【ボレロ 第三部】 -舞台裏- 1


国内外でホテル事業を展開する 『狩野グループ』 の本拠地ともいうべき 『榊ホテル東京』 に法人契約の部屋を持ったのは、私が副社長に就任した年だった。

ここは私の第二のオフィス兼会議室であり、ときには人目を避けて会いたい相手との密談の席にもなる。

この部屋で水面下の交渉を重ねて、仕事の成功につながったことも少なからずある。

当時、大学からの友人である狩野豪が副支配人を務めており、なにかと融通が利くことも 『榊ホテル東京』 を選んだ理由の一つである。

利便性、一流のサービス、月替わりでメニューが変わる絶品の朝食、都会の中にあって自然を感じられる部屋からの眺め、どれも申し分ない。

私の部屋の担当は、主に狩野が務めてきた。


「俺を担当に使うのは、おまえくらいだ」


そんな憎まれ口をたたきながら、支配人になった今もルームサービスは人任せにせず、よほどのことがない限り狩野が運んでくる。

私が密かに会う相手の情報が、外部に漏れないための配慮であることはわかっている。

そして今夜も、支配人自らワゴンを押してやって来た。

時刻は夜9時過ぎ、私が依頼した仕事の報告にやって来たふたりは夕食前と聞き、ルームサービスを頼んだ。

狩野は恭しく頭を下げて部屋に入り、私と男性二人が座るテーブルに静かにカトラリーを並べていく。

洗練された無駄のない動きに感情の介入はない。

客のひとりは、狩野も顔なじみのフリーカメラマンの漆原さんだ。

漆原さんへ向けて、わかるかわからないかの僅かな動きで口元を緩ませたが、知り合いであるそぶりは見せない。

長い付き合いのある私にも親しい顔は向けず、ここではホテルマンに徹している。

漆原さんと並んで座る人物は誰だろうと、狩野は仕事をそつなくこなしながら、心の中で懸命に探っているはずだ。

狩野がいつ彼の正体に気がつくだろうかと注意深く見守っていたが、どうやらその気配はない。

そろそろ種明かしをしてやろう。


「狩野、彼に見覚えはないか? コウだよ」


皿を持つ狩野の手が一瞬止まった。


「コウって、あのコウさん?」


メンズ雑誌から抜け出したような装い、薄っすらとあご髭をはやした男性の顔を、狩野はホテルマンであることも忘れて不躾に覗き込んだ。


「はい、あのコウです」


ええっ、と叫んで一歩退き、こちらの予想を上回る反応をみせながらも、手の皿は水平に保たれている。


「狩野がすました顔をしているから、彼がコウとわかっていないだろうと思ったが、そうか、やっぱりな」


「やっぱりって、なんだよ。先に言ってくれよ」


私に言い返しつつ、すばやく態勢をたてなおしたが、それまでの緊張をといて気の抜けた顔でサービスを再開した。


「コウさん、男装もするの? へえ、髭、似合ってるじゃない」


丁寧な口調はすっかり消えて気さくに話しかける姿は、私がよく知る狩野だ。


「えーっと、はい、男装もします。って、もともと男ですけど。あっ、髭は自前です」


そうなんだと感心しながらコウの髭面を確認するように見て、狩野はあらためてもうひとりに向き合った。


「漆原さん、おひさしぶりです。こんな遅い時刻に食事ですか。また、近衛に無理な仕事を頼まれたんでしょう」


コイツは人遣いが荒いから、お互い苦労しますねなどと、余計なことを言いながらトレーを片付けたあと私の横に腰を下ろした。


「これ、ルームサービスの特別メニュー。温かいうちにどうぞ」


「さすが特別メニュー、豪華ですね」


大きなプレートに数種類の料理が彩りよく盛られた一品である。


「本来はコース料理だけど、いいとこどりでワンプレートに盛り合わせたら、これが評判でさ」


言葉は一気に乱暴になったが、紅茶を注ぐ手つきにすきはない。


「支配人がこんなところで油を売ってて、いいのか?」


「いいんだよ。近衛、俺に用があるから呼んだんだろう? 何かあったら連絡が来るだろう」


そういって、インカムを示した。

チェックインした際フロントで、今夜、狩野支配人はいるかと尋ねた。

そのやり取りから、私が狩野に用があると察知した。


「コウを見て、狩野が気がつくかどうか、確かめるために来てもらった」


「なんだ、そんなことで呼ばれたのか」


俺は忙しいんだぞと、おおげさに顔をゆがませたが、いうほど気を悪くした様子はない。


「でも、まあ、実際わからなかった。完璧な変装だよ。みごとに騙された」


「ありがとうございます。ああ、良かった」


コウは胸の前に手を置いて安堵した様子だったが、


「珠貴さん、僕のこと、気づいてないと思いますか」


私を見たコウの目には不安の色が浮かんでいる。


「あの様子では、気づいてないと思うが」


今夜の帰りは遅くなる、場合によってはホテルに泊まると電話で珠貴に伝えたときのこと。


『結歌の紹介で、お客さまと一緒にメイクができるスタジオに出かけたの。そこで、漆原さんにお会いしたのよ。

漆原さんが、宗によろしくと、おっしゃっていたわ』


今日、珠貴は誰かの接待だったはず、そこになぜ、珠貴の友人である結歌さんが合流したのかわからないが、出かけた先に漆原さんがいた。

漆原さんと一緒に、男性メーキャップアーチストに変装したコウもいたが、それについて珠貴がふれることはなかった。


「漆原さんに会ったとは聞いたが、コウに会ったとは言わなかったよ」


「ほら、大丈夫だよ。コウさんの変装を見破る人はいない。俺は何度会ってもわからないけどね」


漆原さんに励まされても、コウの不安は消えない。


「そうですね。けど、結歌さんのあとから珠貴さんが入って来たとき、一瞬、仕事を忘れて素で驚きました」


「うん、あれは驚いた。コウさん、結歌さんと知り合いだったの?」


そこは私も聞きたい。

コウのスタジオはダミーで、実際に営業してはいないのに、なぜ結歌さんがコウに関わったのか。


「先週だったかな。結歌さんがメイクしてくれって飛び込んできて。

ウチは完全予約制だからできませんって、断ったんだけど」


急に人と会うことになった、素顔では会えない、ここでメイクスタジオに出会ったのは運命だ。

そう言って泣きつかれ、見るに見かねて結歌さんのヘアメイクを引き受けた。


「次は予約して来るから名刺をくださいって言われて、思わず渡したんです。

そうしたら、本当に電話がきて、急ぎでメイクしてくれって言われて、また引き受けることになって。

ああ、なんで名刺を渡したんだろう。

結歌さんが珠貴さんの友達だって、知らなかったんですよ。知ってたら断ったのに……」


結歌さんの勢いにタジタジのコウの姿が、目に浮かぶようだ。


「ははっ、結歌さん、押しが強いからね。あの人のお願いは誰も断れないよ」


強引で突っ走るところもあるが、そこが彼女の魅力でもある。


「でも、珠貴さんに秘密がバレるかもしれないんですよ」


「なんだ、なんだ、珠貴さんに秘密って?」


気の抜けた狩野の顔が、瞬く間に興味を示し目を輝かせた。

私に珠貴に言えない女性関係でもあるのかと、くだらないことでも考えているのだろう。


「秘密と言えば秘密だが……狩野は、『エレガンスベニー』 の社長を知っているか」


「いや、社名も聞いたことはない。その女社長がどうした」


「どうして女性社長とわかる」


「珠貴さんに秘密なんだろう? 秘密といったら女性絡みだ。それくらい想像がつくよ。で、どんないい女なんだよ」


私と狩野の、あまりにもバカバカしいやり取りに、漆原さんとコウはさぞ呆れているだろうとふたりを見ると、こちらを気にするふうもなく食事に専念している。

漆原さんは肉をほおばりながら紅茶を流し込むように飲み、さっきまで珠貴に正体がばれたのではないかと気にしていたコウも、漆原さんに負けないスピードで皿の上を片付けていく。

細い体に似合わずよく食べるなと思ったと同時に、男のなりのときは食事の仕方までそれらしくなるのかと感心した。


「どれほどいい女か、悪い女か、それをふたりに調べてもらった」


「はあ? 近衛も知らない女性関係って、どういうことだよ」


「まて、あとで説明する」


俺は犬かと嫌味を言われたが、席を立つつもりはないらしい。


「デザートを食べながらでいい。話を聞きたい。ふたりから見て、富樫紅はどんな人物だった」


漆原さんとコウに、富樫紅について調べるよう頼んだのは昨年末だった。

ふたりは今日、『エレガンスベニー』 社長、富樫紅を取材する女性誌の現場に同行した。

ナプキンで口元を拭ったコウが先に口を開いた。


「ひとことでいうと、とらえどころのない人でした」


「そうなんだよな。威圧的にも見えなかったが、穏やかにも見えなかった」


「メイクのあいだ、ずっと無言だったので」


「撮影中もだんまりでしたね」


コウと漆原さんが、富樫紅について交互に語る。


「あらかじめトークの内容は決まってて、だから取材は形だけで、メイクして写真を撮って終わりです」


「うん、あれは取材とはいわないね。富樫社長のそばにいた男がずっと仕切ってた。えっと、何て名前だったかな」


「僕、名刺をもらいました」


『エレガンスベニー』 椎名 暖(しいな だん)

コウが差し出した名刺には、社名と名前だけが記されていた。




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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To fasutonneさん

こんにちは

希と紅の同一人物説……真相はいかに!
次回もお付き合いください^^

2022/03/12 (Sat) 16:32 | 編集 | 返信 |   

fasutonne  

こんばんは、

希さんと富樫紅って実は同一人物だったりして・・・・・などと。

2022/03/11 (Fri) 20:56 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

宗一郎と狩野の遠慮のない掛け合い、信頼関係があればこそ。
大好きと言ってくださって嬉しい!
結歌の押しの強さは国宝級?(笑)
本人にそのつもりはないのでしょうが、振り回される周りは大変。
そして、新たな人物が登場しました。
宗一郎と珠貴に、どうかかわってくるのでしょう。
次回もお付き合いください。

2022/03/11 (Fri) 16:50 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
宗さんと狩野さん、相変わらずですね。
個人的に大好きです❤
あのコウさんまでも陥落させる結歌さん、
やはり最強だわ( *´艸`)
宗さんらしい、調査方法でまた新たな人物の登場…
どんな人物なのか、興味津々です!

2022/03/11 (Fri) 06:29 | 編集 | 返信 |   

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