【社宅ラプソディ 2nd season 】 5-1.異動の季節



 亜久里と明日香が 『小早川製作所 博多工場 梅ケ谷社宅』 にやってきて一年が過ぎた。

昨年春、名古屋から福岡に転勤になり、転居先は福岡市内から遠く離れた、とても博多とはいいがたい場所だったことに戸惑いもあったが、住めば都とはよく言ったもので、今ではすっかりなじんでいる。

一番近いスーパーマーケットまで数キロ、ホームセンターはさらに遠く、暮らしに車が欠かせない不便な地域ではあるが、周りには田園風景が広がり自然を近く感じられる所でもある。

社宅は子育て世代が多く、子どもの声がにぎやかに響く社宅の暮らしは落ち着かないと感じたこともあったが、いまはそんなこともない。

社宅敷地内には公園があり、小学校は社宅正門の向かい側、幼稚園は通園バスが社宅内まで来てくれるため、子育てには良い環境である。

越してきた当初は、なんて不便なところだろうと不満もあったが、今ではここに数年住んでも良いと明日香は思うようになってきた。

 社宅住民の顔もほとんど覚えて、会えば親しく挨拶をかわす。

ゴミステーションでの立ち話も日常になった。

そして今朝も、バドミントン少年団の保護者から気さくに声を掛けられた。

明日香が体育館で倒れて、それがつわりの兆候だったことがわかってから、体を気遣う言葉かけがある。


「おはよう。つわり、大丈夫? 食べられる?」


「おはよございます。はい、食べてます。ときどきフラフラするんですけど、これもつわりですか?」


保護者会代表を務め、三人の子を育てながら看護師の仕事もこなす宮城しおりは、経験も知識もあり頼りになる先輩ママである。


「気分が悪いのはつわりのせいだと思うけど、貧血かもね。明日香さん、体育館でも倒れたから、気を付けた方がいいよ」


「私も鉄剤を飲まされたなあ。あれ、ウンチが、ちょっとねえ……」


途中から会話に入ってきたのは知也の母親の正美だった。

以前はぎくしゃくしていた正美との関係も改善して、いまは普通に接している。

明日香の中で 『くそババア事件』 として記憶に残る騒動は、決して良い思い出ではないが、社宅の母親たちと結びつきを強くした出来事だった。

亜久里と明日香の指導対応に腹を立てた正美は、入ったばかりのバドミントン少年団をやめさせようとしたが、息子の反発にあって考え直した。

知也が母親に向かって叫んだひと言は、正美にとって大きなショックだった。

親子関係は修復しただろうかと明日香は密かに心配していたが、正美は男の子を持つ母親たちの話を聞いて気持ちが収まったらしい。

明日香が倒れた翌日、正美は亜久里と明日香のもとを訪れた。

昨日の騒動と失礼な発言を詫びたあと、少年団活動を続けたいと申し出があった。


「亜久里コーチ、少年団運営の講習会を受けたそうですね。しおりさんから聞きました。

経験もないのにとか、失礼なこと言ってすみません。これから、知也をびしびし鍛えてください」


亜久里はその言葉に恐縮しながら、知也君と仲直りできましたかと尋ねた。


「知也にくそババアって言われて腹が立ったけど、男の子にはよくあることだって、ほかのママ達が言ってました。

くそババアと言われたら、クソガキ、って言い返すのよと聞いて、ああ、そう言えばいいんだと思って。

しおりさんは、アンタはくそババアから生まれたんだよ、って言うそうですよ。息子に負けられるかって。


ふふっ、男の子を育てると口が悪くなりそう」


亜久里コーチも経験がありますかと言われた亜久里は 「どうだったかなあ」 と言葉を濁した。

今度、佐東の義母に会ったときにでも真相を聞いてみようと明日香は思っている。

あの上品な義母が 「クソガキ」 と言うはずはないと思いながら、言ったかもしれないと思うだけで楽しくなる。


「……そうなのよ。私も経験あるよ。トイレを見てびっくりしちゃった」


「えっ、トイレがどうなっちゃったんですか?」


『くそババア事件』 を思い出していた明日香は、しおりと正美の話を聞き逃した。


「だから、ウンチが真っ黒なのよ。明日香さんも鉄剤を出されたら、びっくりしないでね」


鉄剤でウンチの色が変わる、こんな情報も教えてくれる先輩ママたちの存在はありがたい。

明日香のマタニティーライフははじまったばかりである。



春は出会いと別れの季節である。 

3月末、『小早川製作所』 でも人事異動が発表された。

二棟棟長、早水恭子の夫が名古屋へ転勤となり、一家は先週末あわただしく越していった。

センター早水の代わりに二棟棟長になったのは、夫が課長職にある坂口佐都子である。

明日香と同じく妊娠初期の佐都子に棟長の仕事は負担ではないかと心配したが、佐都子は、


「つわりもないから大丈夫よ。五月さんの手伝いも、棟長のお仕事も頑張るつもり」


坂口課長の心配をよそに張り切っていた。

あらたに社宅に迎える家族の入居もはじまっている。

新入居者名簿の中に、明日香は知り合いの名を見つけて大喜びした。

名古屋の社宅で親しかった石田彩子の夫が、福岡工場に転勤になったと聞いたのは先週のこと。

彩子から電話があり、博多社宅に入れそうだと聞いていたが変更になったのか。


「石田さん、梅ケ谷社宅に入るんだね」


石田の転居先について亜久里は明日香より詳しかった。


「うん、今日、石田さんと電話で話した。博多社宅は抽選に漏れたらしい。

奥さんががっかりするかと思ったら、明日香に会えるって喜んだって」


「わあ、私も嬉しい、また彩子さんと一緒だ。石田さん、どこの棟に入るの? 聞いてる?」


「いや、聞いてない」


「部屋が狭くてびっくりするでしょうね」


「ああ、名古屋に帰りたくなるかもな」


「うん、そうだね。私も帰りたくなったもん。懐かしいなあ……もう一年ったんだね」


古く汚れた壁を隠すために、亜久里と苦労して貼った壁紙に目をやった。

五月から譲ってもらった壁紙はまだあまっている。

彩子にも分けてあげよう、ふすまははずした方がいいですよと教えてあげよう。

明日香は 『梅ケ谷社宅』 に住むコツをあれこれ思い浮かべた。

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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To fasutonneさん

こんにちは

石田彩子は、前シリーズでは名前だけの登場でした。
一年を経て異なる地で再会、ふたりの関係に変化はあるでしょうか。
明日香の理解者になるのか、台風の目になるのか……
引き続きおつきあいください。

2020/10/18 (Sun) 17:35 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

社宅暮らしも一年が過ぎ、明日香もすっかりなじんでいます。
良いことも辛いこともありましたが、それらは間違いなく糧になっているはず。
一時は気まずい思いをした正美との関係も修復、この出来事は正美にとっても良い経験になったことでしょう。
新入居者の石田彩子は、前シリーズでは名前だけの登場でした。
新年度のスタートです。
今年度はどんな出来事に遭遇するでしょう。
引き続きおつきあいください。

2020/10/18 (Sun) 17:32 | 編集 | 返信 |   

fasutonne  

おはようございます。

 彩子さんの登場、かつてのままの関係でいられるのか、一年の間に違いが生じているのか、興味津々です。

2020/10/18 (Sun) 10:21 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

こんばんは
こちらも更新頂きありがとうございます。
もう一年…早いですね。
思い返せば、良くも悪くも様々な経験をし、
間違いなくこの一年で成長したでしょう。
新たにこの社宅に越してくる彩子さん、
明日香ちゃんに再会して驚くかも知れません。
あんな騒動があったので心配ではありましたが、
きちんと謝罪に訪れた正美は立派だと思いました。
うやむやで終わるより気持ち的に違いますしね。
マタニティ生活となり、この先何が起きるのか楽しみです❤

2020/10/17 (Sat) 18:57 | 編集 | 返信 |   

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