【ボレロ 第三部 鈍色のキャンバス】 -ペインティングナイフ- 3


大叔母様の部屋から絵皿が消えて、しばらくたった。

紛失がわかった当初、絵皿について誰も心当たりがないことから、侵入者のしわざかと騒ぎになった。

盗難届を出した方がよいのではとの声もあったが、持ち主の大叔母様がそれには首を振った。


「こういうことは、騒がない方がいいのですよ」


屋敷内の騒動を表に出したくない思いがあるのだろうと周囲は受け取り、やがて話題にする人もいなくなった。

佐山さんをのぞいては……



土曜日の午後、アトリエでは絵画教室がおこなわれていた。

千寿マリオさん指導のもと、生徒たちは地域の展覧会へ出品する絵の最後の仕上げに入っていた。


「結姫お嬢さまの絵は勢いがございます。出来上がった絵が楽しみです」


細かい描写が苦手な娘の絵を、佐山さんは好意的に見て褒めた。

絵画教室に付き添い見守っている宗によると、結姫はなんでも大きく描くそうで、宗には適当に描いたように見えるらしい。

大胆な描写を勢いがあると受け取るか、適当に描いていると受け取るかの違いは大きい。

親の目は子どもに厳しくなりがちで、マイナス面ばかりが目に入るけれど、褒めることも大切ではないか。

結姫の絵が仕上がったら、「大きく上手に描けたわね」 と褒めてあげよう。

そんなことを思っていると、佐山さんの顔が不意に曇った。

どうしたのかと目で尋ねると、


「大奥様の絵皿ですが……」


控え目に話しはじめた。


「あれからずいぶん屋敷中を探しましたが、どこにもありません。大奥様は気にしないようにとおっしゃいますが、このままでよろしいのでしょうか」


日々そこにあった物が突然消えた事実を、佐山さんは重くとらえていた。

礼次郎大叔父様の思い出につながる大事な絵皿であると信じる佐山さんにとって、見過ごすことのできない問題である。

そして、絵皿の紛失にさほど関心のなさそうな大叔母様の様子も気になっていた。


「大叔母様は、昔のことを思い出されたのかもしれませんね」


以前にも似たようなことがあり、犯人探しで家の中がぎくしゃくした。

そうならないよう、大叔母様は静観しているのではないかと、私は佐山さんが納得できる理由を考えてならべた。


「大奥様のお気持ちもわかります。けれど……」


このままにはしておけませんと、私に強く訴える顔は、あとの言葉を飲み込んだ。

仕える立場として、これ以上を口にしてはいけないのだと佐山さんはわかっている。


「同じことを繰り返さないためにも、防犯面の見直しが必要かもしれませんね。

佐山さん、おねがいしてもよろしいでしょうか」


「施錠の徹底や、カメラの設置を増やすことも検討いたします。かしこまりました」


防犯に力を入れましょうということで、佐山さんの関心をほかに向けたつもりである。

佐山さんの息子の春日さんと相談してくださいと添えると、


「宗一郎様のご意見もうかがってまいります」


すぐにでも飛び出していきそうな勢いだ。


「今後、このようなことが起こらないよう、防犯の強化に努めます」


責任を感じる背中に、ごめんなさいと心の中で手を合わせた。

絵皿はなくなってはいない、この家の、とあるところにありますよと伝えたら、佐山さんはどれほど安心するだろう。

大叔父様の思い出につながる絵皿を、大叔母様が隠した事実を知るのは私だけ。

大叔母様との約束で、佐山さんだけでなく宗にも内緒である。



七海さんと直哉さん、それぞれから、相手の行動に不審を持っていると相談された大叔母様は、ふたりの話を聞きながら昔を思い出して、悶々とした思いに駆られた。

七海さんの父親、正巳さんを養子に迎えると決まったとき、正巳さんの父親は誰なのか気になりながら、それを口にすることはなかった。

友人の三浦さんから、「昔、礼次郎さんと正巳さんの母親は付き合いがあった」 と聞かされ、心がざわついても、どうすることもできなかった。

正巳さんは夫の子かもしれないという疑惑は、大叔母様の胸の奥深くに沈み触れないようにしてきたが、七海さんと直哉さんがぶつかる姿を見て、真実を明らかにしたいと思うようになった。

そう思ったとき、夫の思い出につながる絵皿を疎ましく感じるようになり、目に触れないところに隠した。


「絵皿を見るだけで、会ったことのない正巳の母親と礼次郎の姿が見えるようで、胸が苦しくなってしまって……」


長く使っていないスーツケースの底にしまい込んだ。

一日留守にしたあいだ、佐山さんが絵皿がないことに気がついた。

佐山さんから報告を受けた宗は、盗難ではないかと心配したが、


「あの絵皿が……そうですか。ずいぶん古いものですから、割れてしまったのかしら。

形あるものはいつか壊れます。それに、たいしたものでもありません。宗さんも気になさらないでね」


とっさに嘘をついた。


「あのとき、思うところがあり絵皿を飾るのをやめたのだと、宗さんにお話ししておけば、珠貴さんにご心配をおかけすることもなかったのに、ごめんなさい」


絵皿を飾るのをやめたのはどうしてかと、宗に聞かれても返事に困っただろう。

私が大叔母様から秘密を打ち明けられたのは、絵皿の紛失した数日後だった。

佐山さんや宗は絵皿のゆくえを気にしていたが、私は知らぬふりで通した。


「大叔母様、佐山さんに本当のことをお話した方がよろしいのではないでしょうか。とても気にしておいででした」


「そうねえ……」


絵画教室のあいだの佐山さんとの会話を伝えたが、大叔母様の返事は重かった。

打ち明けるとなると、礼次郎大叔父様が正巳さんの父親ではないかと疑っていること、友人の十志子さんの夫の三浦さんに聞いた話から、悩み続けた思いをすべて語らなくてはいけない。

礼次郎大叔父様を敬愛し、慕ってきた佐山さんの気持ちを壊してしまうのではないかとの思いもある。


「十志子さんのチャリティーオークションに、絵皿を出すことに決めました。

手続きが済んだら、佐山さんにお話します。そのときは、珠貴さんもご一緒に」


心細いので一緒にいてくださいと頼まれて、ゆっくりうなずいた。

大叔母様は、礼次郎大叔父様との思い出の絵皿を手放すつもりでいる。



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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんにちは

前回の発言で気がついてくださったのですね。
信頼している佐山だから、言いにくいこともあります。
心の内を珠貴に話すことで、抱えたものが少し軽くなったでしょうか。
オークションで誰が競り落とすのか。
引き続きおつきあいください。

2023/12/02 (Sat) 17:09 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
やはりそうでしたか。
オークションの話が出た時に
もしや絵皿は…と思いました。
私の中でも大叔母様はいつも明るく
朗らかな印象があるので事情を知る
珠貴もつらいでしょうね。

2023/12/02 (Sat) 06:19 | 編集 | 返信 |   

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