【ボレロ 第三部】 -新たな一歩- 5-5


空には鉛色の雲が広がり小雨模様となったこの日、改築が終わった伊豆の屋敷に、千波おばあさまと志乃おばさまの親しい人々が集まった。

生前の祖父が友人たちと夜通し語り合った広間は、モノトーンの落ち着いた色調から明るく軽やかな雰囲気に変わり、壁には花をモチーフにしたテキスタイルが飾られ彩りを添えている。

テキスタイル作家である静夏ちゃんの最新作は、お客様の目にとまり作品依頼が相次いだ。


「ありがとうございます。けれど、いま立て込んでおりまして……」


完成まで一年以上待っていただくことになると暗に断っても、一年でも二年でも待ちますという人があとを絶たない。


「私は三年でも待ちますよ。静夏さんの作品をお待ちしております」


それまで元気にしておかなくてはねとおっしゃったのは、辛口のエッセイが人気の女性小説家。

いまね、志乃さんをモデルに小説を書いているのと私にささやいたお顔は、しっとり艶やかで、とても喜寿とは思えない。

若いころの志乃さんは、それは綺麗だったのよと昔話が始まり、


「私が必死に小説を書いている間に、さっさと結婚しちゃって、お子さんを育てながらお仕事もこなしてね。

いつ見てもしゃんと背筋が伸びて、女の目から見ても惚れ惚れしたわ。

それにあの器量でしょう、男性が放っておくはずはないわ。でもね、浮いた話は聞こえてこなかったわね」


大女将の顔しか知らない私には、志乃おばさまの昔話は興味深い。

もっと話を聞くつもりでいたのに、


「あちらのみなさまから、あなたの新しいお仕事について聞かれたのだけれど……」 


あなたからお話ししてちょうだいと母に言われては、ここにとどまっているわけにはいかない。

「小説を楽しみにしております」 と言い残し、にぎやかな会話の輪の方へ歩み寄った。


「珠貴さん、ご活躍ね。今度はランジェリ―に進出ですって?」


『SUDO』 の新事業にも注目が集まり、商品やブランドについて質問攻めにあった。

新しいものに敏感でありたい、誰よりも早く手にしたい、その思いを持つ人のなんと多いことか。


「私も 『ミクモ』 のファンですの。『SUDO』 さんのお力で全国展開ね。楽しみだわあ。

新しいブランドは、いつ?」
  

「準備が整いましたらご案内を差し上げます。もうしばらくお時間を頂戴いたします。

今日はランジェリーのサンプルのほかに、新作のジュエリーもお持ちいたしました。

のちほどご覧いただきます」


わあっと歓声が上がり、反響の大きさに胸をなでおろしていると、聞き流せない会話が耳に入ってきた。


「ランジェリーといえば、『エレガンスベニー』 の椎名専務、役員を解任されて関連会社に出向ですって。

社長の片腕といわれる方なのに、なにかあったのかしら」


『エレガンスベニー』 創立記念パーティーにも出席していた某社長夫人が眉を寄せ、「そうなのよ」 と物知り顔で応じたのは、同じくパーティーに出席していた某弁護士夫人。

ふたりのそばに立ち、さりげなく聞き耳を立てた。


「椎名さん、ある会社との事業提携を無理に進めて失敗したんですって。

行き詰って都合が悪くなると社員に責任を押し付けて、退職に追い込んだのよ。

まわりから社長の片腕と言われて、何でもできると勘違いしたのでしょう」


某弁護士夫人は、なかなか手厳しい。

人事の顛末が顧客にまで伝わっているとは、それほど椎名氏の行いはひどかったということか。


「人当たりも良くて温厚そうな方に見えたのに、人は見かけによらないわね」


「そうね。ある方に聞いたのだけれど、椎名さんのせいで投資の損失もあったんですって。

かなりの額だったそうよ。紅さんは何もおっしゃらないけれど、これから大変でしょう」


投資の損失については私も宗に聞いたばかりなのに、その情報を、この方がすでに知っていたとは驚きだ。

親しい間柄でも、紅さんが内部事情を誰かに話すとは思えない。

某弁護士夫人はどこから情報を得たのか、そこも気になる。

さらに踏み込んだ話になるだろうと思ったら、まったく別の話題がはじまった。


「紅さん、お子さんがいらっしゃるんですってね。離婚されて、おひとりで育てているそうですけれど」


某社長夫人が紅さんの家族について話をはじめた。

いかにも女性が関心を持ちそうな話題だと白んだ思いで聞いていると、話の先は思わぬ方向へ向かっていった。


「紅さんのお相手をご存知?」


某弁護士夫人が声をひそめて尋ねた。


「いいえ……」


紅さんについて調べたコウさんの調査書には、『緑川洋介』 とあった。

独身を通した資産家が、晩年になり結婚したのが紅さんだった。

けれど、一年ほどで離婚、その後、緑川さんは亡くなっている。


「不動産王といわれた、緑川さんよ」


「緑川さんは、確かお亡くなりになられたはずだけど。では、紅さんのお子さんが相続なさったの?」


「そうでしょうね」


「まあ……」


紅さんは莫大な財産を相続したのではないかとの憶測が、ふたりの頭を駆け巡っているだろう。

目を合わせてうなずき合う顔には、他人の懐をうかがうようないやらしさが見えた。


「紅さんのお子さん、小学校から寄宿学校よ。外国の寄宿学校並みの学費ですって」


「緑川さんのお子さんですもの、学費の心配はないでしょうから」


こういう話が耳に入るのも、女性が集まる場だからこそ。

女には男性社会とは別の情報網がある。


「おふたりおそろいで、楽しいおはなし?」


私の背後から声がかかり、ふたりはビクッと体を震わせた。


「ええ、まあ……」


返事に困るといった表情を顔に張り付けてうなずいたあと、夫人たちの話題は他へと移った。

人の集まる場所で、情報収集、情報交換が行われ、素早く広がっていく。

噂もしかり、女性のネットワークは侮れない。


「女が集まるところでは、良い話も、そうでないことも、聞きたくない話も耳に入ってきます。

上手に聞き流してね、と私が言うまでもなく、珠貴さんは心得ていらっしゃるでしょうけれど。

でも、あのおふたりは少々お口が過ぎるわね。あっ、私が言ったことはナイショよ」


すっと身を寄せて私の腕を引き、その場から離れながら耳元にささやいたのは、千波おばあさまの古くからのお友達、女流画家の花伊都先生だ。


「はい……ふっ、都先生も聞いてらしたんですね」


「あの方々は声が大きいの。聞こえてくるんだもの、仕方ないじゃない。

声の大きな人に悪い人はいないというじゃない、おふたりもそうでしょうけど」


人とはつかず離れず群れずにが信念ですと、初めてお会いしたときにうかがってから、私はこの方のファンになった。

この近くに別荘があり、ご近所付き合いも長く、千波おばあさまと一番親しいと言っても過言ではないが、そんなそぶりは見せない。


「都先生が贈ってくださった絵を拝見しました。祖父がそこにいるようです」


「ありがとう。嬉しいわ」


改築祝いにと都先生から贈られた絵には、居間でくつろぐ祖父母が描かれており、千波おばあさまの寝室に飾られている。

絵の話が聞こえたのか、千波おばあさまと志乃おばさまがこちらにやってきた。


「朝起きて、絵の中のあの人に、おはようと挨拶をして、夜はおやすみなさいと声を掛けるの。

都さん、ありがとう」


「どういたしまして……それにしても、いろんな方がいらっしゃること」


「みなさんに気軽においでいただいて、気負わずお話ができる、そういう場所にしたいと思っております。

珠貴さんも、ここで得たものをお仕事に生かしてくださいね。あの人も、そう願っているはずですから」


この広間には、千波おばあさまの夢が詰まっている。

集まった顔ぶれはそうそうたるもので、おばあさまたちの交遊関係広さには驚くばかりだ。

けれど、そのほとんどが、千波おばあさまと志乃おばさまが姉妹であることを知らなかった。


「そう言われてお顔を拝見すると、よく似ていらっしゃいますね」


穏やかに微笑んだのは、吾郎さんの奥様の茉莉子さん。

茉莉子さんと志乃おばさまは、古いお付き合いがある。


「茉莉子さまも、おかわりなく」


「志乃さん、「様」 はおよしになって」


「はい、茉莉子さん」


おほほ……と笑う仕草も優雅な茉莉子さんは、近衛の義母と同じく久我家の出身である。


「吾郎さんに初めて会ったのは、鷹彦さんと塔子さんの結婚式だったのよ」


宗の両親の結婚式で茉莉子さんを見染めた吾郎さんの熱烈な求愛は、当時ずいぶん話題になったそうだ。

おふたりはもうすぐ結婚40周年、ルビー婚式を迎える。


「珠貴さん、お願いしたリングはできました?」


「はい、お持ちいたしました」


両手を胸の前で合わせる姿は、本当に可愛らしい。

近衛の義母とそう変わらない年齢であるのに、50代、いえ、40代といっても通りそうだ。

寄り添って守ってやりたいと思わせるか細い姿からは想像もつかない、強い心の持ち主でもある。

取り出したリングに目を輝かせ、指にはめて手をかざす。

茉莉子さんの細い指にはめられたのは、ルビー婚式の記念のリングではない。


「素敵……いつもありがとう。吾郎さんの新しい彼女、長い髪の女性ですってね」


「ご存知でしたか……」


莉子さんは吾郎さんの恋人の存在を知っている。


「世の中には親切な方がいらして、わざわざ教えてくださるの。

私は彼が外でどんな女性と付き合っても、全然気にならないのよ。

でも、聞こえてくるの。だからね、その声をジュエリーに変えてしまおうと思ったの」


「外野の声をジュエリーに変えるなんて、いいわね。私は好きよ」


「都先生にそういっていただけて嬉しいわ。いつか彼のお遊びが明るみに出たら、宝石箱を見せるつもり。

ほら、ここに証拠があるわよってね。彼、どんな顔をするかしら、楽しみだわあ」


茉莉子さんの強がりなのか、本当にそう思っているのか、夫の婚外恋愛を無邪気に語る顔からはわからない。


「そうだ、ルビー婚はネックレスをお願いしようかしら。ねっ、珠貴さん」


宝飾部を離れても、近衛茉莉子さんは特別なお客様として私が担当している。

吾郎さんに新しい恋人ができるたびに声がかかり、話し相手になりながらジュエリーを決めていく。

この商談は宗にも内緒である。

男だけの秘密があるように、女にも女だけの秘密がある。

互いを深く思い合った夫婦でも、その秘密を漏らすわけにはいかない。




「伊豆の披露パーティーはどうだった? 女性ばかりの集まりだ、いろんな話が飛びかうんだろうね。

物陰からぞいてみたい気もするけれど、俺の悪口が出てきたら、いたたまれないだろうな」


私の耳朶を指でつまみながら、宗の唇がゆっくり近づく。

指の甘い刺激に必死にあらがいながら、ついばむようなキスの合間に返事をする。


「盛会だったわよ。そうね、女性ばかりですから、ここだけのお話しとか」


「たとえば?」


「椎名さんの噂もききました……彼の投資の失敗も、みなさんご存じだったわ」


「へえ、情報が早いじゃないか。ほかには?」


「紅さんのお子さんの出生の秘密」


「父親は緑川さんだったね。あの年で子どもができたことに驚くよ」


紅さんと結婚した当時、緑川さんは70歳。

それでも男性は子孫を残した。


「ジュエリーもランジェリーも、みなさまに興味を持っていただきました」


「良かったじゃないか」


当たり障りのない話題を選んで、聞きたがりの顔に話して聞かせた。


「ねえ……」


「うん?」


「紅さん、どうして離婚なさったのかしら」


「さてね、俺にはわからないよ。本人に聞くしかないだろう」


「そうだけど……」


甘美なキスを受けながら、紅さんのことを思った。

お子さんは小学校高学年の男子、名前は 『真白』(ましろ) という。

仕事に専念するためとはいえ、離れて暮らすのは辛いだろう。

子どももまだ、母親が恋しい年頃ではないか。

親子で暮らせる日がきますように……


「なにを考えてる。人の子の心配だろ?」


「どうして……」


「どうしてわかったかって? 珠貴のことは全部わかるよ」


「ふっ、あなたに隠し事はできないわね」


目を閉じて深くあわされた唇にゆっくり応じる。

ひそやかな二人の時間に言葉はいらない。

やがて強い刺激が体を駆け抜けた。

呼吸が落ち着くと、窓越しに雨の音が聞こえてきた。


「雨が強いな」


「そうね……明日、大丈夫かしら」


明日から宗は一週間の出張に出かける。


「飛行機は夕方だから、それまでには止むだろう。

結姫のスポーツ参観日に行けなくて残念だ。動画を送って」


「ええ、そのつもり」


「おやすみ」


「おやすみなさい」


雨音がほどよいBGMとなり眠りを誘う。

梅雨明けも間近、夏はもうすぐそこまで来ている。



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4 Comments

K,撫子

K,撫子  

To fasutonneさん

こんにちは

妻の言葉に耳を傾ける男もいれば、聞き流す男もいる。
後者の方が多い気がしますが……だから喧嘩になるのでしょうね。

2022/09/23 (Fri) 16:04 | 編集 | 返信 |   
K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

女性ばかりの会は、それは賑やかだったでしょう。
話も弾み、口も滑らかに動き、やがて噂話に……
紅のプライベートも漏れ聞こえ、珠貴は眉をひそめながらも紅のことは気になるようです。
今後、友人として関わるなかで、新たに見えてくるものもあるでしょう。
紅、白、緑……確かにそうだわ! コメントで気がつきました(気づかせてくださり感謝♡)
(彼らは、今後も登場予定……)
実は夫の秘密を知っていた茉莉子、女は逞しい……

2022/09/23 (Fri) 16:02 | 編集 | 返信 |   

fasutonne  

おはようございます、

出来る男は、妻の一言からもヒントを得るのに、なかなか耳を傾けようという男はいませんね。
惜しいですよねぇ。

2022/09/23 (Fri) 10:23 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
女三人寄れば┄と言われますが
それ以上の集まりだけに話題も尽きることなく
皆様のお口は忙しく動いた様子( *´艸`)
紅さんの話題は私にも興味深いものでした。
お子さんの存在を知った時から気になっていましたが、
働く力にはなるけど離れ離れはつらいでしょう。
緑、紅で白と色に拘りましたね~笑
千波おばあさまに茉莉子夫人もですが、夫との関わり方も様々
正解があるではなし、なかなか難しい。

2022/09/23 (Fri) 07:10 | 編集 | 返信 |   

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