【ボレロ 第三部 疑惑のファイル】 -赤と青- 1



赤い服の似合うその人にはじめて会ったのは昨年の夏、東北出張の帰りに立ち寄った、フランス菓子が評判のパティスリー 『杜の蔵』 だった。

甘味を好む男性だけが集う 『水一倶楽部』 から、宗が土産に持ち帰った 『杜の蔵』 の焼き菓子に魅了された私は、秋田へ出かける機会があったら、必ず立ち寄ろうと決めていた。

前夜は遅くまで接待があり、ホテルに帰ったのは夜10時過ぎ、翌日は夕方までに東京に着く予定になっており、新幹線の発車時刻まで時間がある。

同行した秘書に断って先にホテルを出て、限定品のタルトを求めるために開店を待つ列に並んだ。

店主のこだわりが込められた限定品のタルトは、ここでしか手に入らない。

私の前に並ぶのは20数人、順番が来る前に完売になるかもしれない不安を抱えながらじっと待った。

前に立つ人は、レースがふんだんにあしらわれた、ダークレッドのブラウスを着た女性だった。

じっと見つめるのは失礼と思いながら、列に並ぶのをさいわい、彼女の装いに目を凝らした。

くすんだ赤がレースの甘さを抑えて、上品な大人の雰囲気をかもしだしている。

黒いバッグには緻密な刺繍がほどこされ、縁取りのレースも凝ったものだ。

少しずつ足を進めながらも、その人の後ろ姿に見入っていた私は、「お客さま」 と声を掛けられてあわてて顔をあげた。


「申し訳ございません。こちらのお客さまで完売となりました」


「そうですか。残念ですけれど……それでは……」


うしろに並んだ人々は、その声を聞くと足早に立ち去ったが、私は諦めきれない。

『杜の蔵』 の菓子を楽しみに待っている家族のために、ほかの菓子を選び始めたとき、赤いブラウスの人が振り向いた。


「よろしかったら、半分お譲りいたしましょう」


「ご親切にありがとうございます。せっかく並んでお求めになられたのですから、どうぞお持ちください。

私は次の機会にまいりますので」


遠慮する私へ、その人は重ねていった。


「そうおっしゃらず。美味しいものは、みなさんでいただきましょう」


みなさんでいただきましょうと言われて、気持ちがほぐれた。


「ありがとうございます。それでは、ひとつちょうだいいたします」


「半分をこちらの方へ」


「それでは申し訳ありません」


私たちのやり取りが聞こえたのか、奥から男性があらわれた。


「こちらを作りました、守倉でございます。お客さま、ありがとうございます。

お名前とご住所を伺ってもよろしいでしょうか。お譲りくださった数だけ、のちほどお届けいたします」


守倉さんの申し出に、赤い服の女性は微笑みながら顔をふった。


「東京から参りました。こちらは、地方発送はなさいませんのでしょう。

私も、次の機会にまいります。そのとき頂戴いたします」


深く頭を下げた守倉さんへ穏やかに微笑んだその人は、支払いを済ませると、私へも会釈して店をあとにした。


「気持ちの良い方ですね。おかげで、私もいただくことができました」


「『杜の蔵』 を愛してくださるみなさまに支えられております。ああ、今日は良い日になりそうです」


「本当に……」


守倉さんとの心が和む会話の途中、奥から切羽詰まった顔が走ってきた。


「『エレガンスベニー』 さんから大口の注文が入りました。返事はどうしましょう。

このまえも断ったのに、どうにかならないかって」


大量注文はお引き受けいたしかねますと伝えましたが、そこを何とかと言われてと、若い店員は困り果てている。

『エレガンスベニー』……どこかで聞いた名前だったが、思い出せない。


「とにかく、申し訳ございません、お引き受けいたしかねますと言って押し通せ。

あっ、見苦しいところをお見せいたしました」


「いいえ……」


守蔵さん柔和な顔は、苦悩でひずんでいた。



買い物を終えて 『杜の蔵』 を出ると、秘書の和久井さんが待っていた。

タクシーに乗り込んだあと、ご希望の限定品がありましたかと聞かれて、さきほどの出来事を語った。


「せっかく素敵な方がいらっしゃったのに、電話で台無しですね。『杜の蔵』 さん、お断りできたでしょうか」


和久井さんは守倉さんを案じた。


「大量生産をするつもりはないのですって、できませんとおっしゃるでしょう。

和久井さんは 『エレガンスベニー』 をご存知?」


知っていますと返事は早かった。


「レースを豪華に使ったランジェリーが主力商品の会社です。見せる下着を意識して作られたものばかりで、20代から40代まで、広い世代に人気がありますね」


室長は 『エレガンスベニー』 の路線をお考えですかと聞かれて、さっきの大量注文の会社だと伝えると、和久井さんは驚きを隠せない顔をした。

『SUDO』 の宝飾部門を離れても、私の肩書は室長ままだ。

現在 『新規事業準備室』 に在籍して室長を務めている。


「あちらはレース使いのランジェリーが主力なのね。ウチは機能的な路線で行くつもりだけれど」


「……大量注文とおっしゃいましたね」


「ええ、それが?」


「『エレガンスベニー』 に、新ブランド立ち上げの噂があります。『杜の蔵』 の注文は、お披露目会で配るスイーツかもしれません」


すでに人気ブランドで多くの愛用者を持つ 『エレガンスベニー』 は、いままた一歩先に行こうとしている。

しかし、『SUDO』 が目指すランジェリーとは一線を画すもので、意識する必要はない。

ライバルになることはないと気楽に考えていた私の前に、和久井さんがタブレットを差し出した。


「『エレガンスベニー』 の企業案内です。こちらは、富樫紅さんが立ち上げたブランドです」


和久井さんの指がめくるページを目で追った。

思わず息をのんだ。

『代表 富樫紅』 と名前が載った画像の人を私は知っている。


「美味しいものは、みなさんでいただきましょう」


私へ気遣いを見せた姿と、会社のために無理な要求をする姿勢、どちらが彼女の本質なのか。

富樫紅という人物に興味がわいてきた。

車窓から夏の景色を見ながら、これからやるべきことを考えた。


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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

楽しみに待ってくださって嬉しいです!
いつもコメントありがとうございます^^

珠貴が出張先で出会った赤い服の女性、良い印象を持ったあと、真逆な印象もあり。
今後、富樫紅と関わっていくことになりそうです。
次回は青い人が登場します。

またおつきあいください。

2022/01/20 (Thu) 16:22 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

こんばんは
タイミングが良かったみたいですね~
待ちに待った更新に声が出ちゃいました(〃艸〃)

ずいぶん凝った衣装…しかも赤。
お似合いだったのでしょうね~
良い印象を持っただけに、なんとも不可解です。
これから本格的に関わることになるのかしら?
ますます楽しみになりました。

2022/01/19 (Wed) 18:48 | 編集 | 返信 |   

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