【ボレロ 第三部】 -赤と青- 2



「このタルトを譲ってくれたのが、『杜の蔵』 に無理な注文をした会社の代表だったのか」


土産を楽しみに私の帰りを待っていた宗へ、紅茶を淹れながら今朝の一連の出来事を語った。


「守倉さんは富樫さんへ、私に譲った数だけお届けしますとおっしゃったのよ。

でも、富樫さんは 『杜の蔵』 は地方発送はしないはずだから、次の機会にいただきますって遠慮されたの。

そんな気くばりのできる方が、強引な注文をするとは思えなくて」


「会社のトップが注文したとは限らないよ。そもそも、菓子の手配までするだろうか。

『杜の蔵』 に電話をした担当者が、強気の態度を取ったと考えるほうが自然だよ。

実際、その富樫って人は電話の直前まで珠貴と一緒にいたんだろう? 

店を出てから電話できないこともないが、その場で直接注文した方が早いじゃないか」


「そうかもしれない。でもね、『エレガンスベニー』 は、社長の意向が大きく反映される会社ですって。

会社のことは、すべて目を通さなければ気がすまないそうよ。

『杜の蔵』 に電話をしたのは富樫さんではないかもしれない。けれど、彼女の指示だってことでしょう?

ますますわからなくなったわ」


帰りの新幹線の中で秘書の和久井さんは、『エレガンスベニー』 と富樫紅さんについて、調べられるだけ調べた。

富樫紅さんがワンマン経営者であるという評判は、そこで得た情報である。

考える顔になった宗に 『エレガンスベニー』 の企業案内ページを見せた。

タブレットを覗き込んだ目が名前に注目した。


「来年創業20周年か、イベントの年にふさわしいね。新ブランド立ち上げの噂は本当だろうね。

学生時代に起業したってことは、40歳前後だな。富樫紅……紅だからベニー、なるほどね。赤にこだわりがあるようだね」


タブレットの中の富樫紅さんは、赤いジャケットを着ていた。


「世間の評判と珠貴が感じた印象の落差が大きい。富樫代表に二面性があるのか、気まぐれでタルトを譲ったのか……」


「そうは見えなかったけれど」


振り向いたときの顔、私を気遣う声、それらは富樫紅さんの心から出たもので、気まぐれの親切にはとても思えない。


「とにかく、タルトはありがたくいただこう。名前も顔もわかっている。いつかどこかで再会したら、礼を伝えて」


「ええ、あなたもね」


交流範囲の広い宗のこと、どこかで彼女に会う機会があるかもしれない。

空になった宗のティーカップに紅茶を入れながら、テーブルサイドの紙袋が目に入った。

『ミクモ』 の文字が見えて、「これは?」 と尋ねる前に宗が口を開いた。


「忘れるところだった。美那子さんから君にと頼まれた。

夕方、美那子さんが直接届けてくれたんだよ。一刻も早く君に渡したかったらしい」


あの人はせっかちだからねと、笑いながら渡された袋を受け取りながら、一週間前の光景を思い出した。


「あっ」


「なに?」


「いえ、ちょっと思い出したことがあったの……ありがとう。美那子さんにお礼を伝えおきます」


このとき、『エレガンスベニー』 の名前をどこで見たのか思い出した。

あれは、美那子さんに紹介された会社を尋ねたときのこと、応接室に隣接する棚に 『エレガンスベニー』 のロゴが入った袋があった。

女性下着を扱う会社にしては殺風景な事務所の中で、華やかなデザインのパッケージは目を引いた。

あそこに富樫紅さんも出かけたのだろうか……

根強い人気があり、素晴らしい縫製技術を持つ会社に注目したのは、うちだけではないということ。

『ミクモ』 との交渉に力を入れなくてはと思った。



良い下着があると教えてくれたのは、沢渡総合病院副院長を夫に持ち、自らも会社を経営する沢渡美那子さんだった。

夏休みを控えたある日の午後、我が家の庭に面したテラスでおしゃべりがはじまって間もなく、美那子さんは持参した下着をテーブルに広げた。


「私も、お友達に教えてもらったのだけど、とても着け心地がいいの。知る人ぞ知るブランド、かしら」


ここで最年長である美那子さんは、自分だけが知っていると言いたそうな顔で、みなさんの顔を見回した。


「『ミクモ』 をご存知?」


私を含めた4人は、そろって顔を横に振った。

妊娠出産を経て体型に変化があった、下着選びに苦労していると話題がのぼったのは、先週の幼稚園行事のあと、親しい友人たちとの立ち話だった。

みな同じ悩みを抱えているのか、その場では話し足りない顔で、近いうちに集まっておしゃべりしましょうと美那子さんが言い出した。


「ウチのホテルのラウンジにいらっしゃいませんか。夏のデザートフェアが好評ですの」


『榊ホテル東京』 支配人夫人、狩野佐保さんの申し出を、美那子さんはやんわり断った。


「デザートフェアも魅力的だけど、近衛さんご自慢の夏のお庭を拝見したいわ。夏のお花がきれいでしょうね」


造園家の北園さんが手掛けた庭を見ていただきたい、そんな気持ちもあり 「どうぞ、お待ちしております」 と深く考えずに返事をした。

そのときから美那子さんは私へ、『ミクモ』 の話をするつもりでいたのだろう。

ホテルラウンジのテーブルにランジェリーを広げるわけにはいかないが、我が家のテラスなら問題はない。

そして、みなさんの反応を見ながら、私へ話を持ち掛ける機会をうかがっていたのかもしれない。


「ご存じないのも無理ないわ、広告もださない無名に近い会社ですから。創業は古いのよ、昔は足袋を扱った会社ですって。

昭和に入って肌着を扱うようになって、先代から女性下着専門の会社になったの。

熟練の職人さんが仕上げるから、大量生産はできないんですって。

以前は注文しても、半年待ちなんてこともあったわね。跡を継いだ娘さんの代で、手作業の一部を機械化して納期が早まったけれど、すぐには届かない。

それでも愛用者は待ってるわ。物は確かだから。ところがね……」


そういうと、美那子さんは大げさにため息をついた。


「大手メーカーや、海外の大量生産の商品に押されて、経営難ですって。従業員の雇用を考え直さなくてはいけないって。

職人さんを手放したら、この素晴らしい下着は、もう手に入らない。私のお気に入りのブランドがなくなりそうなの。

どこかに手を差し伸べてくれる会社はないかしら……」


美那子さんの切なげな目が私をとらえた。


「『ミクモ』 さんを、ウチで引き受けてほしいというお話かしら」


「さすが珠貴さん、そうそう、そういうことなの」


「お話はわかりましたけれど、『ミクモ』 さんの現在の状況を……」


私の言葉が終わらないうちに、美那子さんは持参したファイルを取り出した。


「ここにまとめました。ご検討ください」


そういうと美那子さんは、私にはファイルを、みなさんには製品を配った。

 
「お手にとって肌触りを確かめて。ねえ、よい物でしょう。カッティングが素晴らしいの」


押しの強さにおいて誰にも負けない美那子さんの勧めに、好奇心旺盛な佐保さんが身を乗り出した。


「でも、手に入りにくいのでしょう?」


「ショーツはすぐにでもお届けできるはずだけど、佐保さん、お試ししてくださいます?」


「ええ、ぜひ」


「私もお願いします」


次に手を挙げたのは、お付き合い長い平岡蒔絵さん。

蒔絵さんの夫は宗の秘書を長く勤めたあと、お父様が社長を務める近衛グループの会社に入った。

この中で一番若い蒔絵さんも、下着選びに苦労しているらしい。

続いて、入園前の茶話会から交流がはじまった服部清良さんが、控えめに 「私も」 と声をあげた。

清良さんのおじいさまは 『服部製作所』 会長職にあり、宗と趣味の俱楽部でご一緒している。

『杜の蔵』 を紹介してくださったのは服部さんと聞いている。


「こちらは、大叔母さまへ。ご高齢の方の愛用者も多いんですよ。そこも 『ミクモ』 の強みです」


美那子さんは 『ミクモ』 の営業を請け負っているのかと思えるほど、とにかく熱心だった。

みなさんの下着談義のあいだ、私はファイルに目を通した。


「『三雲虎二商店』……足袋の会社だったころ、そのままかしら」


「古風でしょう。わたしも名前が気になって、まれさんに社名を替えてみたらと言ってみたのだけど、創業者がつけた名前を変えるわけにいかないって」


「まれさん?」


「希望の希と書いて、まれ、三雲希さん。現社長のお名前よ。彼女、珠貴さんより少し若いわね」


「お父さまの跡を継がれたそうですけれど」


「お父さまは、二年前に病気で亡くなられて」


家族経営で、ひとり娘の希さんが代表、叔父さん叔母さんたちが役員で、お母さまが会長でと、美那子さんは 『三雲虎二商店』 の内情についても詳しかった。

熱心な愛用者となった美那子さんは、工場見学などで 『ミクモ』 に足を運ぶうちに希さんと親しくなったという。


「希さんは縫製の技術を持っているの。ほかの職人さんにまじって、青い作業服で頑張ってる。

私服も地味な色の服ばかり。若いんだから、もう少しおしゃれをしてもいいのにと思うのだけど、自分には作業服が一番似合ってるって」


大柄で肩が張ってるから、おしゃれしても仕方ないなんて、そんなこと言うんだからと、美那子さんは顔をしかめた。

青い作業服が自分に一番似合うという希さんに会えたのは、それから半月あとだった。




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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To fasutonneさん

こんばんは

読み直してくださったのですね、ありがとうございます。
富樫紅(赤い人)、三雲希(青い人)、ふたり登場しました。
これから珠貴に関わっていきます。
次回もお付き合いください。

2022/01/29 (Sat) 23:48 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんばんは

赤い人と青い人の登場です。
対照的な二人、これから珠貴に関わっていきます。
美那子の押しもあり、珠貴は新事業に取り組むことになりそうです。
今後の展開はいかに……
これまでのように、珠貴の視点、宗一郎の視点と交代で話が進みます。

2022/01/29 (Sat) 23:45 | 編集 | 返信 |   

fasutonne  

おはようございます。

富樫ベニーさんと、「ミクモ」は別会社だったのですね、読み直しで気が付きました。
この二つがゆくゆくどうつながっていくのかですね。お待ちしています。

2022/01/29 (Sat) 10:55 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

こんばんは
赤と青は、社名から社長の服装まで
全く正反対ですね。
美那子さんの力の入れようは半端なく、
消費者としても企業家としても応援したいとの
強い気持ちの表れでしょう。
ライバルに出会ったこともあり、珠貴もより力が入りますね。

2022/01/28 (Fri) 20:19 | 編集 | 返信 |   

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