【雪の花守】 -夏の章- 7


グレーのパンツスーツに大きめのバッグを肩にかけた千春は、首元にさり気なくあしらったスカーフが洒落ている。

陽菜子のワンピースとスプリングコートとは対照的な装いだった。

トレンチコートがよく似合いですねと、陽菜子に装い褒められて、


「私はこの格好が一番落ちつくの」


はにかんだ顔には、かつて部長として大勢の部下を率いていた頃の自信も覗えた。


「久しぶりに買ったけど、種類が増えてびっくりしちゃった」


そういって千春が差し出した袋に、ペットボトルとおにぎりが透けて見えた。


「デザートも充実して、つい買っちゃった」


カロリーオーバーだわと言いながら、買い物を楽しんだ顔である。

陽菜子には昼食を買うという発想はなかったため、千春の行動は新鮮だった。


「陽菜子さんのお弁当はお手製でしょう。いいなあ。私、家事が苦手だからお弁当作りはムリだけど」


早起きは得意なのよという千春は、今日もジョギングをしてきたそうだ。

仕事を辞めたあと生活のリズムを崩さないためにはじめたジョギングのおかげか、千春の体は下半身太りで悩む同年代の女性たちに比べて引き締まっている。


「周防さんも毎朝ジョギングをしているんですって。休日は皇居の周りを走るそうよ」


「わざわざこちらまでお出かけされるなんて、熱心ですね」


「周防さんのお住まいは、『高風流』 支部会館の近くのマンションですって」


千春は何でもない顔で陽菜子に語った。

巴さんの大学進学と同時に実家を出て、それからおひとりですってとつづけた千春は周防の事情に詳しかった。

陽菜子が知らないことばかりだ。


「文さんの紬に合う帯を、周防さんに見立てていただいたの」


紬に見合う帯を探しに 『呉服 万喜の』 へ出かけたとき、仕事で来店した周防に相談した。

そのあと、ふたりで 『角野珈琲館』 へでかけて、そのまま食事も一緒にしたという。


「周防さんの行きつけのお店に連れて行ってもらったのだけど、学生の頃に世界中を歩いたお話しとか聞いたのよ」 


千春と周防がふたりで会って酒を飲みながら楽しく食事をしたと聞いて、陽菜子の胸はざわめいたが、千春はそんなことに気づくはずもない。

沈んだ思いを抱えたまま、目的地までの時間を過ごした。

織物講習会の参加者は陽菜子と千春を入れて5人、4人が初心者で、経験のある陽菜子は別室に連れていかれた。

陽菜子の指導者は周防映子で、一対一の丁寧な指導に陽菜子も熱心に向き合い、初回はあっという間に過ぎて疲れはあったが心地良いものだった。

ほかの4人の講習は座学で、講師は周防が務めていた。

昼食時は、講習に参加した5人と周防親子も一緒にテーブルを囲んだ。

包みを開いた陽菜子の弁当に声をあげたのは千春だった。


「わあ、きれいに詰めて、美味しそう。陽菜子さん、朝から頑張ったわね」


ほかの3人と映子も陽菜子の手元を覗き込んで、それぞれ感心しながらうなずいた。


「私はコンビニで選んだだけです。朝、苦手な料理に手間を掛けるより、買ったほうが時間を有効に使えると思って」


作れない言い訳ですけれど、と恥ずかしそうに肩をすくめた千春へ、周防が優しい顔を向けた。


「時間を買った、賢い選択だと思います。時間の有効活用ですね」


「あら、褒められちゃった」


千春のひとことに、みんなが一斉に笑った。

陽菜子も笑顔を浮かべていたが、心の片隅には悲しい思いが滲んでいた。

手間暇かけて作ったことを周防に否定された気がしたのだった。

弁当作りに時間をかけた陽菜子を否定した発言でないことはわかっているが、それでもやりきれない。

もう少し学びたいことがあるから帰りの電車を遅くしたいと千春に言われて、「すみませんが、私はお先に失礼します」 といってしまったのは、陽菜子の中に鬱々としたものがあったからだった。


「今日は会社に車で来たので、帰りは送りますよ。それとも運転手さんが待っていますか」


周防の申し出にも 「予定がありますので」 と断った。

運転手がいなければ、帰れないと思われているのもいやだった。


「高辻先生ですか」


「えっ……」


「いえ、なんでもありません」


なぜここで紀明の名前が出てくるのか、周防に言われた言葉の意味が分からない。

陽菜子の怪訝そうな顔を見ないように周防はさっと背を向けた。

工房から最寄り駅まで徒歩で数分の距離を、陽菜子は悶々とした思いを抱えて歩いた。

千春を置いて帰ったこと、周防の誘いを断ったこと、いずれも陽菜子の卑屈な思いがそうさせたのであって、千春も周防も悪くない。

自分の心の狭さが嫌になるが、かといってあの場で余裕のある振る舞いはできなかった。

都内へ向かう電車の中でも、ではどうすればよかったのかと考えるけれど答えは出ない。

降車駅が近づき、電車の遅延を知らせる車内アナウンスに気がついた。

送電線のトラブルで、各路線に遅延が発生している、駅の乗り換え案内に従ってくださいと、繰り返し伝えていた。


「あっ、アプリ」


ひとりごとが出て、スマートフォンを取り出して検索したが 「調整中」 の文字が表示されている。

トラブル時には乗換案内は頼りにならないと言った、小枝子の言葉が頭をよぎった。

いま、まさにその状態だった。

駅について電光掲示板を見ても、情報が目まぐるしく変わり、どこへ向かってよいのかわからない。

『タクシー乗り場』 の案内板を見つけて、そちらへ足を進めたが、すでに長蛇の列ができていた。

一瞬、小枝子の顔が浮かんだが、昨日から地方に出かけて留守だったことを思い出した。

頼れるのは自分だけ、そう思ったら不思議と元気が出てきた。

乗り慣れないものですからと先に述べて乗り換えを尋ねた高校生は、戸惑い顔の陽菜子に同情したのか丁寧に教えてくれた。

それを二度、三度繰り返し、中には不愛想にあごだけしゃくって行先を教えてくれた人もいたが、それでもどうにか自宅近くの駅までたどり着いた。

駅を出ようとして雨が近い空気を感じたが、タクシー乗り場はここでも長蛇の列で、陽菜子は急ぎ足で家に向かった。

まもなく細い雨が降り出して肩を濡らしはじめ、やがて強い降りとなった。

陽菜子は髪から落ちる雫で濡れる手で玄関の鍵を開けた。

入浴しても体は温まらず、ホットドリンクを飲み、複数件の電話の着信にも気がつかずベッドに入った。

悪寒で目が覚めたのは朝だった。

起きあがろうとするが、力が入らない。

電話の着信に気がつき、枕もとの電話に手をのばした。

里桜からだった。


『おはよう。起きてた?』


『おはよう。いま起きたところ。おばあちゃんたち、元気にしてる?』


『元気よ。お母さんに早く知らせようと思って。あのね、二人目の赤ちゃんが秋に生まれそうよ』


妊娠の兆候があったため病院に行ってきた、間違いないと言われたと里桜の声は明るかった。


『まあ、よかったわね。ほの花ちゃん、秋にお姉ちゃんになるのね』


『そう……お母さん、声に元気がないけど、大丈夫?』


『少し風邪気味だけど、大丈夫よ』


『美子さん、今日はいらっしゃるの?』


『さあ、どうだったかしら』


『やあね、本当に大丈夫?』


今日は家政婦の美子が来る日だったか、そうでないのか思い出せない。

二人目の妊娠を伝える里桜からの嬉しい報告を、熱っぽくなった体を小さく丸めて聞いた。

それからの三日間を、陽菜子はベッドの中で過ごした。

桜の季節はすぐそこまで近づいていた。


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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

自由を満喫するには、ほど遠い一日になりました。
言葉のあやを消化できず、さらにはイレギュラーな帰り道、陽菜子にはハードルの高いことばかり。
落ち込む陽菜子に届いた里桜からの良い知らせが、唯一の救いでしょう。
今後、うしろ向きになるか、前に進むのか。
この一日は、陽菜子の内なる強さが試される出来事だったのかも……


2021/09/17 (Fri) 16:46 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

こんばんは
あれだけ、自由になる喜びで胸を弾ませていたのに、
早くもダウンしちゃいましたね。
確かに千春も周防も悪いとは言えないけど、
気落ちしちゃうようなことが、こんなに一気に
襲ってきては気が滅入りますよ。
唯一良いことが二人目の連絡…
でも、気が晴れるとは言い難いでしょうね(-_-;)

2021/09/16 (Thu) 17:28 | 編集 | 返信 |   

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