【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -謎のパレット- 5



「七海さんと宗一郎さんの疑惑について、私からご報告いたします」


真壁陽光ことコウは、たいして乱れてもいない帽子を軽くかぶり直して、大叔母から話を引き取った。

疑惑とはなんだとコウを睨みつけたが、探偵を気取った顔は全く動じない。


「当日、七海さんと宗一郎さんが、ホテル最上階のレストラン 『シャンタン』 に出かけたのは間違いありません。

『シャンタン』 のギャルソンが、おふたりのレストラン滞在は二時間だったと証言しています。

直哉さんがおふたりを目撃したエレベーターは、『シャンタン』 がある最上階へ直通のもので、客室階には停止しません。

それから、『榊ホテル』 の部屋についても担当者に確認しました」


客室階は入室が厳しく制限されており、利用者以外は入ることはできないそうですと続いた。

冬室直哉が私と七海が部屋に入るのを見たという発言は噓であると、暗に伝えたのだ。


「これで、宗一郎さんと食事に出かけただけだって、信じてくれるわね」


強い口調の七海へ力なくうなずく冬室直哉の肩へ、大叔母がそっと手を添えた。


「直哉さんはお優しい方ね。お加減が悪い妊婦さんを助けて、お宅まで送って差し上げるなんて、なかなかできませんよ」


思わず七海と顔を見合わせて、大叔母の言葉の真意を探り合う。

冬室直哉が妊婦を介抱したというのは、本当だったのか。


「つづいて、直哉さんの行動についてご報告いたします。直哉さんが助けた女性にお会いして、当日の話を聞いてまいりました。

女性の名前は新川友恵さん、妊娠三ヶ月でつわりが辛い時期だそうです。

直哉さんと会った日は、予約したパンを受け取るために、気分転換の散歩を兼ねて朝早く自宅を出たそうです。

ところが、帰る途中で気分が悪くなり、座り込んだとき直哉さんに声を掛けられ、お宅まで送ってくださったと。

友恵さんのご主人様にもお会いしました。とても感謝してらっしゃいました」


そして、冬室直哉が早朝の街中にいたのは、スポーツジムに出かけるためだった。

日曜日の早朝コースに通う直哉は、この数年は皆勤で、真面目で熱心な方であるとジムのトレーナーが感心していたと、コウは七海に向かって淡々と伝えた。


「妊婦さんを助けたのは本当だったのね……ごめんなさい、私、直哉さんにひどいこと言って……」


「僕こそ、ごめん。ななちゃんを疑った」


「許してくれるの?」


「もちろん。僕のことも許してくれる?」


新婚のふたりを見つめる大叔母の目は優しく、安堵したようでもあった。

なにごとも控え目な大叔母が、自ら探偵に依頼して真実を明らかにしたことに少なからず驚いた。

大叔母の思い切った行動がなければ、この夫婦は誤解したまま関係は悪化、別れる選択をしたかもしれない。

我々も嫌な思いが残っただろう。

七海と冬室直哉には、それぞれ不倫の相手がいると思い込み、彼らに偉そうに意見した自分が恥ずかしい。

人目も気にせず肩を抱き合って仲直りをする夫婦を凝視するわけにもいかず、根岸さらさが淹れ直した紅茶を飲み、菓子をほおばることに専念した。

千寿マリオと服部さんが帰ったあと、コウに詳しい話を聞くつもりで、このあと食事でもどうかと誘ったが、大叔母にまだ話があるからと断られた。

その話の席に同席して良いかと尋ねたところ、


「真壁さんと個人的なお話がありますので……」 


大叔母から遠慮するように言われた。

誰にもかまってもらえない寂しさを抱えながら部屋を出ると、冬室直哉と七海夫婦が、寄り添って帰る後ろ姿が見えた。

雨降って地固まる、禍を転じて福となす、怪我の功名、塞翁が馬……

いまの彼らは、どれに当てはまるのか。

人生を例えることわざが浮かんで消えた。



「聞いたよ。大叔母さまにコウを紹介したのは、珠貴だってね」


「大叔母さまのお願いですから、誰でもとはいかないでしょう。コウさんならと思ったの」


冬室直哉と七海から、それぞれ話を聞いた大叔母は、彼らの言葉に嘘はないと思い、真相を突き止めるため探偵への依頼を思いついた。


「今日のコウさんは素敵な男性だったのね。お会いしたかったわ」


斜めにかぶった帽子にピカピカの靴、映画か小説の探偵を気取ったような格好の、どこがいいのだろう。

私には芝居じみた格好の良さはわからないと内心ぼやきつつ、予定外の会合に出席して戻ったばかりの珠貴へ、今日の出来事を語って聞かせた。

お偉方ばかりで肩の凝る会合だったそうで、全身に疲れを滲ませながらも、冬室直哉と七海の夫婦喧嘩の顛末を面白そうに聞き入る顔に詳細を語った。


「七海と 『シャンタン』 にでかけた日、珠貴も 『榊ホテル』 にいたんだってね」


「ええ……あなたと七海さんがエレベーターに乗る様子を見て、近衛宗一郎の連れの女性は誰かと、みなさんに噂されてたわ」


冬室直哉と同じく、珠貴も 『榊ホテル』 で私と七海を見かけたらしいと、コウが帰り際に教えてくれた。


「宗と七海さんを見かけたこと、隠すつもりはなかったのよ」


話す機会がなかっただけと、珠貴は困ったように笑った。


「冬室直哉は、俺たちを見て仲を疑った。見ただけで疑うのか? まったく、いい迷惑だ」


「あちらは新婚さんですもの。些細なことが気になるのよ」


「じゃあ、俺たちは?」


「私たちは、そんな頃は過ぎたわ。そうでしょう?」


「うっ、うん……」


私がほかの女を連れているのを見ても、珠貴はなんの感情もわかない、そう言われた気がしたが……


「夫婦の年月は、信用の積み重ねだと思うの。信用しているから不安にならないのよ」


一転、愛情が感じられる返事をもらって胸が温かくなった。


「新婚夫婦にはできない芸当だな」


「そういうこと」


思いを伝えたくて疲れた背中を抱きしめた。

ふふっと嬉しそうな声がして、


「着替えるから手を放してね」


私の腕をそっと押した。

嬉しそうな声の中に、私に伝えられない複雑な思いが隠されていたとは、まるで気がつかなかった。


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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

おはようございます

早々に読んでくださってありがとうございます。
(今日は私の返事も早めです^^)

終わってみれば、新婚夫婦の痴話喧嘩。
周りを巻き込んで大騒動でしたが、落ち着くところに落ち着きました。
問題は解決したものの、なにかと面白くない宗一郎は拗ねている様子。
が、それも珠貴に癒されて機嫌は治りました。
可愛いところがあります(笑)

次回は珠貴の視点でお届けします。
珠貴の心の中に何があるのか……
次回もお付き合いください。

2023/11/04 (Sat) 07:46 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
円満解決で万々歳!
でも、宗さんの気持ちは複雑…
何だか可愛いですね❤
拗ねた夫の機嫌まで直し、二重のお手柄だった珠貴さんですが、
今回の事でまだ何かあるのかしら??

2023/11/04 (Sat) 06:35 | 編集 | 返信 |   

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