【春の息吹にも似て】
- CATEGORY: 短編の部屋
遠い記憶を たどるとき
真っ先に浮かぶのは 貴女のこと
たおやかで 気高く
凛としたその姿は 僕の心を一瞬にして捉えた
それはまだ 本当の愛を知る前のこと
今の僕なら 心を繋ぎとめておけたのだろうか
今の僕なら 引き止めることができたのだろうか
貴女に出会ったのは 桜の蕾が膨らみ始めた 春浅き頃
斉園寺家で催された夜会だった
煌びやかに着飾った若い男女の声が そこここでさざめく
留学の名目で 3年間の欧州の気ままな旅から帰ったばかりの身では 父の言葉に従うしかなく
今夜も花嫁候補の居並ぶ夜会に出席させられていた
「直俊さん 私もお父様とは 春の夜会でお会いしたのよ 私を見初めてくださって
結婚の申し込みをしてくださったの 貴方にも きっと良い出会いがあるわ」
母が父との出会いを話すとき 初恋を知った少女のような顔になる
僕らのような立場の人間には 自由恋愛など存在しない
まれに そういうこともあるが それは ごく限られた人だけのこと
ほとんどは 家と家の繋がりのもとに結婚相手が決められていく
心から求める女性との結婚など 皆無に等しい自分の身分を 恨めしく思いながらも
それを否定する勇気も持ち合わせず
親のいいなりで ここにいる自分が可哀想にも思え 情けなくもあった
芝居のような男女の出会いの場から一時逃れたく バルコニーに足を運ぶと そこには先客がいた
「こんばんは お邪魔してもよろしいでしょうか」
そう言った僕の顔を 少し驚きを含んで見ると
「こんばんは どうぞ……」
それだけ言うと貴女は また 広大な庭に目を向けた
短い言葉に 誰も寄せ付けないものを感じとり それなら振り向かせてみせようと 悪戯心が動いた
「みなさん あちらで楽しんでいらっしゃるのに こんなところで一人 どうしました」
振り向いて 仕方ないと言った風に答えが返ってきた
「一人になりたいから ここへ参りました どうぞ 私に興味をお持ちにならないで……」
「貴女に興味があったから 声をかけたのではありません 気分でも悪いのかと思ったのです いけませんか?」
恥じ入ったような表情になった
自分に声をかける男は みな
自分に興味があるような言い草をしてしまったことへの恥じらいが そこに見えた
「失礼な事を申しました どうぞ お許しを」
「いえ……」
先ほどの 凛とした姿は影を潜め 自分の非を素直に認めるその姿に 一種の感動を覚えた
彼女の横に並び 同じように庭に目を向ける
「つまらない夜会ですね」
「えぇ 本当に」
互いに顔を見合わせ 忍び笑いが自然にもれた
貴女の名前が 周防香野子だと知ったのは 斉園寺家の執事の口からだった
その日を境に 夜会の出席を心待ちにするようになった
これまでは 両親の言うままに 気の進まぬ見合いをするような気持ちで臨んでいたが
もしかして また会えるのではないか
憧憬にも似た気持ちを抱き あまたの夜会に向かう僕を
両親はいぶかしみながらも 嬉しそうに送り出してくれた
「こんばんは またお会いしましたね」
必ずと言っていいほど バルコニーで貴女を見つけた
「こんばんは また抜け出していらっしゃったの? みなさん 直俊さまをお待ちかねでしょうに」
何度目かの出会いで 初めて貴女の口から僕の名前が聞かれた
「香野子さん 僕の名前をご存知でしたか」
「まぁ 私の名前もご存知でしたのね」
なんでもない この一瞬が 今の僕にはとても幸福に思えた
僕の名前を 貴女が呼んだ
僕も 貴女の名前を口にした
まだ 触れてもいないのに 僕の胸に貴女を抱いたような錯覚にとらわれた
「よろしければ 少し歩きませんか」
彼女は ”はい” と素直に答え 僕と一緒に庭へ出ることに同意した
広大な敷地を持つ斉園寺家の庭は 西洋風の庭園になっており
夜でも歩けるように そこここに外灯が配置されていた
ほの暗いながらも 足元に不安はなかったが 注ぐ明かりの頼りなさが 僕と貴女の歩く距離を近くしていた
「香野子さんは いつもお着物なんですね なにか理由でもありますか」
「お着物ですと ダンスへお誘いくださらないので都合が良いのです」
歩きながら ときどき触れる貴女の肩先
触れては離れ
触れては離れ
遠慮がちな距離が 常に保たれていた
「香野子さんは ダンスが苦手でいらっしゃるのかな?」
「苦手と申しますか 男の方と踊るのが苦手ですの」
「はは 男が苦手ですか 僕とはこうして歩いているのに?」
貴女の ため息にも似た声が漏れた
「男の方に惹かれても詮方ないことですから
いずれは父の決めた男性とめあわされ 嫁がなくてはなりませんので」
上流階級の娘たちには 結婚相手を選ぶ権利などなかった
それは 身分は高くなればなるほどそうで 彼女もそうなのだろう
異性に惹かれる経験もなく結婚に至るのだった
恋愛に憧れさえ持たず 自分を押し込めてしまう貴女が不憫に思えた
それと同時に そんな人を誰かの手に渡る前に 手折ってしまいたい衝動に駆られた
「香野子さん 僕をどう思いますか」
間近で問うた僕の声に 一瞬ひるんだが すぐさま答えが返ってきた
「お戯れを 私は父の決めた方と添う事に決めておりますので……」
その言葉に 情動的な感情が生まれた
目を逸らせてしまった貴女の肩を乱暴に引き寄せ 胸元に抱きしめた
「直俊さま おやめになって……」
腕の中で やや抵抗する素振りを見せたが それは弱いものであった
男の胸に抱かれるなど いままで一度もなかったのだろう
どうしてよいのかわからず 僕の胸の中で静かに時が過ぎるのを待っているのか
身じろぎもせず 抱かれていた
そんな姿が哀しく また 愛おしく 貴女への愛情が湧きあがった瞬間でもあった
抵抗の言葉とは裏腹に 可愛い女性が僕の腕の中にいた
「貴女に口づけたいと言ったら どうしますか 逃げますか」
腕の中の貴女が 一瞬 身を固くし どうしたらよいものかと 考える素振りを見せた
やがて顔をふせたまま 小さく だが 意思を持った声が聞こえた
「いいえ」
なんと正直な人だろう
こんなにも ハッキリと自分の気持ちをあらわす女性を 僕は知らない
奥ゆかしさを秘めながら 芽吹くような力を持ち合わせている
抱きしめていた腕をほどき 貴女の顔に手を添えると
まるで そうするのが当たり前のように静かに目を閉じた
春にしては 暖かな夜だった
それでも 貴女の頬に手が触れると ひんやりと冷たさが伝わってきた
触れた唇も また冷たく 固く閉じた唇が 初めての接吻を物語っていた
「香野子さん そんなに口を閉じていては口づけになりませんよ」
頬が瞬く間に赤味を帯びる
”ごめんなさい”と 申し訳なさそうに呟く唇に 今度は少し乱暴に口づけた
戸惑いを含んだ唇が 次第に僕と同調していく
初めての口づけのように 僕も時を忘れて応じていた
夜会のたびに 何度となく交わされた口づけ
それは 彼女への愛情を確かなものにした
そう思っていたのは 僕の方だけだったと知らされたのは 桜の盛りが過ぎ さつきの芽吹く晩春の夜だった
抱きしめると必ず 僕の名前を恥ずかしげに呼ぶ貴女の声が 今夜は使命を持ったように その事実を告げる
「私 結婚が決まりましたの」
貴女への求婚の言葉を準備していた僕は その言葉が 他の誰かの口から出たのではないか
そう思わざるを得なかった
「香野子さん」
僕の言葉にたじろぎもせず まるで 僕のことなど存在しないように言葉が続く
「私は 父が決めた方と結婚すると決めておりました」
僕は慟哭の中にいた
拒絶されることに慣れていない僕を 容易く絶望に追い込んだ 貴女の言葉
父の友人を通して伝えられた 周防家への求婚は
他家との婚礼の決まってしまった事実の前に 遠慮がちに返された
貴女の婚礼の日
なす術もなく ただ その日の過ぎ去るのを待ち
僕は再び旅立ちを決意した
とりなす両親に 廃嫡してくれと残酷な言葉を残し 二ヵ月後 新天地へ向かう船に乗り込んだ
大陸に渡り 三年の月日が流れた
父の事業を 大陸でも展開するという名目で送り込まれたが
実質的な経営は 優秀な側近の手によって行われていた
僕の役目は 毎夜行われる会合への出席
会合とは名ばかりで 社交場と化したその場は 僕らのように大きな事業を行っている者への接点を探す
新参者の集まりでもあった
僕が独身だとわかると こぞって花嫁候補を差し出し より深いつながりを持とうとする
それらは 見方によっては面白いゲームのようでもあった
娘達の容姿はもちろんだが 彼女らの父親の財力と実力を天秤の乗せ
こちらの条件に見合う女性を選び出していく
もう恋はしないと決めていた
それでも まれに着物姿の娘に出会うと 胸の奥が鈍い音を立て 恋の結末を否応なく思い出させてくれた
そんな日は決まって夢を見た
”香野子 かのこ……”
親しみを込めて呼びかけることのできなかった思いが 今なお胸の奥に残っていた
名を呼ぶと 嬉しそうに振り向いた振袖姿の彼女の顔が 微笑んだあと僕の方に駆けてくる
手を伸ばし抱きしめようとするのだが その姿は虚像となり 僕の手は空しく空を切る
寝汗をかいた額を もう何度拭ったことか
自分の諦めの悪さにうんざりしながら
翌朝は側近の前では何食わぬ顔で 紹介された花嫁候補の選定をするのだった
家を見捨てた僕に愛想をつかした父は 出来のいい二番目の息子に期待しているのだろう
ときおり事業報告を求める程度だったが 母は不詳の息子が気になるのか 頻繁に便りをくれた
母からの手紙が 文箱からこぼれるほどになった頃の便りだった
いつもの近況報告のあと 知らせるか迷ったのだがと但し書きのあと
控えめに書かれた数行に僕は目を奪われた
その日の内に心を決め 帰国の準備に入った僕を 側近たちは
結婚相手を両親に相談するための帰国だと勝手な解釈をし
これで事業への意欲が増しますねと 快く送り出してくれた
茫然自失で土を踏んだ僕を 温かく迎えてくれたこの土地に別れを告げたとき 3年半の月日が過ぎていた
春の夜の幻想は いつまでも私の胸を躍らせていた
夜会のさんざめく声も
かしこまった出会いで華やぐ空気も
今の私には 何一つ響いてはこない
庭の花々を愛でながら 心はあの方の香りを求め
若葉の初々しさに和みながら あの方の力強さに心を奪われていた
いつもなら 帰宅 後すぐに着替え 部屋着に袖を通すのに
今夜は 見つめて下さった振袖を脱いでしまうのが惜しく いつまでもそのままの姿でいた
胸は打ち振るえ 唇だけが体から孤立したような感覚に
恥ずかしさと喜びが ない交ぜになり 私の胸をかき乱した
なぜ あのような申し出を受け入れてしまったのか……
何も知らず 何事もなく
まっさらのまま 誰かの妻になってしまうのを恐れたからだろうか
それだけの理由ではないのは わかっているのに
なお 接吻した理由を探し求めていた
あの方が私の手を握り締めた
ただ ただ 握り返すしかできなかった私を 幼いと思いはしないか
抱きしめられた胸に 体を預けてしまった私を 奔放と思いはしないか
あの方に嫌われてしまうのを こんなにも恐れる自分に呆れながら
私に 心を残してくださるようにと 願うことを忘れなかった
あれから 夜会の度に申し合わせたようにバルコニーで出会い 庭の散策に出かけ
木々の立ちこめた陰で私を抱き寄せ
静かに ときに 熱く
ゆるやかに重ねられる唇に いつしか応じるようになっていったのは
私の儚い恋心だったのかもしれない
思いを振りほどかなければ……
そう思いながら 思いとは裏腹な手は 大胆にも背に伸びていき
これが最後 これが最後と言い聞かせ 何度そうして過ごしてしまったことか
晩春の夜 私はもう迷わなかった
あの方の目を真っ直ぐ見て 事実だけを告げた
「私 結婚が決まりましたの」
香野子さん……と震える声が聞こえたのに 阿修羅になった私は さらに言葉を続けた
「父が決めた方と結婚すると決めておりました」
直俊さまの手が私の肩を掴み どうして どうしてと 叫ぶような声が浴びせられた
「貴女を妻にしたいと 今夜ここで この場で言うつもりだったのに なぜ今夜なんだ
僕の気持ちはわかってもらえていると思っていた それは奢りだったということですか!」
結婚において愛情など期待してはいなかった
男性に 愛の言葉を向けられることなどないと思っていた
直俊さまとのご縁は望むべくもなく 初めからわかりきったことだったのだから
「もう おっしゃらないで 直俊さまにもわかっていたはずですわ
私たちは縁を結ぶことはできないのですから」
首を振った私を あの方は乱暴に引寄せ 僕は諦めないと言ってくださった
私はこの方に愛されていた
それだけでいい それだけで……
晩秋の吉日 私は他の男性の妻になった
三年の月日は駆け足で過ぎたとは言いがたく
けれど 耐えた苦しみのあとに 私に希望を与えてくれた
苦痛な一年目は牛歩のごとく のろのろと過ぎてゆき
諦めの二年目は静寂の中で 息を潜めて過ぎ去った
執着することを諦めた夫の言葉を聞いたのは 結婚して三度目の秋 紅葉の舞い散る頃だった
実家に戻ると しばらく周防家の海辺の別荘で過ごすよう父に言われ
静養とは名ばかりの 兄の家族への体裁を保つため 体よく追い払われたも同じだった
そんな境遇でも 私にとっては久しぶりに訪れた穏やかな時だった
実家から婚家へ伴った侍女は 私の変化を喜んでくれた
「お嬢さま お顔の色がとてもよろしゅうございます 私も安心いたしました」
「美緒 おまえにも心配をかけましたね」
「いいえ 私は お嬢さまが心安らかになられたことが嬉しくて」
「本当に 今は何の気掛かりもなく 穏やかに過ごせますもの」
微笑んだ美緒の顔が少し考える素振りを見せ
その顔は 心に抱えた何かを告げたいと言っていた
「あの……」
「どうしたの」
「直俊さまがお帰りになられるのを ご存知ですか」
「貴女 それをどこで」
「坊城家の田川さんから……明後日 午後の到着予定だそうです」
直俊さまと私の連絡役として 私の侍女と坊城家の従者が密かに橋渡しをしてくれていた
そんな中 美緒と坊城家の田川が 心を添わせてきたのも自然なことで 私と直俊さまの縁とは関係なく
二人を一緒にさせたいと願っていたが 律儀な二人は主人の気持ちを慮って(おもんばかって)
離れ離れになったまま今に至っていた
美緒は私についてきたが 直俊さま付きの田川は 周防家との繋がりを知られ
我が家への配慮から直俊さまのそばを離れたと聞いていた
密かに二人は連絡を取り合っていたのだろう
私に遠慮して これまで忍ぶ恋をさせてしまった美緒が不憫だった
「美緒 貴女が知っていることを教えて欲しいの 直俊さまは……」
「まだおひとりでいらっしゃいます お嬢さま 港に参りましょう」
「でも 私がお迎えして ご迷惑になっては」
「お嬢さま!」
迷うこともないほど
心はすでに あの方のもとへ飛び立っていることくらい
美緒の口から 直俊さまのお名前が出たときからわかっていた
ただ一人の方を想い
ずっと ずっと 胸の奥に秘めた想いを貫いたのに
対面を重んじる振りをして 素直に応じられない自分に腹が立ってもいた
私がここで踏み出さなければ 美緒の恋も叶わぬままになってしまう
行きましょう 明後日のための仕度をしなさい
そう告げると 従順な侍女は これまで見せたこともない笑顔で はい と応じた
船の姿が近づくのが待ちきれないほど 私は昂ぶっていた
密かに打ち合わせをしてくれていた美緒と田川の案内で 人目を避けた場所に設けられた席に腰を下ろしたものの
窓から見える 港の奥の風景を 食い入るように見つめていた
次第に近づく船体が気になり 何度も腰を浮かせては二人になだめられた
「必ず主人をこちらへ連れて参ります もうしばらくの辛抱ですから」
田川の言葉に 幼子のようにコクンと頷き 椅子に腰掛けてじっと待つことにした
船が着岸しても下船までは時間がかかること
坊城家の家族は出迎えないが 会社の幹部が迎えに来ていることなど
田川の説明は 浮き足立った私を落ち着かせるためだろう 仔細を充分に伝えてくれるのだが
私の目は 着岸間じかの巨大な船体に注がれたままだった
あっ と美緒の声に顔を上げると 人目を忍ぶように路地に滑り込んだ あの方の姿が見えた
それまでの自制など吹き飛んでいた
お待ちくださいと制する侍女の手を振り切り 私は部屋をとび出した
ドアの音に気がついたのか こちらへ顔を向けた直俊さまを確認するや否や
私は地を蹴って駆け出した
重ねた肌の余韻は いまだ覚めやらぬ夢のようで 漣のようにくり返し私の胸に押し寄せてくる
幻ではない直俊さまの胸に抱かれ 飽きることなくくり返される接吻を受け
幻でない直俊さまの声が 私への想いを連ねるのを 幸せに浸りながら受け止めた
夜会で出会った頃のように 私たちは頻繁に会い 口づけだけではない時を過ごしていた
「貴女の肌の香りは 僕が想い続けていた通りだった」
「香りですか?」
「着物に焚き染められた香だったのだろう いつも僕の胸に残っていた」
「そういえば いつも同じ香を焚いていたわ あれが私の香り……」
「君の声も手のぬくもりも 胸に残った香りも 香野子を思い出すたびに感じていたからね」
「私も……私もそうでした 貴方のことを思い出すたびに……」
互いを想い過ごした日々を思い返し 声に詰まった私を 直俊さまは慈しむように抱きしめてくださった
短い逢瀬は 会うたびに同じような会話で締めくくられ 離れていた時間を埋めていくには
まだまだ相当の時が必要でもあった
また来るよ そう言い残して直俊さまが 私の別荘をあとにするのもいつものことで
外で私たちが出会うことははばかられた
「君を迎えに来る準備をしている もう少し待っていて欲しい」
「いえ 今のままで充分です 私は一度嫁した女ですから 貴方の家名に傷が付きますもの」
「そんなことはないさ それを言うなら 僕は廃嫡された放蕩息子だからね」
顔を見合わせ 笑いながら 互いの不肖を告げあうのもいつものことだった
けれど 今日は少し違っていた
直俊さまは また来るよ と言うかわりに 一緒に来て欲しいと私に告げたのだった
「一緒にとは どちらに伺うのです?」
「周防の家に一緒に行ってもらいたい」
「えっ……」
「父に交換条件を出した 向こうでやり残した仕事を続けたい 事業にも専念する
その代り僕のことはうち捨ててくれと
結婚に関してはもちろん これからの生き方に口出しは無用だと伝えた」
「まぁ そんなことをなさっては 直俊さまのお名前が」
「僕の名前などどうでもいい だから君にも覚悟を決めて欲しい
これから君の父上に こうお伝えするつもりだ
お嬢さんを勘当していただきたい そのあと僕にいただけないだろうか……とね」
究極の選択だった
私たちが縁を結ぶには この方法しか残っていない
「君がご主人を拒み続けたと聞いて 僕の胸は打ち震えた
こんなにも強い意思を持った女性だったのかと感動し
それと同時に どうしてあの時に 強引に彼から奪い取ってしまわなかったのかと後悔した」
「主人に一度は肌を許したものの 嫌悪と後悔だけが残りました
私が求める方は この人ではないと気がつきましたから」
「母に感謝だよ」
「お母さま?」
「香野子のことを知らせてくれたのは母なんだ 君の離縁を手紙に書き添えてくれた
それで僕は決心した もう迷わないとね」
一緒に行ってくれるね と私の顔をのぞきこんだ直俊さまへ 涙ながらに頷いた
家を継ぐことを拒んだ息子と 離縁され実家に戻された娘が 以前より通じていた事を理由に勘当することは
両家にとって外への対面を保つには良策で
主人の手助けをしたとして それぞれの家から解雇を言い渡された美緒と田川が
勘当された主人に従うのも自由だった
初めての土地で不安がないわけではないが 想い続けてきた方と添い遂げる その喜びの方が勝っていた
新天地へ旅立つ娘を不憫に思いながら ようやく貴女に幸せをもたらすことが出来ましたと
周防の母は笑顔で送り出してくれた
肩が触れ合うほどそばに寄りそうと 海風で冷え切った私の体を 夫となった人は包むように抱きしめた
手をたぐり寄せると指先をしっかりと絡ませ 嬉しそうな声が耳元に告げられた
「長年の夢が叶うよ」
「本当に……」
そのまま甲板で 海風に吹かれながら 遠く微かに見える大地に思いを馳せた
今の僕なら 君の心を繋ぎとめておけたのだろうか
今の僕なら 君を引き止めることができたのだろうか
思い出したように問いかける夫の言葉に
問われる度に 私は同じ答えを返す
春の夜会のときの二人に戻りましょう
あの時 私たちは 初めて愛を知ったのですから……
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『あとがき』
以前より書きたいと思っていた、時代物の話です。
時は、大正前後でしょうか。
上流階級に育ち、不自由のない生活ではあるものの、男性は家を背負い、女性は家長の命で嫁ぎ、
家と時代に阻まれ、自由な恋愛もままならない頃のこと・・・
坊城 直俊 (ぼうじょう なおとし) と 周防 香野子 (すおう かのこ) は、ある夜会で出会いました。
夜会のたびに落ち合い、密やかな時を過ごすのですが、想いを告げることはなく季節が過ぎていきます。
惹かれながらも、思いを通すことのできない二人は・・・
時代の波と、諦めることのなかった二人の想いを、文章と画像から感じていただければと思います。
挿絵画像・構成はvivi☆さんです。
以下は、viviさんより、【春の息吹にも似て】 へ文章を寄せていただきました。
(親しいだけに照れるのですが、viviさんが見てきた なでしこ だそうです・・・ありがとう・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・
「長い付き合いだけど、私の創作を文章で紹介して貰ったことがないわ、
一度、書いて欲しいなあー」 との呟きを受け
この機会にと、作品ファイルと共に 一文を添えさせていただきました。
【 春の息吹にも似て 】
初原稿を読ませていただいたのは、2年以上前になります。
その時私は、厳しい?コメントを添えてお返ししたのだそうです。
(私自身は、至極やんわりと、、だったと記憶しているのですが・・^^;)
そこで終わらないのが、なでしこさんのなでしこさんである所以なのですが
それから2年、
推敲を重ね、書き込まれた後が 最終原稿の中に如実に表れていました。
(読ませていただいたとき、正直驚きましたし〝画像、作りたい!〟と即座にそう思いました・笑)
なでしこさんの文章の特徴の一つは、
情景描写の中で、登場人物の心理を細かく表現することです。
それだけに、一文が長くなりがちですが
その繊細さと、流れるような文章・文体が、その長さを感じさせず
読み手を、心地よくその創作の中に 誘ってくれるように思います。
表では、男女の恋愛模様を描きながら
その裏側では、登場人物それぞれの心の移り変わりや、成長を表現していく…
そういったメッセージ性も、魅力なのではないでしょうか。
【 春の息吹にも似て 】
思いのままにならない時代の、男女の愛のかたちに重ねた
なでしこさんの〝新たなスタート〟への想いも感じながら
お読みいただければ、と思います。
桜の花は、儚げな印象がありますが・・
散り際の潔さには、その強い意志をも感じます。
舞う花びらの煌きに、旅立ちの決意をのせた画像ですが
創作とともに楽しんでいただければ 幸いです。
どんどん進化していくなでしこさんの、益々のご活躍をお祈りいたします。
(いつも、自由に画像を作らせていただいて 感謝しておりますvv*)
vivi☆
