【ボレロ】  間奏曲 - intermezzo -(インテルメッゾ)~ 男と女 ~ 後編



絵画教室の講師が千寿マリオから父親の千寿眞喜雄に代わり、同じくして吾郎さんの妻の茉莉子さんが絵を習い始めた。

今日ははじめての講習日、吾郎さんも付き添ってやってきた。

この家の先代の当主、礼次郎大叔父は若い芸術家の育成に熱心で、何人もの画学生が出入りしていた。

旧姓溝田、現在は妻の姓を名乗る千寿眞喜雄もその一人だった。

礼次郎大叔父の義理の息子の正巳さんと仲の良かった吾郎さんは、当時、ここにもよく来ていたことから昔の千寿眞喜雄を知っている。


「会ったのは30何年振りか、いや、40年になるか。若いころは、正巳さんが敬子さんとの仲を疑いたくなるほど格好も良かったが、彼もそれなりに歳をとったね。

茉莉子が、溝田は渋くなって昔より魅力が増したなんて言っていたが、年相応じゃないか。髪はふさふさでも白髪まじり、シワなんて僕より多いくらいだ。

それが渋く見えるのかねえ」


これまで散々よそ見をしておきながら、妻がほかの男に興味を持ち褒めるのは面白くないらしい。

もっとも、いまの吾郎さんは茉莉子さんだけ、よそ見も遊びもしないと決めたそうだ。

そうなると、妻のそばにいる男が気になって仕方がない。

長身に端正な顔立ち、画家というよりモデルのような千寿マリオの父親、千寿眞喜雄も見目が良い。

若さゆえか、粋がったり尖った面もある息子に比べ、父親には円熟した丸みがあり、そこが千寿眞喜雄を魅力的な男に見せている。

吾郎さんにとって、彼は侮れない奴であり、今後は目の離せない相手になりそうだ。

千寿眞喜雄にとっては、甚だ迷惑な思いかもしれないが。

ライバル心に燃える吾郎さんの気持ちを鎮めるよう、のんびりと声をかけたのは、講師が代わっても引き続き絵画教室に参加している服部さんだった。

服部さんと私は、甘味を好む同志が集まる 『水一倶楽部』 の仲間である。

倶楽部では互いをニックネームで呼び、私は 「宗さん・若」、服部さんは 「殿」 と呼ばれている。

「宗さん」 「殿」 と呼び合う私たちを面白がって、吾郎さんも呼び始めた。

ちなみに、吾郎さんは 「吾郎さん」 のままである。


「宗さんから聞きましたよ、吾郎さん、大活躍だったそうですね。悪者を懲らしめたそうじゃありませんか。

十志子さんが、吾郎さんに感謝しているとおっしゃっていましたよ」


「いえいえ、たまたま上手くいっただけで、たいしたことはしていません」


「ご謙遜を。吾郎さんの名演技で相手は暴走、自滅したとか。さすが、演劇経験者ですね」


服部さんに重ねて褒められた吾郎さんは、柄にもなく照れながら手を振った。


「若いころ、学生演劇で演出をかじったのが役に立ちました。なんでも経験しておくものですね。

十志子さんの元夫は欲を出し過ぎて、墓穴を掘ったんです」


満更でもない顔が、ひとしきりことの顛末を語ったあとニヤッと笑った。


「長年連れ添った妻に捨てられた三浦は、最後の最後に奈落の底に落ちました」


なけなしの財産を株につぎ込んで大損したのかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。


「七海ちゃんに結婚祝いを贈りたいから、冬室家に繋ぎをとって欲しいと頼まれまして……」


三浦との別れを決めた十志子さんのために離婚を得意とする弁護士を紹介する一方で、離婚後の三浦の面倒を見た吾郎さんは頼まれごとを引き受けた。


「七海ちゃんの父方の祖父が結婚祝いを贈りたいと言っている、そう伝えたところ、すでに祝いは受け取ったというじゃありませんか」


「受け取った? どういうことですか」


「七海ちゃんの父方の祖父は、指揮者の新谷だって。新谷といえば有名オーケストラの常任指揮者も務めた大御所ですよ。

七海ちゃんは、三浦の孫ではなかった。聞いて驚くじゃありませんか」


「吾郎さん、わかるように説明してください」


興奮気味の吾郎さんが得意そうに語った話は、七海の祖父母の留学時代の三角関係だった。

近衛家の遠縁の娘でポーランドに音楽留学した近衛ミチコは、同時期に留学した新谷と恋に落ちた。

その一方で、留学生の世話係りであった三浦肇と深い仲になった。

ミチコの心変わりか、三浦が一方的に言い寄ったのか、その点は不明だったが、やがてミチコは妊娠した。

恋人の妊娠で音楽家への道が閉ざされることを恐れた新谷と別れたミチコは、子を身ごもったと三浦に伝えたのだった。


「そのとき、子供の父親は誰か、近衛ミチコも判断がつかなかった。だが、父親は新谷でも三浦でも、彼女はどっちでも良かったんじゃないかな。

子どもの将来を考えて、将来が不安な留学生より近衛商社の社員を選んだ、それだけだよ」


しかし、近衛ミチコに 「子の父親」 に選ばれた三浦肇は、彼女ではなく婚約者の十志子さんと結婚した。

三浦とミチコは結婚はしなかったものの、ふたりの関係は息子の正巳が結婚するまで続いている。


「三人の昔の関係はわかりました。それで、七海さんの祖父が新谷さんだと、どうしてわかったのかな。

もしや、七海さんのご両親が結婚する際、冬室家が調べたのではありませんか」


娘の縁談に親は慎重になりますからと、服部さんはこともなげに述べた。


「そうです! いやあ、さすが殿、素晴らしい。よくおわかりで」


「冬室さんは用心深い人でね。何事も石橋を叩いて渡る、叩きすぎるくらいに叩く」


孫の七海を自分の養女にしたのも、頼りない息子を案じてのことだろうと、服部さんが知る冬室家の内情を語った。

「ウチのご先祖は、あの服部半蔵に続くらしい。だから裏の情報が入ってくるんだよ」 と冗談めいて語ってくれたことがあるが、冗談ではなく本当にそうかもしれない。


「冬室さんのことだ、婿になる人の実の父親の素性がわかったうえで、娘を結婚させたのでしょう。

そのころ、新谷さんはすでに音楽家として名をあげている。公にはしなくとも、新谷さんと冬室さん、密かに交流はあったと思いますよ」


「まったくその通りです」


冬室家から依頼を受けて調査したのは、コウの父親だったと聞いている。

知っていながら息子のコウに、その事実を伝えていない。

依頼人の秘密は身内でも隠すものなのか。


「ということは、早苗大叔母も知っていた?」


「早苗おばさまは知らなかったらしい。こういうことは、男だけの秘密だからね」


「そうですか……早苗大叔母が正巳さんの父親について知らされていたら、三浦の嘘で悩むこともなかったでしょう。

そして、三浦は女に翻弄された。今になって真実を知らされるなんて、奈落の底に落とされた気分だったでしょうね


「彼はそうなる運命だった。身から出た錆だよ」


服部さんの一言が重く響いた。


「いやあ、それにしても女は怖いね。これから、女を見る目が変わりそうだ」


「吾郎さん、いままでの行いのツケが来るかもしれませんよ」


「宗一郎君、恐ろしいことをいうなよ。僕はね、これから清く正しく生きると決めたんだ。

神様だって、そこのところは見てくれるだろう」


自分の都合の良い解釈で神の領域を語る吾郎さんの話に、重くなりかけた空気が和む。

千寿眞喜雄に熱をあげ、足しげく絵画教室に通う茉莉子さんの様子に吾郎さんが嫉妬の炎を燃やすのは、それからまもなくのこと。

茉莉子さんに絵画教室の付き添いを嫌がられても、めげることなく送迎を続け、講習が終わるまでのあいだ私の書斎で時間をつぶすことになる。

早苗大叔母が念願の油絵に挑み、庭の花を描いた作品を仕上げたのは、結姫が幼稚園の年長組に、息子たちが年少組になった春だった。


「あの子たち、着替えもおぼつかないのに大丈夫かな。みんなについていけるか心配だよ」


「大丈夫よ。結姫のときも心配したけれど、ちゃんとできるようになったじゃない。

次の参観日には、お話会の司会をやるのですって。楽しみね」


「結姫にそんな役をさせて、大丈夫か? あの子はしゃべりだしたら止まらないぞ」


「ふふっ、宗はいつまでたっても心配ばかりね」


珠貴に呆れられても子どもの心配は尽きない。

そんな話をしていると、根岸さらさが落ち着いた様子で来客の知らせを持ってきた。

新人のころの頼りない姿は、どこにもない。


「七海さまがいらっしゃいました」


七海は今年のはじめに長男を出産、子どもを連れてよく遊びに来る。

七海の訪問は子どもたちも大歓迎で、自分たちの兄弟のように世話を焼く。


「すぐにいきましょう。子どもたちに任せたら、赤ちゃんが興奮するわ」


「そうだな、相手をするのはいいが、加減を知らないからね」


子どもの成長早い。

半年後、一年後には、どんな姿を見せてくれるだろう。

少し背が伸びた三人を想像しながら、先に歩き出した珠貴のあとを追って客間へ向かった。








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2 Comments

K,撫子

K,撫子  

To まあむさん

こんばんは

『鈍色のキャンパス』にお付き合いいただき、ありがとうございました。
「間奏曲」で後日談をお届けしました。
ある人の人生の選択が、のちに誰かの運命を変えてしまうこともあります。
近衛ミチコの選択に翻弄された早苗と七海ですが、結果的に良い方向に向かったようです。
少し時間が進んだ最後になりました。
次のエピソードも、またおつきあいください。

2024/02/25 (Sun) 22:04 | 編集 | 返信 |   

まあむ  

おはようございます
まさかまさかの裏事情…
ミチコさんが選択した結果、
未来にこんな騒動がおこるなんて当時は思わなかったでしょう。
男も女も関係なく皆、必死に生きているのですから
色々なことがありますよね。
七海ちゃんが幸せそうなのが何よりです。




2024/02/25 (Sun) 07:13 | 編集 | 返信 |   

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