【雪の花守】 -秋の章- 15
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週末の朝、陽菜子は着付けに追われていた。
フォーマルな席や会食など着物を着る機会を考えて一通りのものは持参していたが、茶会で着るとは思わなかったとひとりごとを言いながら鏡を見た。
帯には赤と緑に金糸の刺繍があり、どこかクリスマスを連想させる面白みがある。
「遊び心のある柄もいいと思うよ」 と、『万喜の』 の太一郎に勧められて作った一本である。
形よく仕上がった帯を確認したあと、小物をもって周防の部屋へ向かった。
男性の着付けは久しぶりで上手にできるだろうかと不安もあるが、「陽菜子さんが頼りです」 と言ってくれた周防の期待に応えられるよう頑張るだけである。
胸に手を当てて気持ちを落ち着かせたのち扉をノックした。
昨日から二日間の予定で 『煎茶道 白羽流』 海外茶会がブリュッセルで催されている。
その手伝いを頼まれたのは一昨日のこと、『白羽流』 若宗匠の赤羽裕伸がみずから陽菜子のアパートを訪ねてきた。
昨年の夏、日本を紹介するイベントの茶席で里桜と知り合った赤羽は、里桜の従兄弟 『高風流』 若宗匠の高辻壮介の友人であり、煎茶道連盟内の揉め事で 『高風流』 が苦境に立ったおり、なにかと力を貸してくれた人物である。
里桜の結婚式にも出席して、昨年は新婚の妻と一緒にこちらに立ち寄るほど里桜と親しい付き合いがあり、『白羽流』 が今秋ブリュッセルで催す海外茶会の手伝いを頼みたいと、早々に里桜に申し込んでいた。
ところが、里桜は授乳中のため着物での手伝いはできなくなった。
かわりに水屋の手伝いを申し出て、娘の世話は祐斗にまかせて昨日から茶会に参加している。
陽菜子が赤羽と会ったのは何度もないが、里桜からたびたび話を聞いていたこともあり親近感があった。
「里桜ちゃんのお母さんがいらっしゃると聞いて、これは天の救いだと思いました」
茶会二日目の人手が足りなくなり困っている、ぜひお力をお貸しくださいと言われて断る理由はない。
経験があるとはいえブランクも長く忘れていることも多い、ほぼ初心者である、たいした助けにはなりませんがそれでも良ければと返事をした。
「茶会でお運びをされたばかりだそうですね。お願いしたいのはお運びです。
それから、高辻のおじさんから、周防さんにも声を掛けてはどうかと言われました。
織物の知識があり、語学も堪能な方と聞きました。一緒にお手伝いをお願いできないでしょうか」
『高風流』 や里桜が世話になった赤羽の力になるつもりでいるが、周防にまで声がかかるとは思ってもみなかった。
陽菜子の一存でできる返事ではない。
赤羽とともに周防の部屋を訪れて、無理にとは言いませんがと前置きして用件を伝えると、
「高辻先生の推薦では断れませんね。ぜひお手伝いさせてください」
快い返事があった。
赤羽が喜んだのはいうまでもない。
そして、着物や道具は持ち合わせていないという周防のために着物とほか一式も用意されて、着付けは陽菜子が引き受けることになった。
「お運びの手順は覚えているつもりですが、戸惑ったら助けてください。陽菜子さんが頼りです」
「周防さんなら大丈夫ですよ。でも、本当によろしいのですか。巴さん、陣痛が始まったそうですけれど」
周防の娘の巴は、昨夜陣痛が始まり入院、出産のときを迎えている。
遠く離れた地にいるとはいえ、ひとり娘の出産は気がかりだろう。
赤羽の必死の頼みと高辻の口添えがあったため手伝いを断れなかったのではないかと、陽菜子は密かに案じていた。
「部屋でじっとしているより、動いている方が気が楽です。余計なことを考えないためにも、その方がいいと思いましてね」
巴は死産を経験、周防の妻は出産後まもなく亡くなっている。
余計な不安を抱えないためにも、体を動かしていたいと思う周防の気持ちは痛いほどわかる。
「巴さんの様子は、灰田さんから祐斗さんへ知らせていただきましょう」
陽菜子の言葉に、周防はゆっくりうなずいた。
茶会では落ち着きのある所作と堂々とした周防の袴姿は目を引き、声を掛けられることも多かった。
言葉に不自由のないことから客の質問にも気軽に応じ、どの席も周防の周りに人が集まっていた。
「周防さん、貫禄ありますね。僕が答えるより、よっぽど様になっている。高辻のおじさん、いい人を紹介してくれたなあ」
赤羽は心からそう思っているようで、流派替えしませんかとどこまで本気かわからないことを言って周防を困らせたりもした。
知らせがもたらされたのは、すべての席が終わったあとだった。
「赤ちゃんが生まれました。男の子です。巴さんもお元気です」
お嬢さんの様子が気になるでしょう、先にお帰りくださいとみなに言われても首を振り熱心に片づけに加わる周防に、祐斗は大声で吉報を伝えた。
手にしたスマートフォンには、出産直後の巴と生まれたばかりの男児が写っており、『お義父さん、生まれました』 と灰田の涙声がスピーカーから流れてきた。
『お父さん、わたし、頑張ったよ。私も子どもも元気だから安心して』
嗚咽する灰田の声と巴の力強い声が届き、周防を囲んだ人々から拍手と祝福の声が上がり歓喜に包まれた。
『灰田さん、あとで赤ちゃんの動画を送ってください』
祐斗は動画を別に送信してくれと言ったつもりだった、ところが、
『あっ、そうか。すぐ送ります』
灰田はビデオ通話に切り替えた。
生まれたばかりの男の子の画面が映し出され、周防は食い入るように見入った。
『うん、うん……よく生まれてきた。ありがとう……巴もよく頑張った』
そのあと、巴の顔のアップが映し出された。
『ちょっと待って、どうしてビデオ通話にするのよ。撮らないでって』
『巴、顔を隠すなよ』
『いやっ、こんな顔、恥ずかしいじゃない。やめて』
『ほら、こっちを見て。ライブ映像は臨場感があるだろう。巴と息子の顔、お義父さんに見せたいじゃないか』
『やめてっていってるでしょう。化粧もしてないし、髪もぼさぼさ、やつれた顔なんて見せたくないの。光彦、キライ』
『キライって、あんまりじゃないか。僕はお義父さんのために』
『私が嫌だって言ってるでしょう』
電話の向こうで夫婦喧嘩がはじまり、周防に 「全部こっちに聞こえてるぞ」 といわれてふたたび通話だけに戻った。
巴は出産後の疲れた顔ではあるが、声には勢いがあり相変わらず威勢がいい。
周りから 「おめでとうございます」 と声がかかり、
『ありがとうございます。お見苦しいところをお見せいたしました』
周防は目を潤ませながら祝福の声に頭を下げた。
『みなさん、ありがとうございます。お騒がせしました』
電話の最後は巴らしい言葉だった。
イルミネーションに彩られた広場には多くの店が並び、光のショーや観覧車、スケートリンクもお目見えして大変な賑わいである。
茶会のあと、陽菜子たちは予定通り夜の街にでかけた。
いつもは早々に閉まる店もクリスマスシーズンは特別で深夜まで営業する店もあり、ヴァンショー(ホットワイン) や料理を堪能する。
クリスマスマーケットは誰もが楽しみにしている行事である。
「文豪ヴィクトール・ユーゴーが 『世界で最も美しい広場』 と称賛したそうですが、これは、素晴らしい」
昼間とは様相が一変した広場を目にした周防は感嘆の声をもらした。
「周防さんは世界中を旅行されたそうですが」
どこの国が印象に残っているかと尋ねた祐斗の腕の中のほの花も興奮した様子で、「おー、おー」 としきりに声をあげている。
「ヨーロッパのクリスマスシーズンは、どこも見ごたえがありますね。でも、ここは格別輝いて見えるなあ」
「今日は周防さんにとって特別な日ですから、世界が輝いて見えるのでしょう」
観覧車を見上げながら陽菜子がもらした言葉にうなずいた周防は、「また届いた」 と嬉しそうな顔をした。
一時間おきに灰田から巴親子の動画が届き、それを飽きずに見つめる周防はとろけそうな笑顔である。
「ほの花が興奮して寝られなくなりそうだから、私たち、先に帰るわね」
お母さんと周防さんはごゆっくりと言い残して、里桜たちは帰っていった。
周りの喧騒と煌びやかなイルミネーションのせいか、二人きりになる気まずさはなかった。
周防と肩を並べて歩いても気に留める人はいない。
光と音が醸し出す非日常の景色と異国の地にいる解放感は、陽菜子が日ごろ感じたことのない感覚だった。
なにか食べますかといわれてうなずくと、周防は慣れた様子で屋台で買い物をして陽菜子に差し出した。
温まりますよといわれてホットチョコレートを口に運んだ。
「おいしい……」
「よかった。これもどうぞ」
パンをとけたチーズに浸してと言われて、陽菜子は周防の手からパンを受け取った。
屋台の料理を立って食べるのは、陽菜子にとって初めての経験だった。
「クリスマスマーケットの雰囲気もごちそうですね」
周防の言う通りである。
ホットチョコレートとパンは極上の味がした。
「観覧車に乗りませんか」
「乗ったことはありませんので……」
唐突な提案に迷っていると返事をしたつもりだったが、それを了解と受け取ったのか、周防の手が陽菜子の背中を押して歩き始めた。
「高いところから街を眺めましょう。僕は行った先の街で高いところにのぼるんです。違った景色が見えますよ。
教会の鐘の塔とか、城壁に、それから……」
観覧車に近づくにつれて混雑は増し、人の波にさらわれまいと周防は陽菜子の手を取り、その口は止まることなく動いている。
周防の手が触れて驚きはしたが、決して嫌ではなかった。
握られた手に導かれて歩いたのは、どれほど昔だっただろう。
大きな手に守られる安心感があると同時に、わふわと浮いたような感覚に包まれた。
その感覚は懐かしいような気もするが、はじめてのようでもある。
「もうすぐですよ」
頭上からの声に大きくうなずき、陽菜子は握る手に力を込めて観覧車をめざした。
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