【社宅ラプソディ 2nd season 】 1-2.梅ケ谷社宅に冬が来た
- CATEGORY: 2nd season
明日香にとってハロウィンは、さほど重要なイベントではない。
仮装して街を歩く若者の様子がニュースで流れても、「みんなイベントが好きなんだ。ハロウィンの次はクリスマスね」 と思うくらいである。
「子どもたちの行事へ、参加をお願いします」
二棟の住人である大友朱里がやってきたのは、ハロウィンを翌週に控えた日のこと。
仮装した子どもへ菓子を用意していただけないかとの頼みを、明日香は戸惑いながらも承知した。
朱里は、小学五年生と三年生の子どもの母親である。
ずっと前から楽しみにして、仮装にも力を入れている、ハロウィンを心待ちにしている子どもたちのためにご協力いただきたいと、熱心な頼みだった。
子どものためといわれて断る理由はないが、なにを用意してよいのかわからない。
こんなときに頼りになるのが、留学経験のある坂東五月である。
佐東の義母から届いた 「季節限定菓子」 を持って、五月の元を訪ねた。
「ウチも頼まれた。いいですよと返事をしたけど、思ったより大掛かりにやるみたいよ」
「大がかりって、仮装を?」
「仮装も、飾りも。大友さんの部屋の玄関の前、みた?」
五月のところに来る途中に通った朱里の部屋の前で、明日香が思わず立ち止まるほどにぎやかな飾りだった。
「窓ガラスにおばけの飾りとか、玄関の前もオレンジ一色でした。わたし、カボチャのランタンの実物、はじめて見ました」
「ベランダにもいっぱいあるんだから。あれでは洗濯物は干せないでしょう」
明日香が持参した 『オードリー東京限定缶』 を見た五月は、いつものクールな顔をしまい込んで大喜びした。
これは店に並んでもなかなか買えない菓子で、ネット販売もまれであると興奮した様子である。
以前は和菓子が好みだったが、妊娠してから洋菓子のクリームが恋しくなった。
嬉しそうに苺を巻いたラングドシャを頬張ったあと、五月が大友朱里について得た情報を語った。
「朱里さん、かなりイベント好きみたい。朱里さんが子供会の役員になってから、ハロウィンをやるようになったんだって」
一昨年は子供会だけの行事だったが、去年から仮装した子どもたちが菓子をもらうために家々を回るようになったらしいと、五月は顔をしかめた。
子どもたちに配る菓子は、どんなものを用意したらいいのだろうと五月に相談すると、大袋の菓子やキャンディーをあげると良いと聞いて、もっと高価な物を考えていた明日香はほっとした。
「おとなりの佐都子さんにも相談されたの」
五月の向かいの部屋の坂口佐都子は、明日香や五月と同じく今年越してきた住人である。
佐都子は五月よりいくつか年上で、物腰は柔らかく語尾に残る関西言葉が優しい印象である。
ひとり息子は大阪の実家から私立の中高一貫校に通っているそうだ。
佐都子の息子はハロウィンに興味はなく、自分たちも無縁だったため、社宅の子供会行事の対応に困っていると相談があった。
悩みは明日香と同じである。
「隣の町にお菓子の問屋さんがあるから、大袋のお菓子はそこで買えると、センター早水さんが教えてくれたの」
一緒に行かないかと誘われて、明日香は喜んで承知した。
翌日、明日香の運転で菓子問屋に出かけて、子どもが喜びそうな菓子を数種類買いこんだ。
その翌日、明日香と五月と佐都子、問屋を教えてくれた早水恭子、それから、どこからか情報を聞きつけた一棟棟長の小泉京子も加わって菓子の袋詰めをした。
そして、ハロウィン当日になり……
可愛く仮装して、「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ) ととなえる子へ菓子を渡して、無事にイベントは終了したのだった。
明日香たちは、訪問した子どもたちへ、「ハッピーハロウィン」 と言いながら菓子を渡すことも忘れなかった。
そして、ハロウィンの翌日、ゴミステーションにいた明日香たちへ、朱里から菓子の礼とともに思いがけない言葉があった。
「せっかくお菓子を用意してくださったのに、こんなことを言うのもアレなんですけど、同じ菓子ばかりもらっても、子どもたちも楽しみがないと思うんです」
子どもが、そろいもそろって同じ菓子をもらってきた、去年はいろんなお菓子があったのに、今年は大袋に入っている似たような菓子ばかりだった。
ハロウィンを楽しみにしている子どもの気持ちも考えてもらえたら嬉しかったと、丁寧な口調ではあったが、用意した菓子にガッカリしたと言われたも同じである。
衣装も母親たちが頑張って作った、家の周りの飾りつけもして精一杯雰囲気を盛り上げたのに、周りのテンションが低い。
これではせっかくの子供会行事も盛り上がらない、もう少し協力してもらえないだろうかと、朱里は切々と訴えた。
「そうですか」 と明日香はとりあえず返事をしたが、五月はクールな顔がさらに冷ややかになり無言で、佐都子は 「それは残念でしたね」 といたたまれない顔である。
「つぎはクリスマスです。ご協力、よろしくお願いします」
言いたいことを言うと、朱里は清々しい顔で去っていった。
「私たち、次はなにをするんでしょう。子供会の行事は、小学生のお子さんのいる家庭だけが参加するものと思っていました」
佐都子の眉は寄り、優しい顔が困っている。
「さぁ、サンタクロースにでもなるんじゃないですか」
五月の声は凍りそうな冷たさだ。
「五月さん、怒ってますよ?」
「怒ってない、朱里さんに呆れてるだけ」
「ですよね……」
「私、ちょっと聞いたんですけど、朱里さんのおうち、クリスマスイルミネーションがすごいそうですよ」
佐都子が聞いた話では、二棟の一階にある朱里の部屋の周りは、クリスマス前から新年まで電飾が飾られまばゆいばかりだという。
「朱里さんのところは道路側のお部屋だから、外側の壁にも飾り付けて、近所の人も見に来るそうですよ」
年々規模が大きくなっているそうだ。
「イルミネーターね」
「シュワちゃんの映画ですか?」
「それはターミネーター。ふふっ、明日香さんってやっぱりおもしろい」
五月がようやく笑顔になった。
「人が見に来るほど大掛かりな電飾をして大丈夫かしら。朱里さんのおうち、きっと暖房もできませんね」
人の好い佐都子は、寒いでしょうねと朱里の家の心配をしている。
「寒いのを我慢してでも、イルミネーションをやりたいのかもしれませんね」
何でも大がかりが好きなんですよ朱里さんはと、五月は冷たく言い放った。
「あっ!」 と明日香は思わず声をあげた。
「なあに?」
「もしかしたら……飾りつけを手伝ってほしいのかも」
「子どもたちが楽しみにしているから、私たちにも手伝えってこと?
ありえない……もし頼まれても、私は断る。なんでも子どもを理由にしないでよ」
もっとも、いまは手伝えないけどねと、五月は自分の腹部を見降ろした。
おなかを見つめる五月の目が優しいと思いながら、明日香は手伝いを頼まれたらどんな口実で断ろうかと考えた。
「手伝う義理はありません」 では、あまりにもあからさまである。
「電気関係は苦手なので」 はどうだろうと考えたが、荷物を運ぶだけでもお願いと言われたら断れない。
となると、朱里をひたすら避ける、それしかない。
その日から、明日香は朱里の姿が見えるとそそくさと立ち去ることにしたのだった。
まもなく朱里の部屋を中心に、周囲の飾りつけがはじまった。
それは、社宅はじまって以来の大騒動のはじまりだった。
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