【ボレロ 第三部】 -赤と青- 5


希さんと会ったのは、土日と成人の日が続く三連休の前日、二日前に降った雪が残っていたこともあるが、東京の冬は案外寒いですねと、希さんはビル風の冷たさにコートの襟に首をすくめた。

今日は 『SUDO』 本社を案内したあと、食事をとりながら希さんが意欲的になれるよう話をするつもりである。


「こちらのワンピース、雑誌の特集記事を読みました。モデルさんがとても素敵で、あっ、ワンピースももちろん素敵です……」


商品の展示コーナーに見入りながら、『SUDO』 が手掛けた服よりモデルを褒めたような発言を気にしたのか、希さんはすみませんと謝った。

つい相手を気遣ってしまう、繊細な心の持ち主なのだろう。


「このシリーズの人気は、モデルさんの力によるところが大きかった、それは確かです。いまでもモデルについて問い合わせがありますから」


このモデルさんは残念ながら引退されました、内緒ですけれどと、誰もいないのを確かめてからそっと伝えると、そうですかと驚きながらも秘密を打ち明けられて嬉しそうな顔になった。

宗が巻き込まれた仕事上のトラブルの解決のために、探索や情報収集のプロであるコウさんの力を借りたのは、このワンピースを含めた新商品発表の少し前だった。

女装を得意とするコウさんがモデルを務めた商品は、予想外に評判になり、ふたたび商品宣伝モデルを引き受けたあと姿を消して、それも一時話題になった。

モデルの彼女は実は 「彼」 だったのだから、どれほど探しても探し出せないだろう。

その事実を知るのは、社内では私と専務の知弘さんだけである。

当初、専務の知弘さんも同席して、希さんが前向きになるよう働きかけてもらうつもりだったが、今朝になり知弘さんに急用が入りキャンセルとなった。

よほど急ぐ事案だったのか、予定変更を伝える知弘さんの電話の声は切羽詰まっていた。

社長である父も朝から出社しておらず、トップふたりの不在が気になりながら、昼前に会社を出て昼食の席である 『割烹 筧』 に向かった。

私たちを迎えてくれた仲居頭の森田さんに、大女将の志乃さんはいらっしゃいますかと尋ねると、若女将にすべて任せておりますと、どこか要領を得ない返事があった。

人生の大先輩である志乃さんに力を借りようと思っていた私のあてははずれ、こうなると自分の力でなんとかするしかない。

季節の昼膳を堪能したあと、希さんに向き合った。


「子どもが通う学校では、すべての教師に子育ての経験があるわけではありません。彼らは教育のプロです、だから安心して子供たちを預けられるのです」


仕事も同じではありませんかと、宗の言葉を借りながら、私は希さんに語り掛けた。

あなたの技術が欲しい、どこにも負けない商品を作りましょうと訴えた。


「……わかりました。前向きに検討いたします」


いまは、希さんのその言葉だけで十分だった。

『割烹 筧』 を出たあと、コーヒーでもいかがですかと、友人と待ち合わせをしているカフェに誘うと、希さんは小さくうなずいた。

もしも、私と距離を置きたいと思うならカフェの誘いは断るだろうと、なかば賭けもあった。

彼女の返事に安堵していると、私へ懸命に手を振る友人の姿が見えた。

約束の時刻までまだ30分以上もあるのに、波多野結歌はカフェにいた。


「早く着いちゃった」


珠貴の友人の波多野結歌ですと、私が紹介する前に名乗った結歌へ希さんを紹介した。

成り行きで三人のコーヒーブレイクになったが、人懐こい結歌のおかげで初対面の気まずさもなく、話題が途切れることもなかった。

会ってまもなく 「希さん」 と呼びかけた結歌へ、希さんも打ち解けている。


「……まあ、そうなの? 希さん、これから時間があります? 私にお友達に会うためのお手伝いをさせて」


「あの、お手伝いとは……」


「お友達と久しぶりの再会でしょう? お仕事のスーツも素敵だけど、変身するのも面白いと思うの。

プロのメイク、試してみませんか? その人、ヘアセットもしてくれるのよ。それから、服も選んでくれるの。

せっかくだもの、思いっきりおしゃれしましょうよ。ねっ」


夜は大学時代の友人に会う予定があるという希さんへ、結歌はこんなことを言いだした。

ホテルに戻って着替える予定であると、希さんは結歌の申し出を暗に断ったが、そんなことで諦める結歌ではない。

メーキャップアーティストの知り合いがいる、その人のスタジオに服も靴もすべてそろっているから、これから出掛けようということらしい。


「希さん、冒険してみませんか」


私の冒険という言葉が響いたのか、彼女の気持ちに何か変化が起きたのか、理由はわからないが希さんは 「はい」 と返事をした。

そうと決まったら結歌の行動は早い。

知り合いへ電話をかけて、あっという間に予約を入れた。


「夕方からほかの仕事が入ってるから、その前なら大丈夫だって。急ぎましょう」


結歌に連れられてきたのは、カフェからそう遠くないビルの中のスタジオだった。

道々聞いた話では、メイクとヘアセット、選んだ服を着て写真撮影までのコースになっており、希望があれば服の買取もできるらしい。

スタジオのドアを開けると、いかにも流行に敏感な世界に身を置くといった感じの、細身の男性が私たちを迎えてくれた。

彼が一瞬驚いた顔をみせたのは、三人でやって来たためだろう。

私は付き添いですと、言わなくてもいい言いわけをして中に入ると、私の声に振り向いた男性に大きく驚かれた。


「やっぱり珠貴さんだ。あっ、結歌さんも。ええっ、あっ、もしかして、駆け込みのお客さんって、結歌さんだったの?」


ここに漆原さんがいるとは驚きだった。

漆原琉二さんとの出会いは、ずいぶん前になる。

都内で起こった異臭事件に居合わせた宗と、病人の対応に当たった医師の沢渡さんは、テレビの会見に顔を出したことから、興味本位で身辺を探られる事態に陥った。

当時、秘密の交際を続けていた私と宗を追いかけていたのが、フリーカメラマンの漆原琉二さんだった。

私たちを追いかける途中でトラブルがあり、その解決過程で私たちと漆原さんは協力関係を結び、それから交流が続いている。

ときには我が家を訪ねて、子どもたちの成長をカメラに収めてくれる。

結歌と漆原さんは、私たちを通じて知り合った。


「漆原さん、こんな仕事もしてらっしゃるの?」


「今日は友達に頼まれた仕事があって。たまたまいただけで」


「こんな仕事って、結歌さん、ひどいなあ」


さっきの細身の男性が、おおげさに頬を膨らませた。


「ゴメン、ゴメン、そういうつもりじゃないの。希さん、紹介するわね、こちらはメーキャップアーティストの甲本ジョーさん」


「甲本ジョーです。希さん、今日は素敵に変身しましょう」


「はっ、はい。よろしくお願いします」


まさか男性とは思わなかったと、希さんの戸惑いが顔にあらわれていたが、甲本さんは気にする様子もなく服を選び始めた。


「希さんのご希望は? お好きな色や、デザインの好みはありますか」


「特に……いつもは茶系かブルー系が多いので……」


ブルー系ねと言いながら甲本さんが選んだのは、シャーベットカラーのブルーグレーのワンピースだった。

靴はこれ、アクセサリーはこれ、髪は巻いて……と、あっというまに決めていく。

これでいいかと聞かれた希さんは、甲本さんの選ぶスピードに圧倒されたのか、うなずくだけで、さっそくメイクとヘアセットが始まった。

ヘアメイクが仕上がったあと、着替えのために隣室へ移動した希さんを待っていたが、なかなか出てこない。

どうしたの? と結歌が声を掛けると、フックが……と希さんの困った声が聞こえて、私より先に結歌がフィッティングルームに入った。


「ここのフックね……わあ、素敵。希さん、隠れたおしゃれもいいわね。そういうの、好きよ」


「ありがとうございます……」


「これ、どちらのブランド?」


「あの、あっ、あとで……」


ふたりで何について会話をしているのかわからないが、男性二人にも聞こえているのがわかっているのだろうか。


「ゆいか、大丈夫?」


わざと大きな声で呼びかけて着替えを促した。

それからまもなく、結歌のうしろから恥ずかしそうに出てきた希さんの姿に、私たちは歓声を上げた。

ワンピースも靴もアクセサリーも、長身でバランスの取れた体形の希さんに本当によく似合っている。

嬉しそうな希さんを、漆原さんはさりげなくカメラに収めた。

見事に変身した希さんは、友人に会う前に用があるといってひと足先にスタジオをあとにして、漆原さんと甲本さんも次の仕事の現場に向かった。


「さっき、希さんとなにを話してたの?」


「さっきって?」


「フィッティングルームで、素敵とか、ブランドとか聞こえたから」


「あっ、希さんにブランドを聞くの忘れちゃった。彼女のランジェリー、もう最高、体にフィットして素敵だったんだから」


そう聞いて、私は大きくうなずいた。

一目見た結歌を虜にしたランジェリーは、やはり本物だ、自信を持って良い。


「そうでしょう。彼女の会社、女性の下着メーカーなの。『ミクモ』、本当に素晴らしいのよ」


私はスマートフォンを取り出して、得意気に 『ミクモ』 のHPを結歌に見せた。

ところが、


「いいえ、これじゃない。刺繍とレースが、それはもう豪華で、うっとりしちゃった。

希さんの会社の、ほかのブランドじゃない?」


「ほかにはないわ……」


互いに不可解な顔を見合わせたあと、私にある思いが浮かんだ。


「もしかして、こちら?」


「そうそう、これ、これよ」


結歌が大きく反応したのは 『エレガンスベニー』 のナインナップだった。

希さんと 『エレガンスベニー』……

『ミクモ』 本社事務所で見かけた 『エレガンスベニー』 のブランドロゴ入りのショッパーが、ふっと浮かんで消えた。

他社の製品を参考にすることはある、着用して着け心地を試したいと思う気持ちもわかる。

けれど、『ミクモ』 の会長である希さんのお母さまは 『エレガンスベニー』 をご存じなかった。

そして、あのとき希さんは 「あちらとウチでは釣り合いません」 とつながりを否定した。

『エレガンスベニー』 を否定しながら、そこのランジェリーを身に着けるというのは、どういうことだろう。

釣り合いませんといった希さんの言葉が妙に気になる。

希さんの本心はどこにあるのだろう。

霧の中を手探りで歩くような不安にかられ、私は思わず両手を握りしめた。




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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

まあむさんが希に感じた予想は、当たっているかも……
押しの強い結歌によって、希の一面が見えました。
そして、珠貴は戸惑い、ふたたび悩みをかかえることに。
次回から、宗一郎からの視点の物語です。

2022/03/04 (Fri) 17:13 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K,撫子  

To fasutonneさん

こんにちは

希の秘密、まだ何かありそうです。
母も知らないなにか……

2022/03/04 (Fri) 17:09 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
希は外身を自分を守るように地味にしてる?
と感じたこともあったけど意外に当たりかも~
変身願望って誰にでもある気がしますが、
今回は結歌のお手柄!
希の違う一面を知ることができましたね。



2022/03/04 (Fri) 06:28 | 編集 | 返信 |   

fasutonne  

こんばんは、

希さん、お母様に秘密を持っているのかもしれないなぁと。これからですね。

2022/03/03 (Thu) 21:11 | 編集 | 返信 |   

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