【ボレロ】  22   - con abbandono - コン・アバンドーノ (思うままに) 中編



「お食事には早いわね。アフタヌーンティーなんて、どうかしら」


「いいね。動いたら腹が減ってるのを思い出した。ランチは珠貴だったからね」


「やぁね、宗ったら、どうしてそんな言い方をするの? お顔に似合わないわよ」


「顔がどうだっていうんだ。俺は俺だよ」 



彼女の前だからこそ、気を張ることなく言葉を繋げることができるのだが、ぞんざいな言い方をすると、珠貴は時々こうやってたしなめてくれる。



「はいはい、わかったわ。お呼ばれのお席までのおしのぎにと、そう思ったんです」


「そうだな。永瀬さんのところに行ってもグラスを持たされるだけで、 

食い物にありつけるまで時間がかかりそうだ」


「ほらまた、食い物だなんて」



睨みつけた顔にはシャワーのあとの火照りが残り、また抱き寄せたい誘惑が頭をもたげた。

だが、時計の針は容赦なく進み、私たちに残された時間はそう多くはないと示している。

私に話しかけながら珠貴は部屋の一角へと進み、すぐに身支度をはじめたのかパーテーション奥で衣擦れの音が聞こえてきた。

帯をとく仕草も艶かしいと思ったが、着付けをしていく様も眺めてみたいと思いながらさすがに見てみたいとは言い出しにくく、理性の瀬戸際でなんとか平静を取り繕っていた。

ルームサービスにはないわね、ラウンジに行きましょうか、との声に、狩野に頼めば部屋に運んでくれるよと言い残して、私は誘惑を振り切るようにシャワールームの扉を閉じた。


副支配人自らルームサービスのワゴンを押して現れ、狩野は珠貴の着物姿に一瞬眩しい目をしたが、そこはプロらしくホテルマンの顔に戻り、恭しく新年の挨拶をはじめた。 



「今年もご贔屓に。この部屋は法人契約だから遠慮なくどんどん使ってくれ。 

これは、上得意様へのお年賀ってところだ」



などとくだけた顔も見せながら、頼んだ以上のメニューをテーブルに並べていく。

結婚式を来月に控えて何かとお忙しいでしょうね、と珠貴が声をかけると、 

式自体は仕事の延長みたいなもんですから、たいしたことはないんですと手を振っていたが、佐保さんとの暮らしに向けた準備は思った以上に手間取っているようで、狩野らしくない愚痴も聞かれた。



「新生活をはじめるってことが、こんなに大変だとは思いませんでした。 

今まで何もかも人の手に頼っていたんだと、あらためて思いましたね。

その点、佐保は一人で何もかもやってきただけあって手際が良くて、これからは彼女に頼ることになりそうです。 

珠貴さんから頂いたお祝い、一生物の道具だってすごく喜んでました」


「佐保さん、お料理がお得意だとお聞きしていたので、私がお世話になったお料理の先生が使っていらっしゃるお道具をと思って選んだのですけれど、喜んでいただけて良かった」


「佐保から聞いているでしょうが、今度の仲間内の会、珠貴さんもぜひ出席してください。 

では、私はこれで失礼します。近衛、またな」



狩野の背中を見送ったあと、振り向いた珠貴の顔は思案気だった。 

狩野が言っていた内輪の会というのは、彼らの結婚式の数日後親しい友人だけが集まる、ごく内輪の披露宴のことで、その会の出席をどうしようかと珠貴は悩んでいた。



「一緒に行って欲しいな。狩野のヤツ、近衛がパートナーを連れてくるからと、集まる連中に言ってるらしい。 

俺ひとりだけの出席では、彼らの期待を裏切ることにもなる」


「そうなの? でも、いいのかしら……」



一緒に行こうと再度誘うと、曖昧に頷いたもののまだ気持ちがくすぶっているようだ。

私たちは公にできない間柄だというのが、彼女の気持ちを迷わせていたのだろう。



「会場はシャンタンだから、入れる人数も限られている。 

知っているとおり、あの場所で交わされる会話がもれることはないよ。

それに、君が来てくれなきゃ羽田さんが不審に思うだろう? 違う相手を連れて行ってみろ、その場で俺の信用はなくなるよ」


「ふっ……わかったわ、ご一緒します」



安心させるように抱きしめたが、腕の中で大きなため息が聞こえ、ため息をかき消すように唇をふさぎながら、帯でふっくらと包まれた腰を着付けが乱れるとわかっていながら強く引寄せた。

こんな風に隠れるように会う時間しか持てないことに苛立ちを覚え、何とかしたいと思いながらも、いまだ解決策を見出せない自分の不甲斐なさと珠貴へ申し訳なさがないまぜになり、乱暴な手になっていた。

我々のことを狩野や平岡が親身になって後押ししてくれたところで、家の問題の解決には至らない。

誰か両家に近い人物で珠貴を認めてくれる人がいれば、心強いのではないかと考えてはっと思い至った。



「さっきの続きだけど、ウチに長く勤めている律儀な人のこと」


「そうだった、どこまでお聞きしたかしら。近衛のお家の歴史をご存知の方だったわね」


「代々仕えてくれる人たちでね、家の裏の事情も引継がれているんだろう。 

一族の内情など、俺よりよっぽど詳しいよ」



歳はお袋と同じくらいで、両親も浜尾さんなしでは家のことは進まないのだと話を繋げていった。



「浜尾さんとおっしゃる方、女の方でしょう? 代々使えていらっしゃるということは、お嬢さまがお母さまのお仕事の跡を継がれるの?」


「そういうわけでもないよ。息子が継いだり娘だったり、その代で違うが、浜尾さんの家族がずっと役目を継いでくれている」



昔は結婚もせず独身のまま勤め上げ、やめる際に身内の者を推挙し引退していたこと。 

そんな彼らに曽祖父が結婚することを勧め、今に至っていること。

彼らの仕事の内容ほか、浜尾さん家系の歴史を語ると珠貴は興味深げに聞き入り、先ほどの苦悩の表情は消え、いつもの好奇心旺盛な顔になってきた。



「その方のお役目は、ご家族のみなさまの身の回りのお世話をする方であり、教育係でもあり、お家のことを取り仕切っていらっしゃる執事でもあるのね。

ハウスメイド兼、ガバネス兼、バトラーかしら」


「詳しいじゃないか。まさにそうだよ。去年から息子も勤め始めてね、彼はイギリスのバトラー養成スクールを卒業している」


「わぁ、すごい! 本格的に勉強された方なのね」



サンドイッチを口に運びながら、珠貴の目が驚きで大きく見開かれている。  



「息子さんがいらっしゃるということは、出産後また復帰なさったのね。 

お子さんはお一人なの?」


「娘もいるよ。彼女はウチの会社の秘書課にいる。浜尾さんの家族は、みな近衛の家に勤めている」

 

近衛家はますます安泰ね、などと、年かさの女性が口にするような言葉をもらしたあと、口元が悪戯っぽい笑みを浮かべた。



「長いあいだには、いろんなことがあったでしょうね……」


「いろんなこと?」


「たとえば……主従関係で恋愛とか、代々の近衛家のお嬢さまとの許されぬ恋とか」


「さぁ、俺の知る限りではないよ。他の家では聞いたことがあるが……」



彼女がそうだったと声にでかかって、慌てて言葉を飲み込んだ。

理美と彼の関係はすでに決着が出ているのに、苦い想い出が腹の中でうごめき胃が瞬時に痛んだ。

顔を歪ませた私を心配そうな目が覗き込んだため、マスタードが利きすぎてると料理のせいにすることでその場を取り繕った。


「こんなのはどうかしら。恋愛に苦しむ主人の手助けをするの。 

主人が会いたくても会えない恋焦がれる相手に会えるように、彼らが手引きするの」


「いつの時代の話をしてるんだよ。今どきそれはないだろう。だけど、そうだな、昔なら考えられなくもないか」


「そうでしょう? きっと浜尾さんのご先祖は、 近衛家のみなさまの恋の手引きをされたはずよ」



物事を現実的にとらえる彼女には珍しく、いにしえの話の中の出来事を語るように、珠貴の頭の中では楽しい空想が広がっているようだ。



「手引きをしたって話は聞いたことはないが、浜尾さんの勘の鋭さは確かだよ。 

こっちが黙っていても、何かございましたか? と聞かれたことが何度もあった。 この前も」


「この前も? なぁに?」


「直接的な言い方じゃなかったが、浜尾さんに言われたよ」


「どんなことをおっしゃったの? ねぇ、じらさないで教えて」



珠貴の興味を引くようにわざと遠まわしに言うと、思ったとおりの苛立ちをみせ 「早く教えてよ」 と詰め寄ってきた。



「素敵な方が、そばにおいでになられるようですね。ってさ」


「あの……」


「続けてこう言われたよ ”新年のお席が増える日を楽しみにしております” って。あの人にはかなわないな」


「私の存在をご存知だということ……」


「だろうね。いつか紹介してくださいませって、にこやかに言われて」


「それで、宗の返事は?」


「そうだね。いつか紹介するよと答えた」



私の返事を聞くと珠貴は不自然に顔を背けたが、その目が潤んできたのを見逃さなかった。

横を向いてしまった顔に手を添えるとなおも顔を背け、潤んだ瞳を隠そうとする素振りを見せた。

家の者に紹介したいという言葉は、私が思った以上に珠貴の胸に響いたようだ。 

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