなったあと頑張って大きくしたんだから。

だからね、この会社を継いでくれる人が必要なのよ。ねぇ、祐斗さん」


自分たちには子どもがいない、祐斗と里桜が頼みである、祐斗が跡を継いでくれたら安泰であると、もう何回も繰り返してきた話をまたはじめた。

考えさせてくださいとの祐斗の返事もいつもと同じで、この掛け合いはみなが顔を合わせたときの恒例の話題になっている。

いまはこうして冗談めかして話しているが、いつか真剣に考えなくてはいけないときがやってくるのだと、ここにいる誰もがわかっている。

荒木家の事業と五十嵐家の事業の、どちらも祐斗と里桜の肩にかかってくる。

そして、いずれはふたりの子どもに引き継がれていくのだろう。

その昔、荒木の養父母が由希也との結婚を許したのは、生まれてくる子は荒木家の跡取りとするとの取り決めがあったからだった。

思いがけず由希也は早世したが、その後生まれた里桜は荒木家の一人娘として育ち、もうすぐ子どもが生まれる。

その子が荒木家と五十嵐家を継いでいくことには変わりないが、もしも由希也が生きておりここにいたら、小枝子の言葉を聞いてどんな発言をしただろう。

聞いてみたいが、それは叶わない。


陽菜子の妊娠を聞いた時の由希也は、陽菜子の心配をよそに手放しで喜んだ。

すぐに結婚しよう、荒木のご両親が反対することはない、心配するなと不安な顔の陽菜子を抱きしめた。

そう言われても、ひとり娘の陽菜子には婿を取ることが決まっており、養父が許すはずはないと思われた。


「娘の幸せを祈らない親はいないよ。きっと許してくださる。僕にいい考えがある」


「どんな考え? 父を説得できるの?」


「あぁ、間違いなく説得できる。この子は、荒木家の跡取りにしますと言えばいい」


「えっ、でも、由希也さんは高辻家の長男なのに」


「紀明に息子が三人もいるから大丈夫。跡を継ぐのは僕らの子どもでなくてもいいのだからね」


「でも……」


子どものいない荒木家の跡取りとなるために養女となった陽菜子には、由希也の自由な発想をすぐに受け入れることはできなかった。

養父はそれで納得するだろうが、高辻家はどうだろう、反対されるのではないかと心配でならない。

由希也との結婚を反対するのは、荒木の養父母だけではないことを由希也はわかっていない。

10歳も年下の自分でもわかることを、賢い由希也がなぜ気がつかないのかと苛立ち、やがて悲しくなってきた。

唇をかみしめながら不意に涙がこぼれ、由希也は抱きしめた腕に伝った涙に驚いた。


「ひな、どうした」


「だって、荒木の父が許しても、高辻のご両親に反対されるかもしれないのよ」


「反対されたら駆け落ちだ。駆け落ちは古い時代の考えだな。僕らは、自由に結婚できる世に生まれてきたんだから、自由にさせてもらう」


「お家を出るつもり?」


由希也に家を捨ててふたりで生きていこうと言われたら嬉しいが、育ててくれた両親を見捨てることはできない。

京都にいる実父母にも悲しい思いをさせてしまう、そう思えば、いっそう涙があふれてくる。


「僕が荒木の家に入ればいいんだよ。それで丸く収まる」


「でも、由希也さんは長男なのに」


「高辻には次男の紀明がいる、荒木にはひなしかいない。うちの親も、僕が荒木の家に入ると言ったら許すしかないよ。

絶対うまくいくから、僕に任せて。この計画を成功させるポイントは、先に荒木のご両親に結婚の許しを得ることだ」


ふたりの結婚計画を楽しそうに話す由希也を見ながら、陽菜子ももしかしてうまくいくのではないかと思い始めた。


「生まれる子は荒木家の跡を継がせます。二人目は高辻姓を、三人目は荒木姓を、四人目は高辻と話をする」


「えっ、わたし、四人も生むの?」


「五人でも六人でもいいぞ。僕は子どもは多い方がいい」


「五人も六人もって、そんなの無理よ……」


「無理かどうかなんて、やってみなきゃわからない。それで、計画の続きだけど」


荒木の両親の許可をもらえたら、高辻の親はうんと言わざるを得ないだろう。

結婚前に子どもができたと知ってうろたえるのは男の親だからねと、由希也は片目をつぶった。


「嘘も方便ね」


「ウソじゃない。四人生まれるかもしれないじゃないか」


「そうなったら、由希也さんも手伝ってね」


「もちろん。いや、手伝うという発想が古いな。子育てはふたりでやるものだからね。

うまくいく、大丈夫だから」


由希也の言ったとおり、生まれてくる子は荒木家の跡取りにとの提案を陽菜子の養父母は受け入れ、高辻家の両親の反対もなかった。

その後の由希也の活躍は目覚ましく、結婚式の準備を整え、盛夏の式のための衣装を誂えた。

けれど、ふたりで子育てをすることなく由希也は逝ってしまった。

陽菜子に四人の子どもがいたら、どんな人生だっただろう。

ふと思い出した昔を振り返り、「もしも」 を描く空想は、祐斗が立ち上がったことにも気がつかないくらい楽しく果てしなく広がった。


「陽菜子……ひなこ……ひな」


「えっ、あっ、ごめんなさい。なあに?」


「もお、なによ、ひとりで笑って。楽しいことでもあった?」


「ふふっ、私ね、子どもを四人産むつもりだったの」


突拍子もない発言に、小枝子はもちろん祐斗も里桜も目を丸くしている。


「由希也さんと、里桜が生まれる前、そんな話をしたの。ひとり目は荒木の家の跡取りに、二人目は高辻の家、三人目は荒木姓に」


「四人目は高辻の姓を名乗るはずだったの? わぁ、お母さん、すごい覚悟だったのね」


「そうよ」


陽菜子はすました顔で返事をした。


「俺たちが叶えます」


祐斗の宣言に里桜が驚き、それから眉を寄せた。


「えっ、私、四人産むの? まだ一人も産んでないのに……」


あのときの自分もこんな顔をしていたのだろうと、陽菜子は里桜を優しく見つめた。

由希也とできなかったたくさんのことを、祐斗と里桜が叶えてくれるかもしれない。

そう考えるだけで楽しくなってくる。


「頑張りなさい。あなたたち、これから何でもできるのよ」


「伯母さん、人ごとだと思って」


「そうよ、人ごとだもの。あぁ、楽しみだわ。さぁ、まずは里桜の誕生日ね。

明日は盛大にお祝いしましょう。子どもが生まれたら誕生日どころじゃないでしょうから」


小枝子が仕事の都合をやりくりしてやってきたのは、明日の里桜の誕生日を祝うためでもある。

みなから預かったプレゼントはスーツケース一個を占領して、おかげで荷物が増えたのだとぼやいているが、小枝子のプレゼントが一番大きいことはみな知っている。


「ねぇ、いっそ明日産んだら? 誕生日が親子一緒なんて、ステキじゃない」


「そううまくはいきません。生まれる前はおとなしくなるみたいだけど、相変わらずお腹を蹴ってるから、まだまだ先だと思う」


「そうなんだ」


キッチンから芳ばしい香りが漂ってきた。

小枝子の歓迎会のために、祐斗が料理の腕を振るっている。

もうしばらくしたら、テーブルいっぱいに小枝子の好物が並ぶはずである。

由希也がここにいたら 「ワインは僕が選んだよ」 と、得意そうに言っただろう。

陽菜子は、里桜と小枝子の会話を聞きながら、今日何度目かの 「もしも」 を思い描いた。




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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

バレンタインプレゼントになり良かった~!
さっそくお読みくださいましてありがとうございます^^

小枝子、私も大好きです。
陽菜子の屈託も、小枝子の明るさが吹き飛ばします。
困難を乗り越えた人は強いですね。
辛い過去も静かに振り返ることができるようになりました。
陽菜子は、出産を控えた里桜を見ながら昔の自分と重ね、そのたびに由希也を思い出して空想の旅へ。
そして、嬉しい出来事ももうすぐやってきます。

ようやく更新できました。
次回は来週……
またおつきあいください。

2020/02/15 (Sat) 16:48 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます。
撫子さんからのバレンタインの贈り物ありがたく頂戴しました(^^)
前回の重い展開から、今回は未来に希望を持てる明るいお話ですね。
私、小夜子さんファンです。
思ったことをポンポン口にするも不快感を感じさせない朗らかさ、
ですから、これまでの苦労を知った時は驚きました。
初めて知る経営者としての手腕もお見事でした。
由希也さんの年上らしい頼もしさも素晴らしい!
陽菜子さんは幸せな時間を過ごせていますね。

2020/02/15 (Sat) 06:37 | 編集 | 返信 |   

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